灰澤村の妖怪たち 【1】
「ど、どういうことなの!? こ……この綺麗な狼は誰っ!?」
「義姉さんだよ」
次武が冷静に告げた。
「ねっ……お、お義姉さんっ!? どうしてっ……!」
ほのみは震える手で、黒狼に寄り添う雌の銀狼に手を伸ばした。ひんやりとした銀の毛並み。淡い緑の瞳。優しい眼差しが、異国から来た義姉をたしかに思わせる。
「な……なんで……お義姉さんまで……! 一体、どうしちゃったの!」
「兄貴と同じ姿で過ごしたいんだってよ」
テレビの前に座った三太が言う。
「そんな! 大兄ちゃんが狼になっちゃったからって、お義姉さんまで、こんな、こんな……!」
ほのみは唇を噛み、がばっと銀狼の首に縋りついた。
「嫌だよ! もっと話したいことがあったのに! 仲良くなれるって、思ったのに! 一緒にお菓子作ったり、お洋服買いに行ったり……お義姉さんとなら、きっと楽しいって……!」
銀狼の首に顔を埋め、声を上げるほのみを、穏やかな緑の瞳が見やる。
「ええ、とっても楽しみよ、ほのみ」
「ふぇっ!?」
銀狼がヴァヴと同じ声で告げ、ほのみは目を丸くした。
「ふふ、驚いた? この姿にはなったけど、言葉まで話せなくなったわけじゃないのよ」
と、狼なのに器用にウインクをしてみせる。
「あ、そ、そうなの……?」
「私は創に嫁いだんですもの。彼と同じ姿で過ごしたいわ」
「そ、そうなんだ……でも、不便じゃないの……?」
「いいえ、少しも。けれど、この大きさだものね。私と創が一緒にこのおうちにいてはお邪魔になってしまうから、次武と三太にお願いして、私も納屋に住まわせてもらうことにしたの」
たしかに二頭の狼夫婦は、一頭でもゆうに畳一枚を占拠するサイズだ。ヴァヴは創より一回り小さいが、それでもかなりの大狼である。
「でも、納屋なんて……物置だよ? 大兄ちゃんはともかく、お義姉さんは喋れるんだし」
「不自由は無いわ」
「義姉さんがそうしたいと言っているんだから、いいだろう。それより、お前が起きるのをみんな待っていたんだ。朝食だぞ」
「う、うん……手伝わなくてごめんね。あれ? そういえば、リュカは?」
「庭で遊んでる。呼んで来てくれ」
次武に言われ、ほのみは庭に向かった。その後を、創がゆっくりとついてきた。
垣根の向こうを、リュカはじっと見つめていた。
昨日、変なイヌになった(タヌキというらしい)子供たちが、ヒソヒソと話し合っている。
「やべえぞ……あいつ、ヴァンピールって言うらしい……」
「吸血鬼より強いんだって。ヘレン婆が言ってた。ジョージ瞬殺だぜ……」
「あんなによれよれのタンクトップ着てるのに……」
「うっうっ……おようふくかえして……」
リュカは子供たちが逃げないよう距離を取りながら、呟いた。
「……へんなイヌ……こんどは、つかまえる」
「ぎゃああああ!」
「食われるうぅぅぅ!」
「いやだよぉぉぉぉっ!」
子供たちはまたしてもパニックになり、ポンポンポン! と、たちまちタヌキの姿になる。
「ああっ! またやっちまったぁぁぁ!」
「服くわえて逃げろ!」
「まってぇぇぇっ、おいてかないでぇぇぇっ! たべられちゃうよぉぉっ!」
「たべる……モンスター、たべる、ストリゴイか!」
リュカがはっと上を見上げると、のどかな山の青空が広がっているだけだった。
そこに敵の気配は無い。
そして、子ダヌキたちも遠ざかって行った。
「……また、にげた……」
追いかけようと跳躍しかけたところで、ほのみが庭に出てきた。
「リュカ! また外に出ようとしてたでしょ!」
「ほのみ。おはよう」
「ダメって言ったでしょ! 村はあとで案内したげるから!」
「でも、ヘンなイヌ……つかまえたい」
「ダメよ! 可哀相でしょ!」
「だめか……」
「だめよ。人んちの子なんだから。捕まえてどうするの」
「オレ、くわない」
「当たり前でしょ!? 食べるってなにっ!?」
