27話 情けは人の為ならず
朝食をご馳走になった後、私達は予定通り出立することにした。
目指すは当初からの目的地、総督府である。
「私が行方不明となってベルンハルト王国軍も動揺しているだろうが、ミットー公爵達なら予定通り総督府に向かうはずだ」
ミケは、迷うことなくそう断言した。
彼の部下達に対する深い信頼を目の当たりにし、私は感銘を受ける。
そんな私の腕の中では、ネコが牙を剥き出して大欠伸をしていた。
首の後ろにできた毛玉が気になってモミモミすると、胡乱な目で見上げられる。
異世界へ転移する能力を失った事実からは立ち直ったネコだったが、少々機嫌がよろしくない。
世話になった老夫婦は負の感情が少なかったため、ネコは昨日からほとんど食事がとれていないのだ。
『まったく、質素な生活に満足しおって。謙虚なじーさんばーさんじゃわい。あれしきの量じゃ、腹の足しにもならんわ』
「じゃあ、今までみたいにミケのを食べたらいいんじゃない?」
『いーやじゃ、気が進まん! よって、我は省エネモードに入る! 珠子は責任をもってこの母を抱っこしてゆけよ!』
「はいはい、仰せのままに」
ミケは相変わらず払えば払うほど黒い綿毛の出る身だが、ネコは積極的にそれを食べようとはしなくなった。
私の負の感情を食べないのと同じ理由だとすると、ネコは彼までファミリーに加えてしまったということになるが……。
そんなミケは今、老婦人の夫と握手を交わしているところだった。
「いやはや、おかげで一月は薪に困らん。ちょうど腰を痛めていたものだから、助かったよ。どうもありがとう」
「お礼を言うのは我々の方です。親切にしていただき、ありがとうございました」
私はというと、ミケの背後で、ネコを挟んで老婦人と向かい合う。
老婦人はさも名残惜しげにネコを撫で回した。
「ネコちゃん、もうお別れなんて寂しいわぁ。道中気をつけてね」
『うむ、ばーさんも達者で暮らせよ』
ネコは相変わらずご機嫌斜めだが、にゃあん、とかわい子ぶった声で鳴いて愛想をした。
わざわざ家の前まで出て見送ってくれた老夫婦の話では、日の高いうちに総督府まで辿り着けそうだ。
ネコは、老婦人の夫と向き合うミケの背中を眺めて気怠げに言った。
『ふん……王子のくせに、随分と腰の低い物言いをするじゃないか?』
「素性を隠してるんだもん。当然でしょ」
こぢんまりとした老夫婦の家の前には小麦畑が広がっているが、すでに刈り取りが終わった後のようだ。
畑の先には森があり、背後に山が連なっている。総督府はその山の手前にあるそうだ。
対して、ベルンハルト王国との国境は山を越えたずっと先にある。
つまるところ、ネコの転移により、私達は総督府を通り過ぎてしまっていたのだ。
そのためミケは、ベルンハルト王国軍と合流するよりも、総督府で彼らを待つ決断をした。
予定通りであれば、ベルンハルト王国軍も本日到着するはずだ。
「あそこの森では、時折獣が出るらしいから気をつけてお行きよ」
「人が襲われたって話は、今のところは聞かないけれど、念のためね」
すっかり乾いた元の衣服を身に着けた私達は、老婦人が焼いたパンも昼食用に持たせてもらう。
老夫婦の孫が私と同い年で、現在は総督府で働いているらしく、せっかくなので差し入れの焼き菓子も預かった。
そうして、いよいよ別れを告げようとした時だ。
老夫婦は顔を見合わせ──夫の方が、意を決したように切り出した。
「お二人は──ベルンハルトから来たのだろう?」
ミケが、さりげなく私を背に隠す。
問うようでいて確信を滲ませた相手の言葉に、彼は警戒した。
何しろ、ベルンハルト王国とラーガスト王国は半年前まで戦争をしていたのだ。
ミケの大きな背中に隠された私も緊張を覚え、ネコをぎゅっと抱き締めた。
言葉の真意を問うように、ミケは無言のまま老夫婦の次の言葉を待つ。
