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黄金の天子 ~我が皇帝に捧ぐ七つの残光~  作者: イブスキー
第四章 蜃気楼
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第90話 魔身

15R指定により年齢に満たない方はご移動をお願いします。またBL要素を含みますので、苦手な方もお手数ですがブラウザバックをお願いします。

 風はやや強い西風。大気が乱れている。雨が降る兆しだ。

 前肢で雲を蹴る。

 だが氷の粒はなんの感触もなく、身体がゆっくりと落ちていった。

 やがて月は雲に隠され、光は徐々に薄くなる。眼下には真っ暗な大地に浮かぶように、街明かりが見えてきた。

 雲間を抜け、街の上を二度ほど旋回する。下からは絶えず視線を感じていた。たぶん水の精獣だろう。律儀にも水辺にとどまり毎朝水を吐き出しているあのモノとっても、(あるじ)の願いは絶対だった。


“油断をするなよ。明日から僕はお前だけの者ではなくなるんだから“


 吹く風に消されることなく、何度もその声が聞こえるせいで、唐突に今日のねぐらを決めてしまった。

 街で一番大きな建物を目指して、宙を駆ける。

 次第に見えてきた窓からは、ほのかな光が漏れていた。

 姿を人にやつすなど本当につまらぬことだ。空を駆けるわけでもない、力があるわけでもない。だがあるじがその姿を望んでいるのなら、喜んで人へとなろう。彼の望みは我とて同じ、絶対であるのだから。


 窓辺のバルコニーへと降り立ち、己の魂に呼びかける。

 すると魔が抜けていくような感覚とともに、光が体内からあふれ出た。

 次の一瞬で肢体は変化し、人となる。この姿に違和感を覚える自分と、安堵する自分がいることには、やはり戸惑った。

 足音を忍ばせ、常に施錠されていない窓へと近づく。それをゆっくり押し開けば、薄闇には変わらぬ景色。

 大小様々な椅子、二つのテーブル、低めのチェスト、そして白いベッド。サイドテーブルの上にあるランプの炎は、指先にも満たないほど小さく絞られていた。

 調べのような寝息がするのは、平穏である証だ。それに優るものなどこの世界にない。

 込み上げる安堵を抑えつつベッドに近づき、穏やかに眠る少年を見下ろした。

 柔らかな髪の手触り、滑らかな肌触り。

 なぜこれを欲するのか。

 人ではない部分が不思議に思った。


「ん……んぅ………」


 喘ぐような寝息のあと、瞼が動く。

 起こしてしまったのか。

 両目が薄く開かれると同時に、彼の全身はビクッと震えた。


「お、驚かすな」


 瞳を見開いた少年は、なじりの言葉をまずに言い放つ。しかしその声色に反し、片腕が首筋へと伸びた。

 その誘いに逆らえなかった人の魂が、唇を重ね、彼の愛を飲み込んだ。

 だがしかし。


「なんでいきなりキスするんだよ……」

「きみから誘ったじゃないか」

「誘ってないし、ちょっと触りたかっただけだし」


 まだ片腕が首に回されているから、説得力の欠片もない。しかも彼はサッと顔を背けると、闇でも分かるほど顔を赤らめて、


「でも……もし……やりたいって言うなら……」

「明日、動けなくなったら困るだろう?」

「そうだけど……」

「大丈夫、欲しくないわけではないから」

「本当に?」


 戻ってきた視線はとても艶があり、人だった部分がうずき始めた。

 だから言葉は嘘ではない。


「本当だ」

「ちゃんと抱ける? 抱きたい?」

「たぶん」


 嘘ではなかったはずなのに返事は曖昧となり、それが気に入らなかったのか少年は首に回した手を解いて、体を起こした。


「ヴォルフらしくないね、それ」

「どうしてそんなに体の関係を求める?」

「だって、お前はヴォルフと違うから。しゃべり方も表情も。だからきっとフェンリルなんだろうって思うんだ」

「人間の感情は残っているよ」

「ならさ、フェンリルの感情を教えてよ。僕はフェンリルと契約を交わしているわけじゃない。人間だって血判が必要だっていうのに。お前は別の世界から来てすぐ、ヴォルフの魂を取り込んで、だから僕を守っているだけだろ? リュットは僕のことを、光がどうのって言ってるけど、それってよく分からないから……。何故お前は僕を守るの?」

