6話 知りたくなかったこと
なみなみと、淡い琥珀色の液体がグラスに注がれる。
ミケが侍従長から掻っ払ってきてくれたのは、甘口の白ワインだった。
それと同じ色をしたまんまるの目が、至近距離から見つめてくる。ネコの目だ。
『おい……おーい? 珠子ぉ? 珠子やーい? お前、焦点が合っとらんぞ? 大丈夫か? 我のこのキュートな後ろ足、指は何本に見える?』
「……よんほん」
『いや、そんなわけっ……合っとるな』
「猫ちゃんの後ろ足の指は、四本ずつ……」
母親気取りのネコは、私が酔い始めているのに気づいてそわそわしている。
時刻は、午後九時を回ったところ。
場所は、王宮の奥も奥──王妃様のプライベートスペースである。
大きなテーブルの上には所狭しと酒の肴が並び、空になったワインボトルが何本も立てられていた。
その隙間をぴょんぴょんと跳ね回り、五匹の子ネコが追いかけっこをして遊ぶ。
テーブルは四脚の革張りのソファで囲まれており、ネコを膝に乗せた私はその一つの真ん中に陣取っていた。
そして……
「どうしたどうした、おタマちゃん! 酒が進んでいないではないかー?」
「まあ、おタマ。このわたくしの注いだ酒が飲めないなんて言いませんわよね?」
「ううーん、圧がすごいいい……」
アッシュグレーの髪と青い瞳のイケおじと、フランス人形みたいな美女に挟まれ、目下アルハラに遭っているところだ。
ミケの父親であるベルンハルト国王と、ミットー公爵令嬢ロメリアさんである。
今まさに私のグラスに白ワインを満たしたのは、後者だった。
『こぉら、おっさんとツンデレ娘! 国王じゃか公爵令嬢じゃか知らんが、珠子にこれ以上飲ませるのはやめい!』
「おお、何だい何だい、おネコちゃん? 君も飲みたいのかね?」
「だめですよやめてください猫ちゃんにアルコールは厳禁です飲ませようものなら国王様だろうとぶっとばします」
「わははは! わかったわかった、おタマちゃん! おネコちゃんには酒は飲ませません! 誓います! だから、息継ぎして!」
私を宥めた国王様は、ネコを抱き上げようとして高速猫パンチを食らっている。
一国の君主にもかかわらず、クリームパンみたいなおててに連打されて、むしろ嬉しそうだ。
反対隣に座ったロメリアさんは、ワイングラスを片手で回しながら、もう片方の手で私の髪を撫で回していた。
こちらはまるで、猫を愛でるマフィアのボスみたいだ。
私はそんな二人の間でグラスに口をつけようとしたものの、ふいに後ろから伸びてきた手にそれを取り上げられてしまう。
「タマ、酒は終いだ。父上もロメリアも、タマに無理をさせないでくれ」
私の代わりにグラスを空にしたのはミケだ。
王妃様と企画し、ロメリアさんとメルさんを誘って始まった女子会は、途中からミケと国王様が乱入してただの飲み会となった。
ミケと王妃様とメルさんの三人は、ザル。
一方、ロメリアさんはあまり酒に強くはなく、国王様もできあがっているように見えるが……こちらはなかなかの狸なので、本当のところはわからない。
私はというと、ワインを二杯飲んだところでほどよく酔いが回って、三杯目は今まさにミケに阻止されてしまった。
「かぁわいいなぁ、おタマちゃんは。もうおじさんちの子になってしまいなさい」
「うーん……じょりじょりする……ほっぺがすりおろされる……」
「おタマ、わたくしの妹の座も空いておりましてよ」
「わ……いいにおい……ロメリアさんのいもうとに、なりゅ……」
『こぉらあ、珠子! お前はこの我の娘じゃろうが! 珠子は、ネコちゃんちの子っ!』
「うん……わたしは、ネコちゃんちの……」
やんごとなき酔っ払い達とネコに、三方から迫られる。
見かねたミケが私の両脇の下に手を突っ込んで、彼らの間から引っこ抜いてくれた。
その拍子に私の膝から転がり落ちそうになったネコは、くるりと器用に体を反転させ、テーブルを飛び越えて向かいのソファに移動する。
そこに座っていたのは、ミケと同じ金髪碧眼で、清廉とした雰囲気の美女──この部屋の主である、王妃様だった。
「あらあら、いらっしゃいませ、おネコさん。撫でてもよろしいかしら?」
『うむ、くるしゅうない! 好きなだけモフるがよいぞ! ママ友同士、仲良くせねばなっ!』
「まあまあ、なんて素敵なモフモフ……癒されるわぁ」
『ぬははは! そうであろうとも! 我ほど愛すべきものは、そうそうおるまいっ!』
この日の昼間もハーブのキャンディを作っていたように、お菓子作りと薬草を育てるのが趣味な王妃様は、白魔女っぽい雰囲気がある。
