第8話 チセ―An Education/04
本作は『電界駆動 ブレード ― データの少女は仮想世界で夢を見るか?』を一部固有名詞の変更と話数の並びを変更、改訂を行なったものです。
少しでも読みやすくなってれば幸いです。
【Flashback】
気づいた時、わたしは個人用ライナーの革張りシートに座っていた。
アジエに「お出かけ用」として服を着せられ、何がどうしてこうなったのか、頭はまだ追いついていない。
スカートは腿の半ばまでしかない黒いレザー。
下着はわたしの常識を軽く越え、胸当て――。
ブラというらしい―― は胸を持ち上げて形まで変えてしまう。
渡されたシャツはへそが出るほど短く、胸の谷間が明確に浮かぶ。
(……これ、ほんとにわたしの身体……?)
そもそもの発端は、お風呂から出た直後の下着問題だった。
◇
「……おっ、おまえ…… 何してる……」
風呂前に穿いていた下着をそのまま穿き直した瞬間、アジエの声が震えた。
「何って…… 下履き」
怒鳴られて固まるわたし。
「替えは?」
「……これしかないよ…… リセットしたよ…… 臭くないもん……」
「そこじゃねぇ! なんでブランド偽造する奴が、ブラとパンティ、1つしか持ってねーんだよ!」
そのままアジエは下着姿のまま、ためらいゼロで柳橋に通信をつなぎ、わたしは下履きを半分上げたまま固まっていた。
空間に浮かぶ柳橋は、キャプテンシートに座り本を読んでいた。
アジエの下着姿にも、まったく動じない。
「なんだ、お前…… 誘ってるのか?」
「チゲーわ、バーカ。預かりのチセの件! メカ触らせる前にこっちで調整あるから三日はかかるっての!」
「三日? ……まあいいけどよ。 んで悠はどうすんだよ?」
「ハンガーのドックの端っこに小型作業用CFがあんだろ。 しばらく、あれで宅配でもやらせとけ!」
柳橋はめんどくさそうに片手を振った。
「はいはい。好きにしてくれ」
しかし、その視線がふっと動いた。
アジエの背後でパンツを上げかけのまま、固まっているわたしと、目が合ってしまったのだ。
「あー…… ガキのわりに発育いいじゃねぇか」
「うひゃぁぁぁぁ!」
胸を抱えてうずくまるわたし。
「見てんじゃねーよ! このアホが!」
アジエはそう怒鳴ると、通話を切った。
通信が切れる直前、柳橋の「いや、俺のせいじゃねーだろ」という声が聞こえた。
そのあと、半泣きのまま、アジエにに着替えさせられ、近くのラーメン屋に連れていかれたものの……。
終始、アジエの怖い沈黙に耐えるだけで味なんてまるでわからなかった。
◇
翌朝。
巨大リビングに現れたアジエを見た瞬間、わたしは息をのんだ。
渦巻き模様のグリーンのワンピース。
体のラインが完璧に出ているのに品がある。
髪はまとめられ、太いヘアバンドと同色のグリーンのサングラス。
まるで映画から抜け出してきたような存在感だった。
(……だれ? 本当に昨日のアジエ?)
圧倒されているところへ、アジエが指を鳴らした。
「ホラ、あんたもそこにある服に着替える!」
ソファの上には、下着から服まで一式が揃っていた。
「あたしのお古だけどサイズちょいどいいと思う。 今日のところは、それがあんたのヨソ行きね」
サングラスをずらして笑うと、あの風呂場でのイタズラっぽい目つきに戻る。
「さぁチセ。――楽しい、楽しい、お出かけだよ」
◇
――そして今、わたしはまたアジエに引っ張られ、このリムジンの中に座っている。
窓の外では、HODOの層構造がゆっくりと縮んでいく。
リムジンは大きく旋回しながら高度を上げ、街全体が俯瞰の風景へ変わっていった。
「ねぇ…… どこに行くの?」
落ち着かない服装のせいで腕の置き場に困りながら尋ねると、アジエは口紅をしまい、にやりと笑った。
「パシフィックゲート第5区画。 商業エリアの中心。 どうせ行くなら一番派手なとこでしょ?」
アジエが窓の外を指さす。
わたしもその肩越しに外を見る。
巨大な構造体の群れが、雲の上へ伸びあがるように重なっていた。
HODOの広さとは別種の、圧倒する高さがそこにはあった。
連絡通路、空中庭園、浮遊プラットフォーム。モノレールとライナーが蜘蛛の巣のように立体交差し、そのすべてが光の線で縫われている。
