8話 ラーガストの末王子
『おれ、ミットーさんちの子ににゃる!』
『ならーんっ!!』
ネコファミリーに、突如激震が走った。
この前日、私の手によりネコから引き剥がされたゴルフボール大の毛玉。
うっかりミットー公爵の左袖に潜り込んだままお持ち帰りされてしまったそれは、一夜明け、劇的な変身を遂げて私達の前に現れたのである。
『おれ、ミットーさんが寝てる間にいーっぱい食った。食えるだけ食った。そしたら──こうにゃった!』
にゃんっ! と元気いっぱいに鳴いたのは、小麦色の毛並みにヒョウのような黒い斑点のある、ベンガルを彷彿とさせる子だ。
この世界に生息する大型の猫っぽい動物レーヴェにもそっくりらしい。
サイズ的には、ベンガルとしてなら成獣だが、レーヴェならば幼獣といったところか。
『かつてレーヴェとやらの飼育に失敗した後悔が、あの公爵の中で幅を利かせとったんじゃろうよ。一晩中あやつに張り付いて負の感情を食ら尽くした、我の子の姿形に影響が及ぶほどにな』
ネコはしっぽでバンバン床を叩きながら、不機嫌そうに言う。
決定打となったのは、今朝になって毛玉の変貌に気づいたミットー公爵が、手放したレーヴェの名を与えたことだった。
『おれ、〝チート〟ににゃった。前のヤツの分まで、ミットーさんと一緒にいるにゃ!』
『許さーんっ!!』
『うるせーにゃ! 母ちゃんがダメっつっても、ミットーさんちの子ににゃるしっ!』
『おおお、おまえええっ……生後一日未満で、もう反抗期かいっ……!!』
などと怒鳴り合いながら、〝ブリティッシュロングヘアっぽいの〟対〝ベンガルっぽいの〟で、猫パンチの応酬が始まった。
通り掛かった人々は、とたんにほっこりとした表情になる。
ネコ語を解さない彼らには、ただモフモフが戯れ合っているだけのように見えるのだろう。仲良しねぇ、なんて見当違いの感想まで聞こえてくる。
先に生まれていた五匹の子ネコも、一夜にして強烈な個性を手に入れた末っ子に興味津々だ。
ミーミー、ミーミー、賑やかな彼らを抱えつつ、私はヒートアップする親子喧嘩におろおろする。
「ちょ、ちょっと、落ち着いてよ。ケガするってば……」
『もらったにゃー!』
『へぶっ……!!』
そうこうしているうちに、末っ子チートの右フックが顔面に入り、ネコが後ろにひっくり返った。ベンガルっぽいだけあって、チートは手足が長くて筋肉質なのだ。
おおっ、と観客からどよめきの声が上がる。
『母ちゃんの分からず屋っ! 報告しにきただけだから、おれ、もう行くにゃっ!』
チートはそう捨て台詞を吐いて、軍の施設のある方へと走っていってしまった。
きっと、ミットー公爵のところに戻るのだろう。
一方、生後一日未満の我が子にノックアウトされてしまったネコはよほどショックを受けたのか、仰向けに転がったまま微動だにしない。
私の腕から飛び下りた子ネコ達が、ミーミーと鳴きながら硬直した母の顔を舐めまくる。
心配そうな周囲の視線に急かされ、私は仕方なくネコを抱き上げた。
「えーっと……まあ、元気出しなよ。自立心の高い子で、頼もしいじゃない」
『ううう……我は、あいつが生まれてまだ数秒しか一緒に過ごしとらんのに、あんな人間のおっさんに掻っ攫われるなんて……』
「でも、ミットー公爵閣下は甲斐性のある方だし、ミケと一緒で立場上悩みが多いだろうからあの子も糧には困らないんじゃないかな? そんな心配しなくても……」
『心配なんぞしとらーんっ! この我を差し置いて、あんなおっさんに懐くのが気に入らんと言っとるんじゃあっ!』
ネコがにゃーにゃー喚いて八つ当たりをしてくる。
眉間に肉球スタンプを押されて非常に迷惑していると、ふいに自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「タマコさーん! よかった、ここにいらっしゃったんですねー!」