彼はそもそも軍服姿だったし、これから向かう総督府を管理しているのもベルンハルト王国軍であるため、私達がベルンハルトから来たことに老夫婦が気づいていても不思議ではない。
ただ、このタイミングで改まってそれを持ち出したのは何故なのか。
そんな疑問を抱いていると……
「ラーガストが、すまなかったねぇ。国王はまったく、愚かなことをしたと思うよ」
「ベルンハルトの方々に、恨まれても仕方がないと思っているわ。でも──私達は、ベルンハルト軍に感謝をしているのよ」
思ってもみない謝罪と感謝を受けて、ミケは目を丸くする。
私は、腕に抱いたネコと顔を見合わせた。
老夫婦が言うには、戦時中──特にラーガスト側の戦況が目に見えて悪くなった頃には、ここのような僻地は半ば見捨てられていたらしい。
統率の崩れたラーガスト兵による略奪が横行し、老夫婦も先祖代々守ってきた土地を離れる決断を迫られていた。
そんな中で進軍してきたベルンハルト王国軍が、ならず者と化したラーガスト兵を蹴散らし、敵国の村人を逆に守る形になったという。
「ラーガスト兵は逃げる際、我々の食料ばかりか、次に撒く小麦の種までごっそり持っていってしまってね」
「せっかく戦争が終わったとしても、もう飢えて死ぬしかないと絶望していたら……帰国するベルンハルト軍が、食料と種を分けて行ってくれたの」
なんとか命を繋いだ老夫婦は、目の前にある畑でベルンハルト王国軍にもらった小麦を育て、収穫し──それを使って焼いたパンを、今回私達に振る舞ってくれたのだ。
「ラーガストがベルンハルトの良き隣人となれるまでは、きっと多くの時が必要だろう。その頃には、わしらはもう生きとらんかもしれんしなぁ」
「だから今回、こうしてあなた達と出会って、少しでもあの時の恩返しになっていると嬉しいわ」
老夫婦の言葉に、ミケの大きな背中が一瞬震える。
彼は一歩踏み出し、左右の手でそれぞれ老夫婦の手を握ると、噛み締めるように言った。
「ありがとうございます。私も今回、お二人に会えてよかった……どうか、今後も健やかにお過ごしください」
「私の生まれ育った世界には、情けは人の為ならず、という諺がありましてですね……」
老夫婦に別れを告げ、私達は一路総督府に向かって歩き出した。
森までは、収穫が終わった小麦畑の間に一本道が通っている。
収穫期が終わると、若者は町へ出稼ぎに行くのが古くからの慣わしのようで、時々すれ違う村人は年寄りばかりだった。
私の呟きに、まずは腕の中のネコが反応する。
『なんじゃあ、それは。甘やかすとそいつのためにならんー、という格言か?』
「そう誤解されることも多いんだけどね。実際は、人に親切にすると、その人のためになるだけじゃなくて、巡り巡って自分のためにもなるよー、っていう意味」
ちらりと隣を見上げれば、ミケも私を見下ろしていて目が合った。
彼が、穏やかに笑って言う。
「情けは人の為ならず、か。我々が半年前に残していった小麦の種と同様に、友好の種もちゃんとラーガストに根付いていた……その恩恵を、私達は今回あの老夫婦から受け取ったんだな」
「はい。そう思うと、おばあさんが焼いてくれたパン……ただでさえおいしかったのに、何倍も何十倍もおいしく感じられますね」
『ふん……我は食えんから、どうでもいいがな』
ネコがまた大欠伸をして、不貞寝するみたいに私の腕の中で丸くなった。
ミケが毎日目の下に隈を作りまくって取り組んでいる戦後処理には、ベルンハルト王国自体の立て直しだけではなく、ラーガスト王国の復興も含まれている。
ラーガストがこれ以上破綻して難民が押し寄せるのを回避するためとか、第三国の干渉を避けるためとか、少しでも賠償金を請求するためとかいう政治的な理由が主立ったものだ。
だがミケ個人としては、なす術もなく戦争に巻き込まれたラーガストの名もなき人々を労りたいという気持ちもあったのだろう。
