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もふもふの受難

「ふぎゃーっ!」


 凄まじい声が、ベルンハルト城に響き渡った。

 断末魔のごときそれは、ライガーサイズの大型肉食獣、元祖チートの悲鳴だ。

 彼は涙目になりつつ、鋭い牙を剥き出しにして喚いた。


『ひどい! ミケにゃんはひどい男だにゃん! 何の恨みがあって、こんなひどいことをするにゃっ!?』

「ミケにゃんってなんだ。あと、別に恨みはない」

『ねーさん! タマコ姉さん! 助けてほしいにゃん! ミケにゃんがおれに乱暴するにゃっ!!』

「おい、人聞きの悪い言い方をするな。──タマ、大丈夫だからな? そのまま離れていろ」

「は、はい……」


 ふぎゃーっふぎゃーっと喚いて暴れる元祖チートと、その爪や牙がうっかり私に届かないよう押さえつけるミケ。

 青空の下、彼らはともに泡だらけになっていた。

 というのも……


『まあ、三十年あまり野良を極めてきたそいつに、ノミがいない方がおかしいわな』


 私の腕の中で大欠伸をしつつネコが言う通り、元祖チートにノミがいることが発覚したのである。


王宮ここで生活したいのなら、おとなしくノミを駆除させろ。タマが噛まれでもしたら、たまらんからな」


 とかなんとか言って、ミケは山積みの書類もそっちのけで、元祖チートを丸洗いし始めた。

 おそらくは現実逃避も兼ねているのだろう。

 彼は、相変わらず終わりの見えない戦後処理に辟易していた。

 厩舎の前にある馬用の洗い場を使っているため、ミケの愛馬をはじめとする軍馬達が、なんだなんだ、と馬房から顔を出す。


『うにゃ……み、みんな見てるにゃ! 恥ずかしいにゃん!』

『自惚れるな、デカいの。馬どもが見ているのは、お前じゃなくてこのキュートなネコ様じゃい』


 もじもじし始める元祖チートと、謎に対抗心を燃やすネコをよそに、ミケは黙々と前者の毛並みを泡立てていた。

 その泡から逃れようとピョンピョン跳ねるノミを、子ネコ達が追い回して遊び出す。

 ネコや子ネコ達は異世界生物であるためか、ノミが付くことはないようだ。


『うにゃ……これはなかなか……結構なお手前ですにゃん……」


 そうこうしているうちに、シャンプーの泡にも慣れ、ノミが離れたことで快適さを覚えたらしい元祖チートが、ゴロゴロと喉を鳴らし始める。

 彼は、太くて長いしっぽをフリフリしながら続けた。


『しっぽの付け根がかゆいにゃん……それから耳の後ろとー、背中とー、右足のカカトとー……』

「注文が多いな。ここか?」

『うにゃ……もっと右……うにゃ、左……うにゃにゃにゃ! ミケにゃんはじれったい男だにゃあ!』

「やかましいわ! 丸刈りにしてやろうか!」


 などと元祖チートと怒鳴り合うミケを、厩舎係の若い見習い兵達がやたら心配そうに見つめている。

 彼らは、ミケがネコ科動物と会話ができるなんて知る由もないのだ。

 きっと、心労を極めたベルンハルト王国軍元帥閣下が盛大な独り言をかましていると勘違いしているのだろう。


「あのぅ、ミケさん……もうちょっと人目を憚った方が……」


 年若い彼らがベルンハルトの未来に不安を抱かぬよう、私が口を挟もうとした時だった。


「にゃうにゃう! うにゃーっ!」


 私の腕の中のネコが、ふいに大きく鳴いた。

 声だけ聞けば愛らしいものだから、見習い兵達はとたんにほっこりとした表情になる。

 しかし、私の耳に届いた実際のそれは……


『ぎゃーははははっ! なんじゃあ、デカいの! 何とも貧相でみっともない姿じゃなあ!』


 濡れた毛が体に張り付いて、随分とほっそりした元祖チートをこき下ろすネコの声だった。

 恨みがましげに見てくる元祖チートを鼻で笑い、ネコは胸を張る。


『それに比べて、見よ! 我のこの、もふもふふかふかふわふわな魅惑のボディーを!』


 そのブリティッシュロングヘアっぽい見事な毛並みを見て、わあと見習い兵達が感嘆の声を上げる。

 しかし、ここで私はあることに気がついた。


「あれ? ネコ、あなたの毛……」

『んー? なんじゃあ、珠子。母の毛並みに見惚れとるんか?』


 異世界転移の際にネコの成分が混ざったためか、私の視力は以前よりも飛躍的に向上している。

 それこそ、本来ならば人間の肉眼では捉えにくいものまで、容易に見つけてしまえるくらいに……


「ダニがいる」

『な、なぬぅ!?』


 異世界生物には、ノミは付かなくともダニは付くらしい。

 寝具や衣類に付くダニは、吸血をしない種類であっても、そのフンや死骸がアレルギーの要因になる場合がある。

 私の呟きは、ミケの耳にも届いたようだ。

 彼は泡だらけの手をネコに差し出して言った。


「よしこい、ネコ。次はお前を丸洗いだ」

『い、いいい、いやじゃ……!』

『ネコにゃんも、洗ってもらうといいにゃ。ミケにゃんはなかなかのテクニシャンだにゃ。もう机に張り付くのなんてやめて、おれの専属洗い係になるといいにゃ』

「そうだな──そんな日が早く来ることを願う」


 ミケが完全に執務机から解放される日が来るのは、まだまだ当分先のことだろう。

 その頃には、戦争に勝ったベルンハルト王国と負けたラーガスト王国──その人々の心の傷も、蟠りも、少しは薄れているだろうか。


「先のことなどわからん。私はただ、今できることをするだけだ」


 ミケはため息交じりにそう呟くと、あわあわの手でネコの首根っこを掴んだ。

 あわあわと前足で宙を掻くネコを見て、見習い兵達がおろおろする。

 ネコはミケに抗おうと、私の腕に両の前足を巻き付けて叫んだ。


『いいい、いやじゃあああ! た、珠子ぉ! 母を助けろーいっ!!』

「ミケに洗ってもらって、さらにもふもふふかふかふわふわになっておいでよ」

『こ、この……親不孝娘めーっ!!』


 ふぎゃーっ! と。

 さっきよりもまだ凄まじい声が、ベルンハルト城に響き渡った。

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