Le Prologue perdu
ブレイハ伯爵家の取り潰しは、瞬く間に国中に広まった。
長い間、じっくりと国全体を侵食する闇をつかさどっていた家の崩壊は、舞台の裏でひそかに泣いていた多くの人々を歓喜させたのだった。
ブレイハ家の屋敷の本棟、何故か燃えて尽きてしまったのだったが、誰もその犯人を捜そうとはしなかった。中央騎士団が火事の出火原因は不明としたし、それに異論を唱える人間もいなかったからだ。
そんなブレイハ領の真ん中にある時計塔。その一番上に、長い金色の髪の美女がそこにいた。彼女の服は派手でもなければ豪奢でもなかったが、どことなく品を感じさせる佇まいをしている。
その表情は引き締まっていて、彼女が愚鈍姫と呼ばれていた、かつての伯爵家令嬢だとは誰も思わないだろう。
「こんなところにいたんですね」
銀髪の青年はそう話しかけると、自然な動作で彼女の隣に立った。
「ええ」
「この土地を離れるおつもりですか」
「私はもう、伯爵家の令嬢じゃないもの。ただのアイラよ」
彼女は長い髪をおもむろにかきあげると、銀髪の青年の方を向いた。
「愚鈍姫でもない?」
「そうね。伯爵家の悪事と無関係だって、証明されたもの」
「まったく……夜は早く寝て朝は遅くまで寝てると思ってたら、夜な夜な外に出ていたとは思いませんでした」
愚鈍姫とよばれるほどに家でのんびりと過ごしていたにしては、彼女の戦闘能力は高すぎた。
それをいぶかしんで聞いてみれば、あっさりと夜中に抜け出して、いろいろと行動していたことを白状したのだ。
「私はあなたがいなくても、ブレイハ家をつぶしたわ。分かってるんでしょうけど」
「母君からの悲願だそうですね。あの男は、自分に恨みのある人間を抱え込みすぎた」
「私がやらなくても、あなたがやらなくても、きっといつかは崩壊したでしょうね」
彼女の言葉は正しい。
しかし、二人が動かなければ、これほど早くブレイハ家が崩壊することはなかったはずだ。
「あの間延びした喋り方は止めたんですね」
「あれはあれで楽だけれど……一人旅だったら、あれはあまりにも隙がありすぎてね」
「一人旅? 連れて行ってもらえるかと思いましたが」
「レオ、あなた……自分が何を言ってるか分かってるの?」
アイラは心底驚いた様子で、目を瞬いた。
「そもそも、本当に良かったの? どうして私を生かしたの? あなたの復讐は、私たちを殺すことで果たされるんじゃなかったの?」
これは、過去のレオの行いが今のレオに仇となって返ってきてしまったのだろう。
確かにブレイハ家に来たばかりの頃は、一家全員を殺す気でいた。もちろんそれは、アイラも対象としていた。それを見ていた彼女が、こういう思考になるのは仕方がないことだ。
レオはゆっくりと彼女の誤解を解くために、できるだけ穏やかな口調で言った。
「もともと、あの日しようと思っていたことは、ブレイハ家の悪事を告発することであって、一家を殺すことではなかったんですよ」
レオは時計台の手すりに手を置いて、眼下に広がる町を見つめた。視界の端で彼女が風になびく髪を押さえつけているのが分かる。
「でも、最初は……」
「最初は殺そうと思ってましたよ。本当に。あなたに殺気を気取られるくらいですから。もちろんそのつもりでした」
「じゃあ、どうして?」
「......お嬢様はあまりにものろまで、無垢というより無知で、のほほんとしていて……きっとその能天気さが感染ったんでしょうね」
レオの復讐が、ブレイハ伯爵一家の暗殺から、ブレイハ伯爵家の取り潰しへと変わっていった理由は、間違いなく目の前のお嬢様にある。
どのタイミングで、レオが復讐の内容をすり替えたかはもう記憶にない。
しかしながら、おそらくいつかのタイミングで、深層心理が彼女を殺すことを拒んだのだろう。表層心理でいくらその複雑な思いに蓋をしても、目を背けても、レオは結局、彼女への愛を捨て去ることはできなかったのだから。
「ねえ、本当に? 本当にもう憎んでない?」
覗き込むようにして問いかけてくる彼女に、レオは大きくため息をついた。
「やっぱり愚鈍姫ですね、あなた」
「なっ……! そんなことな――」
憤って反論しようとしたアイラを、レオは思い切り抱き寄せた。
腕の中の彼女はひどく混乱しているようだった。
彼女はやはり全くレオの気持ちが分かっていないのだ。
だから、彼女に分かってもらえるように、レオは耳元でこうささやいた。
「あなたの命はもらいました。それなら、俺はその贈り物を一生大事に守ります」
腕の中のアイラが、気恥ずかしさからか、動揺からか、小さく震えたのが分かった。
それでもかまわずに、レオは腕の力を少しだけ強めた。
愚鈍姫と呼ばれた少女はいつの間にか、消えていた。
彼女に復讐を誓った青年も……。
しかし、しばらくして、国の各地で金髪の美女と銀髪の青年の物語は人々に語り継がれることになる。
どこかの地で派手な夫婦喧嘩を収めてみたり、旅先で出会った王女様を拾ったり、うっかり英雄扱いされたり、学校開設に手を貸してみたり……。
さまざまな困難に見舞われた二人の旅路だったが、彼女が危機に見舞われれば、いつでもやさしい焔が彼女を守ったと言う。
二人の活躍の話に尾ひれはついてそれは広がり、いつしか二人の物語は国で語り継がれた。
「愚鈍姫」
そう名付けられたその物語は、どうして姫が愚鈍とよばれたのか、その部分だけがすっぽりと抜け落ちてしまっていて、後世の人々は大いに首をひねったのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
このあと数話、後日談を更新すると思います。
ちなみに、「嘘だらけの契約恋愛」という他の作品と少しリンクしていて、そちらの番外編でも、ちらりと二人がでてきますのでよろしければご覧ください。