だから、そんな名もなき人々である老夫婦の感謝の言葉に、ミケも少しは報われた心地になったに違いない。
彼は晴れやかな顔をして言った。
「ラーガストの一般市民の声を聞く機会など、なかなかなかったからな。タマが攫われたのも、我々が崖から落ちたのも災難だったが、結果的には得るものがあった」
今回の私を巡る一連の騒動に関係し、ミケにはこの他にももたらされたものがあったという。
私がメルさんに連れ去られたと判明し、トラちゃんはミットー公爵家の三人も共犯ではないかと指摘した。
確かに、ミケとロメリアさんが結婚して利を得るのはミットー公爵家だ。
客観的に見て、トラちゃんの主張はもっともだった。
だが──
「私は、ミットー公爵家を信じるのに迷いはなかった。戦時中は、当たり前のように彼らに背中を預けていたことを思い出したんだ」
ミケはそう言って、左手を差し出してくる。
小麦畑の間を通っていた一本道が終わり、私達は森の中へ踏み込もうとしていた。
獣が出ると老夫婦から聞いていたこともあり、私は慌ててミケの左手に自分の右手を重ねる。
それをしっかりと握ってくれた彼は、木漏れ日に眩しそうに目を細めて続けた。
「私の周りには、優秀な先達も仲間もいる。彼らを信じ、頼ることができたからこそ、私は昨日、タマを追いかけられた──タマを救えた」
信頼していた相手に兄を殺されたことから、他人に心を開き切れなくなっている。それゆえ、一人で背負い込みすぎる傾向にある、と国王様と王妃様はミケを心配していたが……
「この半年、ひたすら気を張って勤しんできたが……何もかも自分一人で事足りる、とどこか驕っていたのかもしれない。その結果、隈を作ってタマを心配させていたのだとしたら……滑稽だな」
私が働きかけるまでもなく、ミケは自分で自分の危うさに気づけた。
そうして彼が浮かべたのが、自嘲ではなく、苦笑いであったことに、私は少しほっとする。
すると、眠ったと思っていたネコが、げっへっへっ、と意地悪そうに笑った。
『ようやく、己の青さに気づいたか。そんなんじゃから、あの公爵にヒヨコ呼ばわりされるんじゃい』
「ヒヨコ? ……ああ、嘴が黄色い年頃とか揶揄された、あれのことか?」
とたんに、苦虫を噛み潰したような顔になるミケに、私もたまらず噴き出す。
ミケがヒヨコ呼ばわりされたのは確か、ミットー公爵がレーヴェの幼獣を拾った話題になった時だ。
そういえば、彼を手酷く噛んだというレーヴェがその後どうなったのか聞いてなかった、と気づいた時だった。
「──っ!」
ミケが突然立ち止まり、私を背中に隠しつつ腰に提げた剣に右手を添えた。
腕の中のネコの毛がぶわわわっと膨らむ。
何事かと顔を上げた私は、次の瞬間、喉の奥で悲鳴を上げた。
「ひっ……」
茂みの向こうから、にゅっと首を出してこちらを見つめているものがいたのだ。
小麦色の毛並みにヒョウのような黒い斑点があり、ベンガルを彷彿とさせる見た目をしている猫に似た大型肉食獣……
「──レーヴェ!」
しかし、顔のサイズを見ただけでもわかる。
一昨日、国境付近で遭遇したものより、さらに大きな個体であることが。
「タマ、私の背中に隠れるようにして、ゆっくりと下がれ。音を立てないようにな」
「ミ、ミケ……」
『ふ、ふんっ! ででで、でかい面をしおって!』
老夫婦の言っていた獣とは、このレーヴェのことだったのだろうか。
ミケがそっと逃がそうとしてくれるが、私は恐怖で膝が笑いそうになる。
ネコは体を膨らませて威嚇するが、イカ耳になっているところを見ると、怖いのは怖いらしい。私に爪を立ててしがみついてくる。
シャッ、と音を立ててミケが剣を抜いた。
ガサガサと茂みを揺らして、レーヴェも巨体をあらわにする。
辺りを包む緊迫感に息をするのさえ苦しくなった──その時だった。
『ごきげんよう、人間。それと、小さな同朋』
「「『──しゃべった!?』」」