「……これが全部、第5区画?」
「そ。 元はメサイア社の移動要塞。 今じゃ都市そのもの。 もう船だった頃の面影なんてほとんど残ってないけどね」
元要塞の都市――。
これがかつては軍艦だったというのか……。
エクス=ルクスが砂粒みたいに感じられるスケールだ。
リムジンはその迷路の奥へゆっくりと降下していく。
「で、今日行くのが―― あそこ」
アジエが顎で示した先、雲の切れ間から塔が現れた。
はじめはただの高層棟に見えた。
けれど高度が下がるにつれ、それが建物の概念からはみ出していることがわかってくる。
重々しい基壇、門を守るように据えられた翼獣。
中心の大扉の前には、人の形をした無表情な守人が整列している。
だが視線を上へ向けた瞬間―― わたしの認識は大きく揺れた。
塔はねじれていた。金属とガラスの蛇が空へ向かって昇っていくように。
表面を走る光の筋は、文字とも回路図ともつかず、まるで眩暈のような装飾を作り出している。
最上部には光の輪が浮かび、時を刻むように脈動していた。
さらに左右には、異形の構造物が絡み合う。
建築というより、風景そのものが折り畳まれたような密度だった。
「――銀蘭堂ミッドブロック。 正式名称ね」
アジエの声が、わたしの耳にゆっくり染みていく。
「銀蘭堂……?」
「パシフィックゲート随一の名門。 ラグジュアリーの殿堂。 値札にゼロが並びすぎて笑う場所」
「……買い物するところ、なの?」
「まぁ、買い物もできる異常建造物って言った方が早いかもね。 チセなら、絶対楽しめると思うよ」
楽しめる―― ?
その言葉の意味をまだ飲み込めてはいなかったが、胸の奥が少しだけ高鳴った。
リムジンは銀蘭堂ミッドブロックの正面に静かに降り立つ。
側面のドアがゆっくりと上へ持ち上がり、風が流れ込んだ。
「チセ、行くよ」
アジエが迷いなく歩き出す。
わたしは裾をつまんだまま、数秒だけ躊躇い――。
そして覚悟を決めて降りた。
「レディ・ジンガノ、ミス・チセ。 いってらっしゃいませ」
ジーブスの落ち着いた声が背中を押す。
リムジンは再び浮上し、静かに空へ溶けていった。
緑色の大扉の前に立つと、同じ色の帽子とコートを身にまとった守人が、わたしたちのためだけに扉を開ける。
その瞬間、わたしは言葉を失った。
光、音、匂い。
圧倒的な過剰だけが支配する空間――。
(……これが、銀蘭堂)
ようやく、その名前の意味が少しだけ掴めた気がした。
だがこれは、まだ入り口にすぎなかった。
【Present Day】
――あれから一年。
銀蘭堂ミッドブロックという異常建造物に初めて足を踏み入れて震えていたわたしは、もうどこにもいない。
今ではあの空間に飲まれずに歩けるし、カタログやイベントの撮影で何度も足を踏み入れている。
だからこそ、アジエのランジェリーイベントの誘いも自然に耳へ入った。
「イベントって…… アルデンの企画?」
「そう、それ。あいつ、鬼電で『チセ来るわよね!?』ってさ。 相変わらずウゼぇくらい元気だわ」
その様子が目に浮かんで、わたしは苦笑した。
銀蘭堂外商部を取り仕切るアルデン・マストロヤンニ――。
見た目はコテコテのナポリ野郎なのに、口を開けば気高いオカマのモード評論家。
最初はあまりの落差に驚いたけれど、今では、彼がこの街でいちばんモードを愛する純粋な人間だと知っている。
「で、アルデンがさ。また頼めないかって」
「……まさか、今回の企画の?」
「そ。 ランジェリー特集。 あんたご指名―― はい拍手」
「えぇー…… ランジェリーはちょっと……」
困るわたしを見て、アジエは口角を上げた。
「いいじゃん。 あたしが保証するよ。チセなら絶対イケるって。 それに、アルデンの頼み断るとか無理っしょ?」
まったく、アジエはいつもこうだ。
軽口の裏に本気を混ぜて、わたしを次へ押し出してくる。
「まーでもさ。 あたしが銀蘭堂に連れてったときは、まさかチセがイベント広告とかカタログの表紙とか飾るとは思わんかったわ。ビビるって」
「……それは、わたしも」
顔が熱くなって俯いてしまう。
本当のところ、アルマナックのメカニックだけで生活できるほど世の中は甘くない。
