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21話 最善を尽くす

 太陽が山際から完全に離れた頃、私とメルさんはすでに要塞から遠く離れ、次の町の外れにある森の中にいた。

 二時間あまりぶっ続けで走り続けたにもかかわらず馬は存外元気で、湖のほとりに生えた草を呑気に食んでいる。

 対する私はというと……

 

「お、おしりが、いたい……」


 初乗馬の洗礼に苛まれていた。

 元の世界ではもちろんのこと、こちらの世界にきてからも、直接馬の背に乗る機会などこれまでなかったのだ。

 駆ける馬の揺れに合わせることができず、その反動をもろにお尻で受けてしまった。


「この痛みの感じ……絶対、打ち身だけじゃなくて、擦り剥けてるよぅ……」


 痛いやら情けないやらで、私は泣きたい気分だったが……

 

「配慮が足りず、申し訳ありませんでした……」


 目の前にもっと泣きそうな顔をした人がいるものだから、ぐっと涙を堪えた。

 メルさんが、私の正面に跪いている。

 あの綺麗なストレートの黒髪をばっさりと切り落としてしまい、より中性的な印象になった彼女は、ひどく追い詰められた表情をしていた。

 朝焼けに染まる丘の上でナイフを取り出された時は身構えてしまったが、彼女はそれで私を傷つけることはもとより、脅すこともなかった。

 ただ、己の退路を断つかのように髪を切り落とすと、再び私を馬の背に押し上げて走り出したのである。

 私は、何が何だかわからなかった。

 ものすごいスピードで後ろに流れていく景色を呆然と見送ることしかできない。

 ただ、先日の御前試合での戦いっぷりを見ていたため、自分ではどうあってもメルさんには敵わないこと、走っている馬から飛び下りるのは自殺行為であることくらいは理解していた。

 そのため、馬の足が止まるまで、じっと耐えたのだ。


「あの、メルさん。一応お尋ねしたいんですけど……ミケ達のところに戻ったりって……」

「申し訳ありません。それは、できません」


 私の問いに、メルさんは言葉どおり申し訳なさそうに、しかしきっぱりと答えた。

 今自分がどこにいるのかもわからない私は、途方に暮れる。


(朝一番に顔を見せるって、ミケと約束したのに……)


 彼はもう、私の不在に気づいただろうか。

 探してくれているだろうか。

 ネコ達は、いったいどうしているだろう。

 一気に不安が押し寄せてきて、体がブルブルと震え出す。

 それに気づいたらしいメルさんが、私の肩に触れようとした時だった。


「あっ……」


 ワンピースのポケットがもぞもぞしたかと思ったら、真っ白くてモフモフしたものがぴょこんと飛び出してきた。

 昨夜、唯一私の側に残っていた子ネコである。


「ミー?」


 今やっと起きたらしいその子は、私とメルさんの顔を見比べて、可愛らしく首を傾げた。



 *******



「──私が、タマを取り戻しに行こう」


 このミケランゼロの決断に、ミットー公爵と准将がすぐさま異議を唱えた。


「殿下、タマコ殿を案ずるお気持ちはお察ししますが、どうかお考え直しください。今回の旅において、殿下にはトライアン殿下をラーガスト革命軍に引き渡すという重要な責務がございます」

