六
6/15更新の分が、二話同時更新になっていたので、四を読んでいない方はそちらを先にお願いします……。
「ヘルミーナ!」
銀色の髪の少年は叫んだ。
妹が死んでいる。
妹の隣では父が血まみれになって倒れていた。
場面が切り替わる。
初めて会った金色の髪のお嬢様。
のんきに笑って、幸せそうなお嬢様がそこにはいた。
自分の父兄の悪事で人の家庭を壊しておいて、その身内のこの女は、こんなにも平穏に生きているというのか。
ゆっくりとした動作の呑気なお嬢様は、この世の地獄など触れたこともないような純真さでそこにいて、レオを酷く苛立たせた。
憎くて憎くて、その場で殺してやろうかと思ったレオは、ひそかに忍ばせていた短剣に手をかける。
しかし、その瞬間、自分の中から声が降ってきた。
――殺しちゃいけない。たとえ夢でも。
「っ!」
レオは飛び起きた。
夢に見たものがあまりにもリアルだった。妹の固くなった体の感触が手に残っているようだった。父を失った悲しみ。
すべてを奪ったものへの怒り。
レオが助かったのは、ひとえに彼が焔呼びだったからだ。
「殺そうと、してたな……」
今日が実行日だと思っていたら、どうやらいろいろなことを考えてぐしゃぐしゃになってしまっていたらしい。
お嬢様を殺そうとした最初の衝動まで思い出すとは思ってもいなかった。
あの時は、彼女を大切に思う日が来るとは思いもしなかった。
ブレイハ家に身を置き、伯爵や伯爵家の長男へ向ける憎悪は増していくのに反比例して、彼女への憎しみは薄らいでいった。
その複雑な感情の動きは、自分にもコントロールできるものではなかったのだ。
そして、あの時には想像もできなかったことだが、今のレオは、夢の中であっても、彼女を殺さずに済んだ自分に、心から安堵していた。
彼女の死を、夢の中であっても体感することは耐えがたいことだった。そしてそれは、復讐を決意しているこの現実でも、絶対に許す気のないことだった。
レオは夢を思い返すのをやめると、身支度をして、お嬢様の部屋へと向かう。
するといつもならまだ眠そうな顔をしている彼女は、今日は完璧に準備を済ませてレオを待っていた。
「お誕生日おめでとう。レオ」
「ありがとうございます」
「プレゼントは、もう少しだけ待ってねぇ」
どんな心境の変化なのだろうか。
いつもは結っていない髪を美しく結いあげ、あまり身にまとうことない装飾品までつけている。侍女がやるといっても断る彼女なのに、今日の装いはまるでどこかのパーティにでも出かけるかのようだった。
「失礼します。旦那様がお呼びです」
部屋に入ってきたアイラがそう告げた。
「お父様が……わかったわ。悪いけどアイラはぁ、庭師に声をかけてきてぇ。それで、わかるからぁ」
「かしこまりました」
そういってアイラが出ていくと、彼女は大きく息を吐いた。
「朝から気合を入れて、疲れたわぁ」
彼女がのんびりとした口調でそういうと、レオの方を向いた。その大きな青い瞳がこちらに向けられた瞬間、言いも知れない何かが胸をよぎった。
それは一瞬の沈黙。
しかし空白のその時間に、レオは何故か彼女と初めて会った時のことを再び思い出していた。
憎しみ、恨み、怒り……。
それら全てを隠しきることなどは到底できずに、彼女と対峙していた。自分の主である以上に、彼女も仇の一人なのだと思い込んでいたのだ。
それが今、三年という時を得て、全く違う形の想いを抱いている。それはある意味でレオの行動を制限するものだったが、決して不快なものではなかった。
「……行かなきゃ」
ぽつりとつぶやかれた一言でレオは現実に引き戻された。彼女が珍しく先に歩き出したので、レオもそれに黙って従う。
彼女の歩調が、なぜかいつもよりも早い。
そうして伯爵の執務室の前に行くと、レオは前に出た。
そして一度ノックしてから扉を開けた。
「押さえろ!」
叫び声が聞こえてレオはとっさに後ずさろうとしたが、両腕をつかまれて抑え込まれ、そのまま部屋の中央へと引きずられる。
部屋の中にはブレイハ伯爵とドミニク、そしてレオを抑えるために用意されただろう男二人がいた。
「かかったな。どうだ気分は? お前のやろうとしていることは、わかっている」
ドミニクがそういうと、レオの前に数枚の紙の束を投げた。
それが目に入った瞬間、レオは自らの終わりを悟った。
――すみません、マルティナさん、ラーシュさん。
心の中でまっさきに謝ったのは、自分を助けてくれた夫婦だった。彼らがいなければレオの復讐はここまで形にはならなかっただろう。
彼らは自分を利用すると言っておきながら、どこまでも自分に紳士的で、本当の両親のようにレオを助けてくれていた。
「まさか、娘の従者に裏切られるとはな。それをわからん娘も娘だが」
どうやら伯爵は、どこからかレオの裏切りに気づいていたらしい。部屋を探したのだろう。彼が伯爵家を告発するためにレクセル家に書いた報告書の下書きが、目の前にばらまかれていた。
これはレオにとって最悪のシナリオだ。たとえ裏切りがばれても、レクセル夫妻には迷惑をかけまいと誓っていたのだから。