「何故……?」


 思いもよらない質問だった。


「うん、何故。好きだから?」


 好き。

 その感情は理解できる、人として。

 その感情が理解できない、魔物として。

 相反するものが内部にあり、答えが見つからず黙っていると、少年は諦めたようだ。


「もういいよ」


 そう言って、彼はベッドを移動し、隣に座る。揺れる爪先が、闇に浮かんでみえた。


「昨日、精霊たちがいっぱい来た」

「ああ、知ってる」

「不思議だよね……」

「光るある者の願いは絶対なんだよ。あの精獣も未だに水を吐いている」

「ガーゴイルかぁ」


 申し訳なさそうな顔で彼は呟いた。


「フェンリルも、精霊も、ガーゴイルも僕になにを望んでいるのかな……」

「望むことなどなにもない」

「だって見返りは欲しいだろ?」

「見返りは光をもらうこと」

「変なの」


 見上げる真剣な眼差しがとても愛おしい。

 愛おしい。

 それは不思議な感情だ。深い闇の世界にいた頃には、この心地良い感情があることすら知らず……。


「やっぱりお前、フェンリルだよね」

「全部覚えているよ、ユーリィ。あの森でのことも、きみの手をつかんだ塔のことも、初めての夜も」

「じゃあ今日は何を食べた? 僕はウサギを食べたよ」

「ウサギを食べたな、丸呑みで」

「ゲッ、やっぱ魔物だし!」


 嫌悪感を表した顔が可愛くてクスッと笑うと、彼は不機嫌な表情になった。


「冗談だよ」

「本当だろ?」

「まあ……」


 こうした寝屋の睦言が満ち足りた時間であり、人と魔物とが完全なる融合をする必要などなにもない。相反する感情があろうとも、彼を大切に思う気持ちは同じ。我は魔物であり、そして人である。

 それだけだ。


「ねえ、フェンリル、聞かせろよ。向こうの世界のことをさ」


 白い頬が、肩に寄り添ってきた。

 体毛のない体に感じる温もりが生々しく。


 だから俺は……。

 

 唐突に、本当に唐突に人の欲望が頭をもたげた。

 押し倒して、白い頬から首筋へと唇を押しつける。


「ぁ……んっ……」


 舌を這わせ、味わい尽くす。

 しかし欲望はそこで切れてしまった。


「やっぱり、ここまでだな……」


 細い体を抱き締めたまま囁くと、色気を残した声に「どうして?」と小さく尋ねられる。


(あるじ)を守るのに必要なのは、こんなことじゃない」

「人間より理性的かよ!?」

「ウサギは丸呑みにしたのではなく、噛み砕いた」

「だから?」

「完全に融合はしてないんだ。人である感情に異物感が拭えない」

「意味、分かんない」

「魔物である部分もきみが欲しいと思うまで、待っててくれ」

「そう……」


 彼は理解してないかもしれない。

 自分自身もよく分からなかった。


「ならこのまま一緒に寝よう。さっき尋ねたこと、聞かせて」

「あまり話したくはないが……。暗くておぞましい世界だからね」

「いいよ、聞かせてよ」

「仕方ないな」


 ゆるゆると語り始めてすぐ、彼の小さな寝息が耳元に聞こえてきた。

 だがそれでいい。

 光るある者に、この身がどこから生まれ出たのか知られたくはないと、同化してから初めて、俺は魔物であることを強く意識した。


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