7.ユークレース家の秘密
「アルキオーネ?」
レグルスが俺の顔を窺う。
俺は腕を組んで、レグルスの顔がある方とは逆を向いて歩いやった。
こんな恩知らずの人でなし王子なんて知るか。
傷のことを知っていて親元に帰すなんて俺にはできない。
何か事情があるなら話してくれれば俺だって納得するのに、それすらしない。
俺の意思を尊重する気がないのなら、俺だってレグルスをそのように扱ってやるさ。
自分のやってることは、半分八つ当たりだと分かりつつ、そんな態度を取ってしまう。
いや、きっと俺は寂しいのだ。
婚約者だなんだと言って散々まとわりつく癖に、肝心のところは話してくれない。
それがレグルスの優しさなのだと分かっているから余計腹立たしいのだ。
結局、友だちだと思っているのは俺だけだと突き付けられたようで、俺は少し傷ついていた。
勿論、俺のことを婚約者と慕うレグルスに男である俺の気持ちなんて言えないし、言ったところでレグルスに好かれるだけな気もするのでやっぱり言わない。
こうやって拗ねてみせるのが俺のささやかな抵抗だ。
そうこうしているうちに、ある部屋に案内される。
「護衛の方はここで」
そう言われて泣く泣くアントニスは廊下に待機することになる。
まあ、アントニスは仕方ないか。
俺はアントニスに手を振って別れを告げた。
通された部屋には男性と女性がいた。
男性の方はアルファルドと同じ銀髪で青い目をしていた。
直感的にアルファルドの父親だと思った。
女性の方は栗毛色の髪にアンバーの瞳をしている。
この人がアルファルドの母親だろうか。
二人とも酷く疲れ切ったような顔をしていた。
二人は立ち上がり、弱弱しい笑顔を浮かべた。
「ようこそいらっしゃいました」
やはり思った通りだ。
二人がユークレース伯爵と夫人――つまり、アルファルドの両親だ。
アルファルドは俺の後ろに隠れると、ドレスの裾を掴んだ。
レグルスは前に出る。
「久しぶりです。アルファルドを連れてきました」
レグルスはいつになく丁寧な物言いだった。
あのレグルスがこんな喋り方をするなんてちょっと気持ち悪い。
そんなことを思いながら俺はレグルスを見つめた。
「いきなりの訪問を快く迎え入れてくださり、ありがとうございます。アルキオーネ・オブシディアンと申します」
俺は一歩進み、微笑みをつくると、片足を引き、逆の片膝を曲げて体を沈めた。
「では、貴女が、アルファルドを見つけてくれたという方なんですね。本当にありがとうございます。ずっと探していたんです!」
ユークレース伯爵夫人は涙ぐみながら頭を下げた。
これは演技か、それとも本当にそうなのか。
俺は傷のことを思い出しながら訝しむようにユークレース伯爵夫人を見つめる。
「恐れ入ります。どのようにお話が伝わっているか分かりませんが、昨日、川で溺れているアルファルド様をわたくしが見つけました。記憶がないということでしたので、昨日はオブシディアン家の屋敷に泊っていただいたのですが……」
俺は二人の様子を探った。
俺の言葉を聞いて、ユークレース伯爵夫人は真っ青な顔をする。
「川? やっぱりあの女が……」
「何か?」
「いえ、こちらの話です。この度はアルファルドを連れてきてくださってありがとうございました。このお礼は後程させていただきます。さあ、アルファルドこっちへ来るんだ」
ユークレース伯爵は体を屈め、アルファルドに手を差し出す。
アルファルドは頭を振った。
嫌だという明確な意思表示。
「アルファルド、迷惑がかかるだろう」
ユークレース伯爵は苛立ったようにもう一度アルファルドの名前を呼んだ。
アルファルドは先ほどよりも強く頭を振る。
そして、逃げるように俺の後ろに隠れた。
ユークレース伯爵は戸惑うような顔をしてから、所在のなくなった自分の掌に目を落とした。
そして、ゆっくりと手を引いた。
俺はユークレース伯爵の前に立つと優雅に微笑んでみせる。
「失礼ですが、アルファルド様は記憶喪失らしく、人に対して酷く怯えているのです。過去のことなど、何か思い当ることはありませんか? 例えば、背中のこととか……」