彼女にもネコのダミ声は聞こえないはずなのだが、不思議と会話が成立していた。
ネコと穏やかに触れ合う王妃様に、国王様が子供みたいに唇を尖らせる。
「いいなー、いいなー、私もおネコちゃん抱っこしたいなー」
「うふふ、陛下はしつこく構うから嫌われるのですわ。おネコさんにも子ネコさん達にも──おタマちゃんにも」
「──えっ!? ま、待ってほしい! おネコちゃんと子ネコちゃん達は自覚はあるが……おおお、おタマちゃんまで!? おタマちゃん、そうなの? どうなの!?」
「いえ、別に国王様のこと嫌いじゃないですよ。しつこいとは思いますが」
メンタル超合金の国王様からは、糧となる黒い綿毛がほとんど収穫できないらしく、ネコ達に全く人気がない。
私のフェロモンしか効かないミケやロメリアさんも、モフモフ達からあまり期待されていなかった。
一方、王妃様とメルさんは明らかに彼らに好かれている。
二人とも常に穏やかで慈愛に満ちた微笑みを浮かべているため、一見負の感情とは無縁のように思えるが……
『表に出さずとも、いろいろ抱えとるようじゃなあ』
ネコはヘソ天で寝転がって甘えると見せかけ、王妃様の胸からポロポロとこぼれ出す黒い綿毛を食らう。
いつの間にか追いかけっこをやめていた子ネコ達もメルさんに集まり、四方八方から戯れつきつつ食事に勤しんでいた。
私は酔いでふわふわした心地の中、そんな光景をぼんやりと眺める。
「タマ、大丈夫か? ひとまず水を飲め。つまみは食うか? 何がいい?」
「ん……おとうさん……?」
「いや、お父さんではない。せめてお兄さんにしろと言っただろう」
『そうじゃぞ、珠子! 間違えるな! お前の親は、このキュートな我だけじゃろ?』
「あらあら、うふふ……可愛い妹ができてよかったわねぇ、ミケランゼロ」
母に揶揄われたミケはコホンとわざとらしい咳払いを返しつつ、小さなパンの上に野菜とチーズが乗ったピンチョスっぽいおつまみを私の口に入れる。
私もお返しに、彼のグラスにワインを注いだ。
視界の端では、子ネコまみれのメルさんもロメリアさんに軽食を勧め、さりげなくワインを飲むペースを抑えさせている。
上戸がストッパーを務めてくれているおかげで、酒に強くない私とロメリアさんも正体をなくすほど酔う心配はなさそうだ。
王妃様は逆に、よちよち歩いて隣に移動してきた国王様のグラスに、なみなみとワインを注ぎ足したが。
懲りずにネコを撫でようとした国王様は、やっぱり猫パンチを食らっていた。
ともあれ飲み会は、和やかな雰囲気のまま終わるかと思われた。
もう何杯目かもわからないグラスを空けた国王様が、王妃様の肩を抱いて思いもよらぬ話を振るまでは。
「いやはや、おタマちゃんが何事もなく回復して本当によかったな。素っ裸で現れた女の子が、倅に代わって凶刃を受けた、なんて報告を受けた時にはどうなることかと思ったがね」
「まあまあ、陛下……余計なことをおっしゃいましたわ」
私は、水の入ったグラスを取り落としそうになった。
ミケが受け止めてくれたおかげで床を濡らさずに済んだが、そのお礼を言う余裕もない。
「こ、ここ、国王様……? 今なんて、おっしゃいました……?」
「おタマちゃんが元気になってくれて、おじさんうれしーっ、と」
「じゃなくて! あの……は、はだっ、はだかって……私が、ですか……?」
「うん? そう聞いているが?」
ガツンと頭を殴りつけられたような衝撃に、ほろ酔い気分が一気に吹き飛ぶ。
王妃様の膝の上で顔を洗っていたネコが、にちゃあっと笑った。
『なーにを今更驚いておるか! 世界と世界の狭間で再生されたのは、我と珠子の細胞だけに決まっとろうが!』
「そんなっ……」
そんなこと、知らなかった。
服がログアウトしていたなんて──知りたくなかった!
「はっ……はずかしいいいいっ!!」
「タ、タマ、気にすることはないぞ? ほら、あの時は天幕の中もひどく混乱していたからな。誰も注視してはいな……」
「いいえ! わたくしはがっつり拝見いたしましたが? なんでしたら、手当のついでに全身隈なく検分して差し上げましたわ!」
「あああっ……ロメリア様、いけません! タマコ嬢、大丈夫ですよ? 私は、少ししか見ておりませんからね?」
わっと叫んで両手で顔を覆う私を、ミケが慌てて宥めようとする。
対するロメリアさんは胸を張って追い討ちをかけ、メルさんは必死にその口を塞ごうとした。
恥ずかしさがピークに達した私は、ミケの手からグラスを奪い……
「珠子、飲みまぁあああすっ!!」
「あっ、こらっ……!」
生まれて初めて、やけ酒を呷った。




