新しい家族 【2】
「これ……ぜんぶ、くっていいのか……?」
サラダ、スープ、赤飯、チャーハン、ステーキ、ハンバーグ、カレー、パスタ、ローストチキン、からあげ、酢豚、鯛の塩焼き、刺身……食卓に並んだ料理の数々に、リュカは喜ぶというよりひたすら驚いていた。
「いったい、なにが……?」
しきりに鼻をひくつかせ、生唾を飲む音まではっきり聞こえる。リュカは痩せた腹を擦りながら、たくさんの料理を珍しげに眺めた。
「まあ、まあ、ずいぶん多国籍なのね。ほんとに美味しそう!」
ヴァヴまではしゃいでいる。ほのみはにこにこと笑って、言った。
「何が好きか分かんなかったから、色々作ったの。たくさん食べてね!」
「これ、まっかだ……」
真っ赤なトマトスープを見つめ、リュカが呟く。
「あっ、それはトマトスープ。苦手だったらコーンスープもあるよ。あと、トマトソースのパスタもあるよ。トマト、好き?」
「……しらん……なんだ、これ……?」
戸惑ったように、リュカは目の前に置かれたスープに指を突っ込んでいた。
「あっ、指入れちゃダメ!」
「やっぱり、トマト好きの吸血鬼はジョージだけだって」
料理より先に缶ビールを開けながら、三太が言う。
「なあ、義姉さんも呑むよな? 兄貴は呑むかな?」
と、部屋の隅に寝そべる創を振り返ると、ほのみが怒鳴った。
「ダメ! 大兄ちゃんにはダメ! 今は狼なんだよ!?」
「かてーこと言うなよ、俺たち普通の狼じゃねーんだから」
「ええ、大丈夫よ、ほのみ。何でも食べられるわよ」
「でもダメ! お酒はダメ! なんか怖いから!」
「義姉さん、ワインもありますけど」
次武がヴァヴに言うと、彼女は嬉しそうに頷いた。
「それもいいけど、芋焼酎はあるかしら? 私、大好きなの!」
「おっ、義姉さん、だいぶイケる口だな!」
「それからインスタントラーメン! あれ、美味しいわよね。大好きよ」
「それは……またの機会にしましょう」
「ああっ、リュカ! 手づかみで食べないで!」
片手にハンバーグを持ち、もう片手でトマトソースのパスタに手を突っ込んだリュカに向かって、ほのみは叫んだ。リュカはそれらを夢中で貪っていた。
「これ、うまい。こっちも、うまいぞ」
「ああ、手がドロドロじゃないの。ほら、口から垂れてる!」
ほのみは慌てて布巾でリュカの口許を拭った。
「駄目よ、リュカ。お箸の練習、したでしょう」
そう叱ったヴァヴは、大きなローストチキンを器用に箸で掴んで持ち上げ、食べ始める。
「義姉さん、それは別に手を使ってもいいですけど……あとそれ一人用じゃなくて、これから切り分けて……いや、まあいいか……」
「……おえっ、これまずいぞ!」
「三兄ちゃん、リュカにビール呑ませないで!」
「なんだよリュカ、お前、子供だなー」
「子供なの! 吸血鬼でも!」
部屋の隅に寝そべっている黒狼に、次武は料理を盛った皿を置いた。
「兄貴も、一緒に食おう。長旅、お疲れさん」
黒狼は弟の気遣いに応えるように立ち上がると、ゆっくりと食べ始めた。
豪勢な夕飯は、全員で綺麗に平らげた。というより、ほとんどリュカが平らげた。そのうえヴァヴもなかなかの大食漢で、明日からの家計が不安になるほどだった。
でも、ほのみにとっては久々に賑やかで、とても楽しい食卓だった。
「じゃあ、あたしは次兄ちゃんと、後片付けするから。リュカはテレビ観ててね。三兄ちゃんがお風呂の準備してくれるから、終わったら一緒に入って」
「ほのみと?」
「三兄ちゃんと!」
自分に付いて回ろうとするリュカをテレビの前に座らせる。
「この時間、アニメやってないか……。あ、良かった。アニメの映画やってる」
チャンネルを合わせると、リュカは齧りつくようにしてテレビを観始めた。
「お義姉さんも、今度はゆっくりしててよ」
「いいえ。私にも何かさせて。大したことは出来ないけど、何か仕事はある? 獲物を狩ってきたり、薪を割ったり」
「ええと、それはしなくていいけど……じゃあ、一緒にお皿洗ってくれる? 大兄ちゃん、リュカ見ててね」
そうほのみは、寝そべっている創に告げ、創は耳だけを動かした。
「大兄ちゃんさ、家の中じゃ窮屈じゃないかな?」
台所で洗い物をしながらほのみは言った。次武が答える。
「明日、裏の納屋を片付けるつもりだ。そこに兄貴が寝る場所を作るよ」