ユークレース伯爵夫妻は驚いたような顔をして顔を見合わせた。
「失礼だぞ」
レグルスが俺を制止するように肩を掴んだ。
俺は凍えるような目つきでレグルスを見つめた。
何もしないなら黙っていろよ、クソ王子。
レグルスはそっと手を引っ込めた。
「いえ、失礼なんて……」
ユークレース伯爵夫人は首を振る。
そして、ユークレース伯爵の腕を引いた。
「アルファルドのあの様子……やはり、お話して協力していただきましょう」
ユークレース伯爵夫人はそう夫に向かって言った。
ユークレース伯爵はため息を吐く。
「そうだな。話が長くなるので、座っていただいてよろしいですか?」
俺たちは頷くと、椅子に座った。
「表向き、アルファルドは私たちの実子ということになっていますが、実は養子なんです」
後継ぎの問題などで養子をもらうことは多い。
それを隠したがる家があってもおかしくはないのだが、急になんでそんなことを言い出すのだろう。
「そう、なんですか?」
ユークレース伯爵は言いにくそうに下を向いてから顔を上げる。
「ユークレース家の恥なので、あまり言いたくなかったのですが、私の妹のプルーラは駆け落ちをしているんです。アルファルドはその息子なのです。これはレグルス王子もご存知だとは思いますが、私たちがプルーラを見つけたとき、妹は男に捨てられて娼婦をしていました」
ユークレース伯爵の声が震えた。
自分の妹が駆け落ちして娼婦になる。
俺は背中がぞっとした。
もしも、妹が駆け落ちなんてしたら……そう考えただけで体が震える。
怒りなのか悲しみなのか分からないけど、鉛でも飲み込んだみたいに息がつまり、胸の奥が重くなる。
しかも、捨てられて自分の身を売るようになるだなんてあんまりじゃないか。
確かにこれは赤の他人に聞かせるような話でない。
これはレグルスの立場やユークレース伯爵の心中を考えるとレグルスの口からはなかなか言えるような話ではないだろう。
わけを話して欲しいと言ったとき、レグルスが言えなかった理由が分かった。
あんなに拗ねたり、ゴネてごめんな、レグルス。
後できちんと謝っておこう。
俺はそっと心の中で決めた。
「こんな若いご令嬢に娼婦なんて……すみません」
ユークレース伯爵は労わるように俺を見つめた。
「いえ、続けてくださいますか?」
俺は首を振る。
お気遣いはありがたいが、俺はご令嬢であってご令嬢ではない。
それよりも、ユークレース伯爵の心中がとても気になった。
「どうやら、アルファルドはプルーラが付き合っていた男に暴力を受けていたようなんです。私たちはこの子を置いておけないと思い、養子にすることにしました。プルーラも家に戻ることを望みましたが、私は妹がアルファルドにしたことをどうしても許せなかった。一緒に居たら、私がプルーラをいつか殺してしまう。そう思ったので、十分な金をやるから手を切ってくれと頼みました。プルーラもそれに同意したので安心していたのですが、最近になってアルファルドに接触しようとしてきたんです。アルファルドがいれば私たちが金を出すと思ったに違いありません」
ユークレース伯爵はため息を吐きながら、忌まわしいものでも見るような目つきでテーブルを睨みつけた。
「オブシディアン伯爵令嬢、川で見つけたとき、この子、ドレスを着ていたんじゃありませんか?」
ユークレース伯爵夫人が話を引き継ぐ。
「ええ、確かにドレスを着ていました」
「彼女、この子が本当に小さいときしか知らないんです。この顔でしょう。女装させておけば分からないと思ったのです。でも、考えが甘かった。どうやら、あの女はメイドを使って攫っていったようなんです」
なるほど。
産んだのは男の子だから、女の子の恰好をしておけば分からないと思ったのだろう。
身長も歳の割に小さいし、顔も美少女にしか見えないもんな。
俺はアルファルドを見ながら頷く。
アルファルドは自分のことを言われているのに、全く知らない物語を聞かされているかのようにきょとんとした顔をしていた。