アジエは例外だけれど、普通は副業がいる。
そんな中、わたしがなんとか自立できているのは――。
そう、あの時だ。
銀蘭堂に初めて行き、アルデンと出会った、あの日。
アジエの思いつきに振り回されて、ただ圧倒されて、右も左もわからず……。
けれど、あの出会いがわたしの現在を作った。
(……アルデンとの最初の出会い。あれは――)
記憶が静かに巻き戻っていく。
【Flashback】
たった数歩進んだだけなのに、空気の密度が変わった。
景色のレイヤーそのものが塗り替えられたような錯覚におそわれる。
エントランスホールの先――。
そこは、わたしの知る店という概念を簡単にぶち壊す空間だった。
天蓋は透明なガラスのアーチ……。
のように見えて、内側から光が滲み出ている。
天井なのか、空なのかすら判別できない。
虹色の霧が垂れ、植物の柱が彫刻のように濡れていた。
階層は幾重にも重なり、ビル十棟分の吹き抜けがそのまま一本の空洞になったような奥行き。
浮遊式エスカレーターがゆっくりと揺れ、香りのレイヤーが歩くたび変わる。
(……さっきのは、ただの入口だったんだ……)
呆然と立ち尽くしていたその時。
「アジエ~~~ン! ちょっと、やだぁ! サプライズにも程があるってばぁ!」
頭上の回廊から、甲高い声が降ってきた。
振り返る間もなく、小柄な男がカツカツと軽快に駆けてくる。
後ろには、まるで随伴艦のように部下らしき二人が従っていた。
背は高くないのに、存在感が異様にデカい。
日焼けした頬の深い笑いジワ。
肩の張ったジャケットと鋭角に絞られたウエスト。
派手なネクタイと金縁のチーフが、動くたびに光った。
――そして何より、喋り方が柔らかい。
男なのに、声の丸みが驚くほど自然で、耳に残る。
「ちょっともう~、連絡ナシとか水くさっ! わたし昨日まで南棟の展示会で死んでたのよぉ?」
アジエを見つけた瞬間、両手を広げて勢いよくハグ。
アジエも当然のように受け止め、軽く抱き返す。
(……この人、何者……?)
「連絡なしで悪いね、アルデン。 急に思い立っただけだから」
「や~め~て~。 うちの特大VIPをスルーしちゃったら、わたし、上から詰められるのよ?」
アルデン―― そう呼ばれた男は、ようやくわたしに視線を向けた。
その瞳が、まるで宝石を検査する鑑定士のようにキラリと細まる。
「あーら、珍しい。アジエがお連れ様付きだなんて」
興味津々、というより、獲物を値踏みする目。
でも柳橋と違って、刃じゃなくて熱を感じる。
暑苦しいぐらいの。
「ちょっとアジエ、この子だれ? ゴイスー、じゃないの。 謎の事務所の新人さん?」
「はっはっは、まぁそんなとこ。 チセっていうの。よろしく」
「チセちゃん……っ! キュートな名前! アジア系のミューズ少ないのよねぇ。 これは……伸びるわよ?」
(……何を言ってるのこの人……)
「で、今日はどうするの? アジエ好みのイベントは、いまは無いけど?」
「チセにいろいろ欲しいんだよねぇ。こいつ、自覚ねぇからさ」
アジエがサングラスをおでこに上げ、わたしをジロッと見て、にやっと笑う。
「あー、アルデン。 試着室使わせて。 ついでにチョイス頼めると助かるんだけど?」
その一言で、アルデンの顔が爆発した。
「いいの!? もちろん! VIPエントリーでご案内だわよ!」
次の瞬間、アルデンはスッと距離を詰め、わたしの手を握りしめた。
「よろしくねチセちゃん。 今日は全力でお世話しちゃうから。 わ・た・し、気合い入れちゃうわよ?」
さっきまで丸い声だったのに、背後へ振り返った途端――。
「グズグズしてんじゃないわよ! まず動線確保! 次にアプローチリストの確認! 最高のラインナップで迎えるのよ、おわかり!?」
声が、豹変していた。
鋭く、野太く、組織を動かす人間のそれに。
「テナントのマネージャ、今すぐ呼び出し! スタイリストも全部かき集めて! ミーティング始めるわよ! はい、散った散った!」
部下たちは「イエス・サー!」と叫んで走り去る。
(……なんか、すごい流れになってきた……)
圧倒も困惑も追いつかないまま、わたしは銀蘭堂の内側へ踏み込んでいた。
読んでいただき、ありがとうございました。