黒生家の敷地内には、家をぐるりと囲むように庭があり、裏庭と呼んでいる場所に納屋がある。特別金持ちというわけではなく、村にあるほとんどの家がそのくらいの敷地を持っているし、家屋自体は非常に古びている。特に納屋は長いこと手入れされず、車一台はゆうに入るスペースに、使わなくなった畳や家具が乱雑に押し込められ、粗大ゴミ置き場と化していた。
「まあ、素敵! 別宅ね」
ヴァヴが感激したように言う。
「いえ、そんなに立派なものじゃないですけど……。それなりに手入れはしますよ」
「よーし、あたしも手伝う! 綺麗に掃除もしなきゃね!」
「ああ、いい。俺と三太でやるから。ほのみはリュカの面倒をみてやれ。同じ歳なんだし」
「いいけど……そういえば気になってたんだけど、リュカって自分の歳がどうして分かるの? 喋れなくて、名前も無かったんでしょう? 歳も大兄ちゃんが決めちゃったの?」
「あの子にはね、自分が生まれたときからの記憶が、おぼろげにあるの」
「記憶があるって、赤ちゃんのときから?」
ほのみは驚いて、ヴァヴを見た。
「ええ。と言っても、はっきり記憶があるわけでもなくて、人にきちんと説明出来るほどのものでもないみたいだけど。創はあの子から上手に聞いていたわね。あの子は、寒いときに生まれたのよ。私たちがいた国にも、日本のように四季があるの。リュカは自分が生まれてから、同じ季節がくるのを十四回経験した。それをちゃんと覚えているのだと、そう創が言っていたわ。たしかに不思議ね。言葉も知らず、それが冬ということも知らずにいたのに、季節が変わっていくことだけは分かって、ちゃんと覚えていたなんて」
リュカの一族のヴァンパイアたちは、どうして彼に言葉を教えなかったのだろうとほのみは思ったが、尋ねなかった。彼の生い立ちに関しては、それなりの覚悟を持って聞かなければならない話のようだ。皿洗いをしながら気軽に聞く気分にはなれない。
「リュカ……大人しいみたいだけど、アニメ飽きてないかな?」
「集中力はあるから大丈夫よ。一度夢中になったことは、ずっとやっているから。創が言葉を教えたときも、最初はちっとも興味を持たなかったの。それで創が絵を描いてね、それを見せながら、物語を読み聞かせるようにしたの。そうしたら、夢中になって聞いていたわ」
「へー。懐かしいなあ。あたしもよく絵を描いてもらって、お話聞かせてもらったなぁ」
「上手くはなかったけどな」
「そう? 大兄ちゃん、男の人にしては可愛い絵描くと思うんだけど」
「私も好きよ、創の絵。子供のらくがきみたいだけど、色だけはきちんと丁寧に塗るところが、あの人らしくて」
「そうなの! 絵は上手じゃないけど、ぬり絵上手だったなぁ」
ほのみが懐かしさに目を細めると、ヴァヴも微笑んで頷いた。
「部屋の掃除はちっともしないのにね」
「そう、そうなの! 変なところだけ几帳面なの!」
「兄貴、塗り絵上手かったのか。知らなかったな」
ヴァヴの知っている創が、自分の知っている兄と同じで、ほのみは嬉しくなった。優しくて、創のことを大切にしてくれる彼女のことが、すっかり好きになっている。
いつか兄たちがお嫁さんをもらったら、一緒に買い物に行ったり、仲良くお菓子作りをするのが夢だった。彼女とならそれが叶うだろう。創も村で過ごしていれば、きっといずれ元に戻る。そう信じることにした。いつまでもくよくよしていられない。
新学期になれば、リュカと一緒に登校出来る。村で初めての同じ歳の友達。彼と学校に通えたら楽しいだろう。ほのみは、嬉しい予感に胸をときめかせた。
「どうした? 急に機嫌が良くなって」
鼻歌を歌いだしたほのみを、次武が少し気味悪げに見やったが、ほのみは気にせず歌い続けた。その様子をヴァヴがにこやかに見守る。
これから、とっても楽しくなりそう!
しかし、思い描いた楽しい日々の予感は、あっさりと打ち砕かれることになる。
「な、な、な……! なんで!?」
朝、居間に顔を出したほのみは、目を見開き、声を震わせた。
昨日は色々あって疲れたせいか、すっかり寝入ってしまった。寝坊したほのみが慌てて居間に行くと、家族はもう揃っていた。朝食の準備を一人で済ませた次武。テレビを観ている三太。やっぱり黒狼のままの創。その傍らには、美しい銀の毛並みを持った狼……。
「えっ!? なにっ!? どゆこと!?」
二頭の狼は仲睦まじげに寄り添っていた。




