第二十六話 懐かしい匂い
SIDE:ベル
本気で戦うのは、従兄弟のジルと聖都で戦った以来。
時間が経つのは本当に早いわ……。あの頃の私はまだ十代、そして今は三十半ば……あれから約二十年が経ってしまったのですか。
私の体も……二十年で随分と衰えてしまいましたね。
とは言っても、目の前の黒狼は私よりもボロボロでを感じる。
老いを理由に負けるなんて許されないですね。
「スンスン……」
先ほどから……どこか懐かしい匂いがする。
私が生まれた故郷が近いから? それとも、この獣人の匂い?
それにしても……先ほどから黒狼が一歩も動かない。
『グウ……グウウ……』
何かに耐えるよう全身に力を入れ、苦しそうにうめき声をあげていた。
このまま……自力で支配から逃れてくれると助かるんだけど……。
現実はそんなに甘くないか。
『ワオオオン!』
目が真っ赤になり、完全な支配状態に入ってしまったようだ。
私は頭を下げ、臨戦態勢に入っ……。
「うぐ……」
気がついたら、黒狼が遠く離れていた。
一瞬だけど……黒狼の足が見えた。私、蹴られたんだ。
「ワフ……」
解きかけていた獣人魔法をかけ直し、目に魔力を集中する。
この二十年で随分と目が悪くなってしまったみたいね。ああ、また自分の老いを感じてしまった。
「ベル母さん大丈夫なの?!」
この声は……ネリア。もう、駆けつけてくれたのね。
(私は大丈夫だから、ネリアはリーナ母さんを助けてあげて)
「そっちはキールに任せてきたから大丈夫!」
(そう……。でも、無茶しちゃだめよ?)
「大丈夫よ……。私、あいつにはキールの痛みを倍返ししないといけないから」
はあ、まったく……ネリアは誰に似てしまったのか。シェリーさん、嫉妬深かったけどここまで敵とか気にする人だったかしら?
「お母さん来たよ!」
黒狼は、助走をつけながら、前足を私の顔に目掛けて振り下ろしてきた。
大丈夫……三度目はちゃんと見えてる。
私は顔をずらし右足を避けながら、右足に噛みついた。
グッ……。
噛みつけたけど、相手の攻撃も避けきれなかった。
黒狼は反対の腕で、私の右肩に爪を刺していた。
でも、黒狼の動きは封じられた!
(ネリア!)
「言われなくても大丈夫!」
『グワアアアアア!』
私に噛みつかれても何一つ声を上げなかったけど、流石にネリアの炎には耐えられなかったみたいだ。
しかし、必死な黒狼によって私の右腕は引きちぎられ、あまりの痛さに黒狼を拘束していた口の力を緩めてしまった。
そして、その隙に逃げられてしまった。
「ベル母さん!」
(大丈夫。これは……痛み分けね)
ネリアの炎に焼かれれば、もうすぐあの黒狼は死ぬ。
どうせ右腕はリーナさんに治して貰えるし、この程度の代償で短時間決着がつけられるのはむしろありがたいわ。
「で、でも、早く治さないと! リーナ母さん!」
(ネリア! まだあいつから目を離したらダメ!)
火だるまになった黒狼は、私の腕を飲み込むと、今度はネリアに向かって突進した。
まずい。今の一本足がなくなった私では、庇いたくても間に合わない。
「あ……」
(ネリア!)
もうダメ……。
ガキン!
私が諦めたその瞬間、黒狼が半透明な壁に激突した。
「これは結界……ローゼ!」
良かった……。ローゼが助けに来てくれたみたい。
「何を油断しているのよ。相手は随分と衰えているとは言え、獣王なんだから一瞬たりとも目を離したらダメ」
「じゅ、獣王!?」
え? この黒狼が私のお父さん?
「そうよ。どうやら……破壊士というか悪魔は獣王を殺さず、手駒にしていたみたいね」
「ベルさん! 今治すわ!」
私が衝撃の事実に固まっていると、リーナさんが駆け寄ってきた。
「……あれ? どうして? どうして腕が生えてこないの?」
「無理よ。もう獣王に腕を食べられてしまった。獣王の持つ捕食のスキルは、自分の食べた物を全て自分の力に変え、食べられた人はその部分を回復できないって能力なの」
リーナさんが私の治療に苦戦していると、ローゼが衝撃の事実を宣告してきた。
私の腕……治らないの?
「え? ……もう、ベル母さんの右腕は戻らないってこと?」
「……そうね」
ローゼはそう言いながら、申し訳なさそうな顔をした。
まったく……そんな顔しないでよ。腕がなくなってしまったのは、攻撃を避けられなかった私のせいじゃない。
(私の腕なんて別に気にしなくて良いわよ。なくてもそんなに困りはしないわ。それより、止めは私がやらせて)
「ダメだよ! 獣王に食べられたら治らないんだよ? ほっといたら死ぬんだから、余計なことしないでおこうよ!」
(……私の父親なの。これ以上苦しませないであげたい)
記憶に一切残っていない父親でも、私がこうして今まで幸せに生きてこられたのはこの人のおかげだ。
最後は、私が終わりにしてあげるのが礼儀だと思う。
「わかった。でも、結界で手足は拘束するから」
「ありがとう」
私は獣化を解き、左手に愛用のナイフを持つ。
『グウ……』
「痛いよね。苦しませてごめんなさい。今、楽にしてあげるから」
ズズズ……。
目をつぶり、嫌な感触を感じながら、心臓にしっかりとナイフを突き刺した。
「私……お父さんが逃がしてくれたおかげで、この世界で一番幸せな人生を歩んでこれた。本当にありがとう……」
「フハハハ……。やはり俺とネルの娘だ。強くて美しく育った……」
「……お父さん?」
思わぬ声が聞こえて、私は目を開けた。
そこには、凜々しい顔をした男の人が優しい笑顔を見せていた。
「そう呼んで貰える日が来るとは……。ベル……悪魔には気をつけろ……俺たちでは……やつは倒せない」
「どういうこと?」
「……」
お父さんに問いかけるも、お父さんは目をつぶってしまった。
「ふう。もう少しわかりやすく言い残して欲しかったわね」
「でも、有益な情報なのは間違いないわ」
「……倒せないくらい強いってこと?」
「そもそも、私たちに倒せない何かがあるってことじゃないかしら? 獣人族は基本的に負けず嫌い。だから、負けることを前提とした言葉は言わないと思う」
「そうなんだ。でも、そんな情報を得てもどうするの? 今、悪魔と一対一で戦っているのはミヒルさんでしょ?」
「まあ……彼の中にいる彼女には何か考えがあるみたいだし、そこまで心配する必要はないと思うわ」
「……そうね。とにかく、私たちは魔物たちを早く片付けてしまいましょう」
娘たちの考察も一段落したので、お父さんを地面に置き、ナイフを引き抜いた。
ごめんなさい。また、後で埋葬しに帰って来ます。
「ベル母さんはその怪我なんだからダメよ! ゆっくりしてて!」
「今、休んでいる暇はないわよ。ほら、キールくんが一人で頑張っているんでしょ? 早く助けに行きますよ」
あの程度の魔物なら、効率は落ちても片手で倒せる。
大物を倒せなくなった分、私は小物に専念させてもらうわ。