「僭越ながら申し上げますと、殿下にはやはり本来の目的に専念していただくべきかと」


 信頼する部下達からの進言に対し、ミケランゼロはこう答える。


「陛下はもう一つ、大事な役目を私に託された──タマとネコ達を連れて総督府に向かい、ラーガストの復興に尽力する同胞を癒すことだ」


 これを果たすためには、珠子の存在は不可欠である。

 彼女が奪われたならば、取り戻すのもまた、自身の責務である、と。


「そして、陛下は……いや、父上は、タマが無事に城に戻ってくることも望んでおられる。私は、これを叶えて差し上げたい」


 ミットー公爵と准将が、どうしたものかと顔を見合わせた。


『おい、人間ども! 悠長にしとらんでさっさと珠子を追わんか! 我は長距離走は苦手なんじゃ! お前らの馬に乗せてけっ!』

「「「ミー! ミミー! ミミミー!!」」」

『ふむふむ、にゃるほど。把握。ヒバートっておっちゃんは、ハアハアしててキモいんだにゃ!』


 ネコは相変わらず、みぎゃーっ、みぎゃーっ、と筆舌に尽くし難い声を上げつつ、人間達の周りをぐるぐるしている。

 ミットー公爵の肩から下りたチートは、ヒバート男爵について子ネコ達から説明を受けていた。

 ロメリアはというと、自分がメルを追えるのなら、同行者がミケランゼロであろうとなかろうと気にしない。

 ただ、なかなか珠子を追いかけない大人達に焦れて走り出しそうになるトライアンの腕を、ガッチリ掴んでいた。

 そんなロメリアに、ミケランゼロが問う。


「メルは、どこへ向かっていると思う?」

「ベルンハルトに留まる気はないでしょう。おそらくは、ある程度の地理を把握しているラーガストにひとまず潜伏し、折を見て第三国を目指すのではないかと思われます」

「ならば、国境までたどり着く前に……最悪ラーガストに入られた場合でも、総督府の管轄内で捕らえたいな」

「十分可能かと存じます。あちらの馬は二人乗せておりますし、長距離移動を想定しているのならばメルも無理はさせないでしょう。それに、おタマは馬に乗ったことがないと申しておりましたから、今頃お尻が痛いとぴいぴい言っている頃かもしれませんわ」


 こんなことが起きなければ、今日は珠子を自分の馬に相乗りさせるつもりでいたミケランゼロは、ロメリアの言葉に少しだけ目を泳がせた。

 ミットー公爵と准将は、この時点ではまだ、ミケランゼロに珠子とメルを追わせていいものかと迷っていた。

 そんな中、ロメリアの手を振り払ったトライアンが、ミケランゼロに詰め寄る。

 そして、頭一つ分は背の高い彼の胸ぐらを両手で掴んだ。

 慌てて准将が止めに入ろうとするが、ミケランゼロは片手を掲げてそれを制す。


「僕も行く! 馬くらい一人で乗れるから、足手まといにはならないよ!」

「だめだ。連れていけない」

「なんでだよ! 僕だって、タマコのことが……」

「お前と私達の間には、信頼関係がないからだ」


 ミケランゼロに一蹴され、トライアンは唇を噛み締める。

 その悔しそうな顔を見下ろして、ミケランゼロは凪いだ声で続けた。

 

「──今は、の話だが」

「……えっ?」


 先日の御前試合の見学中、ロメリアにも同じように告げられたことをトライアンは思い出す。

 彼女は、今はまだ象徴的な国王としてしか意味をなさないトライアンも、これから多くを学んでいつか真の国王として立つ日が来るだろうと言った。

 敵対していたベルンハルト王国とラーガスト王国の関係改善も、今後それぞれの国を担うミケランゼロとトライアンが協力できれば、決して不可能ではないはずだ。

 そして……


(タマコも、それを望んでいた……)


 トライアンは、ミケランゼロの胸ぐらを掴んでいた手を離した。

 顔を俯かせて、ぼそぼそと言う。


「……絶対、タマコにまた会わせてくれる?」

「ああ、必ず」

「僕は、あなたを信じるしかない……信じていいの?」

「お前の信頼を裏切らないために、最善を尽くす」


 そう答えたミケランゼロだが、いや、とすぐに首を横に振った。

 

「お前の信頼を裏切らないためでも、勅命や父上の願いを叶えるためでもないな……私自身が、タマを取り戻さずにはいられないんだ」


 彼の本心を耳にしたミットー公爵と准将が、無言のまま頷き合う。

 忠実な家臣達は、王子の決断に全面的に従うことに決めた。


「要塞に戻り支度を整え次第出立する。私とロメリアと准将は部隊から離れてメルの馬の足跡を追う。ミットー公爵はトライアンを守護しつつ部隊を率い、予定通りの道筋を進んでくれ。二日後に国境で落ち合おう」

「承知しました」


 准将がトライアンを馬に乗せ、チートを肩に乗せたミットー公爵と子ネコ達を抱えたロメリアもそれぞれ騎乗する。

 最後にミケランゼロが、足下で右往左往していたネコを抱え上げた。


「お前は……タマを大切に思っているんだな」

『あったりまえじゃあ! あれは、我の一の娘じゃぞっ!!』

「私も──タマが大切だ」

『お、おう……』


 ミケランゼロも、ネコを抱えたまま愛馬に跨る。

 そうして、その背中を──珠子の髪を思わせる真っ白い毛並みを撫でながら、ネコにだけ聞こえる声で言った。


「必ずタマを見つけ出し、取り戻す。約束する。だから──彼女に辿り着くまで、私の心を支えてくれないか?」

『……しょうがないやつじゃ』


 ネコはふんと鼻を鳴らしつつも、ミケランゼロの腕の中で大人しくなった。

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