息急き切って廊下の向こうから駆けてくるのは、顔見知りの若い侍女だ。
運悪く侍従長に見つかって、廊下は走らない! と叱られ、途中からは早歩きになって私のもとまでやってきた。
「こんにちは。何かありましたか?」
「それがですね……あ、その前に! ネコさんだっこしていいですか?」
「どうぞどうぞ」
「ありがとうございます! ……ふわぁ、キマるわぁ!」
ネコは、合法ドラッグか何かなのだろうか。
お腹のモフモフの毛に顔を埋めてひとしきりネコを吸った侍女は、さっきより頬をツヤツヤさせながら本題に入った。
「タマコさん、少しお時間をいただけませんか? ──トライアン様が、昨日の夜から食事を召し上がってくださらないんです」
*******
正午を前にし、廊下の窓から見える空が濁った色の雲で覆われ始めていた。
『ふん……ヒゲが湿気ってきおったわい。珠子、雨が降っとるんじゃないか?』
「まだみたいだけど……降りそうではあるよね」
私に抱っこされたネコが、ブツブツ文句を言いながら前足で顔を洗う。
私の肩や頭に乗っている子ネコ達も、一斉に真似をし始めた。
猫が顔を洗うと雨、というのは迷信ではなく、ヒゲが空気中の湿気を敏感に感じ取っているせいなのだとか。
先ほど声をかけてきた侍女とともに、私とネコ達は王宮の一角にある部屋を訪ねた。侍女は、籐のバスケットを抱えている。
もともとここには、二日に一度は顔を出すようにしているため、扉を守る衛兵の厳めしい顔がネコ達を前にしてとろけるのにも見慣れたものだ。
昨日の午前中も私と一緒にここを訪れていたネコは、これ見よがしにため息を吐いた。
『珠子よ……お前、ここに顔を出しておること、あの王子に言っとらんだろう? バレたら絶対にいい顔をせんぞ』
「それがわかってるから、ミケには黙ってるんじゃない。国王様から直々に頼まれたことだから断れないし、そもそも、私もあの子のこと心配だし……」
私の言う〝あの子〟は、衛兵が扉を開いたとたん、ぱっと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「──タマコ!」
「トラちゃん、こんにちは。お加減いかが?」
所々黒いメッシュの入った銀髪がサバトラ猫っぽい、中性的な容姿をした少年である。
十五歳になるらしいが、まだ声変わりも終わっておらず、白いシャツと黒いズボンに包まれた体は随分と華奢だ。
(成人しているミケやムキムキの将官さん達に見慣れているから、ますます繊細な感じに見える……)
私はそんな彼の長めの前髪を掻き上げるようにして、額に触れた。
蜂蜜みたいな金色の瞳が、私の一挙手一投足を見つめている。
「熱は……ないのかな。昨日の夜から食べていないって聞いたけど、どうしたの? お腹痛い? ロメリアさんに診てもらおうか?」
「いやだ! あの公爵令嬢はなんか怖いから、絶対いやっ! 熱もないし、お腹も痛くない!」
「ロメリアさん怖くないよ、おもしろいよ? いや、でも……ご飯が食べられないのは心配だなぁ」
「……食べられないんじゃなくて、食べたくないだけだよ。だって、部屋に閉じ込められてて退屈なんだもの。お腹なんか空かないよ」
唇を尖らせながらも、甘えるみたいに私に擦り寄ってくる少年の名は、トライアン・ラーガスト。
ベルンハルト王国との戦争に敗れた、ラーガスト王国の末王子である。
『図太い小僧じゃ。捕虜になって敵国の王宮に軟禁されとるっちゅーのに、悲壮感も何もあったもんじゃないな』
ネコが何やら憎々しげに呟いて、私の腕から飛び下りた。