「モンスター、オレは、くわない」
リュカが険しい顔をしている。
「どうしたの? お腹空いてない?」
そう尋ねると、リュカは腹に手を当てた。
「はら……すいた……」
「じゃあ行こ」
もうすっかり慣れた様子で、ほのみはリュカの手を掴んだ。
「さ、ご飯だよ。早く行かないと、次兄ちゃん怒ったら怖いんだから」
新しい家族で迎えた初めての朝食は、昨日より一人減った四人でちゃぶ台を囲む。
二頭に増えた狼はというと、庭で仲睦まじく寄り添っている。
「それじゃ、いただきます」
次武の号令と共に、リュカ以外の三人は手を合わせ、それをリュカも真似た。
「いただき、ます」
手を合わせたまま、ぺこりと頭を下げる。
「……ほのみ、これ、なんだ?」
フォークを手に、リュカは目玉焼きをじっと見つめている。
「目玉焼きだよ。食べたことないの?」
「兄貴、料理下手だったしなぁ」
三太が言う。次武もほのみも言わなかったが、昨日一緒に夕飯の準備をしたので、ヴァヴも不器用なことを知っている。おそらく簡素かつ質素な食生活をしていたのだろう。
「へんないろの、めだまだ……」
呟きながら、リュカが目玉焼きの真ん中に豪快にフォークを突き刺した。
「ああ、黄身潰れちゃった」
醤油さしを手に、ほのみは笑った。
「ほら、お醤油。かけてごらん。美味しいよ」
「くろい、みずだ」
興味津々で見つめてくるリュカの目の前で、潰れた目玉焼きに少しだけ醤油を垂らす。
「はい、どうぞ」
「たべて、いいか?」
「いいよ」
目玉焼きをフォークでぐちゃぐちゃと突き刺し、長い格闘の末にようやく吊り上げる。衣服にぼたぼたと黄身と醤油が垂れたが、構わず大口を開け、食い千切るように目玉焼きを食べる。また黄身がこぼれ、綺麗な顔とよれよれのタンクトップに、黄色と黒の染みがたくさん付いてしまった。
「……当分は、前かけがいるな」
次武が呟いた。
「うまい!」
リュカは大きな声を上げ、夢中で目玉焼きをかき込む。口の周りを黄身だらけし、目を輝かせながらほのみを見た。
「これ、すきだ! もっと。ないか?」
「リュカは、なんでも美味しいんだね。でも、目玉焼きは一人、一つだよ」
「半分くらいこぼしてるけどな」
三太が突っ込む。リュカは真剣な目でほのみに訴えた。
「もっと……」
「じゃあ、あたしの半分あげる。でも、他のも食べようね」
ほのみは笑いながら、自分の目玉焼きを綺麗に半分に割り、黄身を多めにして、リュカの皿によそってやった。さっそくリュカはフォークで突き刺して食べようとする。
「すぐに食べたら、また無くなっちゃうよ? ご飯もあるし、ベーコンだって美味しいし、お味噌汁もサラダも食べなきゃダメ」
「めだま、すごく、うまいぞ。ほのみ、やさしい。すきだ」
「何言ってんの。半分あげたくらいで大げさね」
「ほのみ、すきだ。けっこんしよう」
「しないよ……」
「コイツ、卵もらったら誰とでも結婚するんじゃねえの」
「今の発言も、ほのみより目玉焼きのほうが存在感で勝っていたしな」
兄たちの言葉に、ほのみは口を尖らせた。
「別にいいよ。リュカの言うことなんか、ぜんぜん本気にしてないもん」
そう言って、顔と服を黄身だらけにしたリュカを見る。汚れたのはいい機会だから、あのタンクトップは捨てよう。そう決めた。ご飯を食べたら、次は着せる服を選ばなくちゃ。
食事を続けていると、ガララッと玄関の引き戸を開ける音が響いた。
普通なら押し込み強盗と思うところだが、ここは住民すべてが顔見知りの村である。黒生家の玄関の戸はつねに開いた状態だ。村で一番強い妖怪である狼人間たちの住む家に、そんな心配はそもそも無用だ。
「三太、出ろよ」
「三兄ちゃん、出てよ」
「ええー? リュカ、お前行け」
「わかった」
「ダメよ! そんな黄身だらけのカッコで!」
とほのみが言ったときには遅く、リュカは玄関に走って行った。