逃げ道はないかと視線をめぐらせるが、少し動いた段階で、右腕をつかんでいた男に剣を突きつけられてしまった。
「ズドラジルの長男が生きておったとは思わなかった。なあ、わが娘よ? しかもレクセル侯爵までも一枚噛んでおったとは」
「……」
押さえつけられているレオには、お嬢様の表情はわからない。
彼女は一体どんな表情をしているのだろうか。驚きか、怒りか、あるいは失望か。いまのレオが願うのは、間違っても彼女が自分を庇うことで、この家での立場を悪化させる、なんてことは回避したいところだった。
お願いだから、失望していてほしい。怒りでもいい。自分を助けようなんて思ってくれるな。復讐が失敗に終わった今、レオにとって彼女を守ることができさえすれば、描いていた最悪のシナリオは避けられる。
彼女は黙り込んでいたが、部屋の中に入ったようだった。足跡が近づいてきている。
そして彼女は歩いてくると、レオの視界に入るところまで来た。するとドミニクが暗い笑みを浮かべて彼女に近づいた。
「気分はどうだ、愚鈍姫。唯一の味方に裏切られたな」
そして彼は大きく手を振りかぶって叫んだ。
「気づかないお前も同罪だ!」
彼の手が彼女にぶつかる寸前、レオは体中に熱が集まってくるのを感じた。
何も考えられず頭が真っ白になる。
ただそこにあるのは、純粋な怒りだった。
「うっ!」
大きく振りかぶられたドミニクの手には、焔がまとわりつくようにして揺らいでいた。それは徐々に彼の皮膚を焼いてゆく。
「伯爵! 外が!」
自分を抑えている男の一人が叫び、レオもまた窓の外を見る。
どうやら屋敷が焔に包まれているようだった。
レオの怒りが、屋敷を燃やしているのだ。
このまま焼き殺してやろうか、そんなことをレオは考えた。証拠は取り上げられた。それならば、もうそれごとすべて葬り去ればいい。自分も焼死ねば、人殺しの罪に問われることもない。
そんな風に怒りに飲み込まれて何も考えられなくなった瞬間、長いスカートのすそが翻った。
「逃げろ! 急げ!」
突如、炎に包まれたブレイハ家からは、家の中にいた使用人たちが続々と逃げてきていた。自分たちの主人がまだ中にいるとは思いもせず、みな自分の身を守るためだけに走る。
屋敷の庭には多くの使用人が集まり、消火だ、逃げろ、と混沌とした叫び声が飛び交っていた。誰も正常な判断をすることができない。
小さな火が燃え広がったのではない。急に大きな炎が屋敷を包んだのだ。
「中央騎士団のアレンだ。何があった!?」
そんな混乱の中、四人の騎士が駆け付けた。彼らの目的は屋敷の消火ではなく、伯爵の捕縛だったのだが、そんなことを言っていられる状態ではなさそうだった。
「わかりません。ただ、急に燃えて!」
使用人の一人が叫ぶようにして言葉を返す。
「……雨?」
そんな混乱の中、雨雲もないというのに、どこからともなく水が彼らの頭上に振ってきた。それは決して火事を完全に消し去るほどのものではなかったが、これ以上燃え広がらないようにするには十分すぎるほどの雨だった。
「けが人は?」
「使用人は全員無事です! ただ……伯爵一家がまだ……」
この屋敷の大きさで、使用人が全員無事というのは奇跡に近い。しかしこの図ったような雨といい、誰かがこの火事をうまく調節しているようだった。
「まさか……」
アレンは真っ先に馬からおりると、使用人の一人を呼び止める。
「この家に、アイラという名前の侍女はいるか?」
「アイラ? アイラは私です!」
「君が?」
まだ馬上にいたセディは驚いたように問い返す。
彼女は金髪碧眼であり、背丈も同じくらいではあったが、四人が会ったことのあるアイラとは全くの別人だったからだ。
「この家にほかにアイラはいるか?」
「他に……?」
本物のアイラは考え込んだ。すると横にいた別の使用人が、何かを思いついたとばかりに声を上げた。
「あ」
「なんだ?」
「リリアナお嬢様はアイラです!」
「は?」
意味が分からず問い返したルークに、彼女は叫ぶようにしていった。
「だから、お嬢様はリリアナ・アイラ・ブレイハというお名前なんですよ!」
三人はしばしの間固まっていた。
まさか告発してきたのが、伯爵家の令嬢本人だとは思いもしなかったためだ。偽名を使っている可能性は考えていたが、ミドルネームとは予想外だった。
「お嬢様は、どうやらあまりリリアナというお名前が好きではないようなのです」
侍女のアイラとは別の使用人が横から口を挟んだ。
「好きではない?」
「はい。私はお嬢様が自ら”リリアナ”の名前を名乗ったことを聞いたことがございません」
「アイラという名前は――」
「――母君がつけた名前です」
「リリアナは伯爵が?」
「……そういうことになっております」
アレンはそれを聞いて何かに気づいたようだった。目を大きく見開いて、そして大きく舌打ちをした。
「あの女、死ぬ気だな!」
「え、隊長!」
そして、周りの人間がそろって止めるにも関わらず、燃え盛る屋敷へと走って行ったのだった。