トライアン王子──トラちゃんの方も、ネコや子ネコ達には見向きもせず、そのくせまるで猫が戯れつくみたいに私の肩に頭を乗せてくる。
半年前に初めて対面した時は、私より背が低かったはずなのに、いつの間にか目線の高さが同じになっていた。きっと追い抜かれるのも時間の問題だろう。
そんな成長期真っ只中にある子が食事を抜くなんて、よろしくない。
「退屈しのぎになるかどうかわからないけれど、昼食用にいろいろバスケットに詰めてもらったんだ。トラちゃん、少しでもいいから食べてみない?」
「……うん」
トラちゃんの世話係である侍女から相談された私は、軟禁生活に飽き飽きしている彼が楽しめる食事はどのようなものだろうと考えた。
そうして思い付いたのが、巻き寿司ならぬ巻きサンドイッチだ。
侍女が抱えているバスケットには、その一式が詰め込まれていた。
「薄切りにした四角いパンに好きな具材を載せて、くるくる巻いて食べるの」
「へえ……おもしろそうだね」
「王宮の厨房にお願いして、具材もたくさん用意してもらったんだよ。生野菜に燻製肉、チーズやフルーツ、ディップもいろいろ! トラちゃんは何が好きかな?」
「僕、食べられないものはないけど……好きなものも特にない、かな……」
好きなものはない、とは随分と寂しいことを言うものだ。
私はたまらず、自分の肩に乗っているトラちゃんの頭を撫でた。
すると、でも、と彼が小さく呟く。
「タマコが食べるなら、僕も食べようかな……食べ終わるまで、一緒にいてくれるでしょ?」
「うんうん、もちろん一緒にいるよ! 一緒に食べようね!」
まだ幼さの残る少年のいじらしい言葉に、私は大きく頷いて返す。
一方ネコは、私達の足下でフンと鼻を鳴らした。
『あざとい小僧め。恥ずかしげもなく珠子に依存しおって』
「タマコ、いい匂い……なんだかほっとする……」
トラちゃんは、ミケやロメリアさんと同じく、ネコ達のフェロモンが効かない代わりに私の影響が及ぶ体質だった。
ミケと同じようなこと言いつつ、またたびを前にした猫のごとく擦り寄ってくる。
甘えん坊の弟ができたみたいで可愛くて、私はまたトラちゃんの髪を撫でた。
その際、黒い綿毛も払い落としたのだが、トラちゃん本人にも、世話係の侍女にも見えてはいない。
「「「「「ミーミー! ミーミーミー!」」」」」
一方、嬉々としてそれにぱくつく子ネコ達を尻目に、ネコはさっさと窓辺に移動してしまった。
末っ子チートに反抗されてご機嫌斜めなのもあるが、そもそもネコはこの部屋に来ることに──もっと言うと、トラちゃんに対しても好意的ではないのだ。
そのため、私をジロリと見ては、ブツブツと文句を言い始める。
『まったく! 珠子の図太さには呆れるな! よくも、平気な顔をしてそやつと会えるもんじゃ! 忘れたわけではあるまい! なにしろ、その小僧は──』
その時だった。
バン! とノックもなく扉が開いて、驚いたネコがぶわわっと毛を膨らませる。
私は飛び上がりそうになり、トラちゃんもはっとした顔で扉の方を見た。
「──タマ、そいつから離れろ」
大股で部屋の中に入ってきたのは、ミケだった。
彼は、扉の前でおろおろする衛兵にも、慌てて頭を垂れる侍女にも目をくれず、一直線に私の方に歩いてくる。
そうして、二の腕を掴んで後ろに下がらせると、トラちゃんとの間に立ち塞がった。
トラちゃんは昏い目でミケを見上げ、どこか投げやりに呟く。
「僕がタマコと一緒にいるのが、許せないんだね。僕が──タマコを刺したから」
半年前。
ベルンハルト王国とラーガスト王国の最終決戦において、ミケを暗殺しようとベルンハルト王国軍本陣に飛び込んできたのは、トラちゃんだった。
彼の突き出したナイフは、ミケではなく、ちょうどその膝に異世界から転移してきたばかりの私に刺さったのである。




