5.そんなドキドキイベントはいらねえよ
俺は少年を屋敷に連れて帰った。
メリーナの言う通り、屋敷の方は一人増えたところで特に変わりはなかった。
お父様は相変わらず不在だし、お母様は記憶のない少年に同情的で寧ろ「ずっといてもいい」と言っていたくらいだった。
それが昨日の話。
それはよかったんだが、これは一体どういうことだ。
「なんじゃこりゃあ……」
俺の口からご令嬢らしからぬ呟きが漏れた。
俺は頭を両手で掻き毟った。
その仕草は全くご令嬢らしくないのだが、見ている者は誰もいないので俺は遠慮なくそうしてやった。
ベッドの中――俺の横では、すうすうと可愛らしい寝息を立てて、例の少年が寝ていた。
あれ? 昨日は俺、一人で寝たよな?
確か、コイツを客室に送ったら、「こわい」「ねむれない」と言われて、コイツが眠りにつくまで手を握ってやったんだ。
それで、眠れないという割に早く寝てくれたから、ラッキーって思いながら、一人で自室に戻った。
で、寝た。
うん。やっぱり一人で寝た。間違いない。
間違いないはずなのに、何でコイツがここにいるんだよ!
少年はごろっと寝返りを打つ。
長い銀の髪が絹糸のように零れた。
長い睫毛に形の良い唇は川から上がった後のときと変わらない。
違うのは血色がいいことぐらいだろうか。
全く憎らしいほど愛らしい寝顔だ。
いやいや、違う。
普通は朝起きるとベッドの中には美少女が……ってやつだろ、このイベント。
何故、中身が男の美少女のベッドの中に、美少女の面した男が入ってくるんだよ!
誰がそんな特殊なシチュエーションを求めるっていうんだ。
嗚呼、神様どうかまともなイベント展開をお願いします。
百合でもいい。
普通の美少女を俺のベッドの中に寝かせてください。
男とベッドインなんて誰が望むか、こんちくしょう!
俺ははっとした。
あれ? そうだよ。コイツ男なんだよな。
婚約者がいるご令嬢の部屋に男が寝ているというこの状況かなりまずくないか?
俺の顔から途端に血の気が引く。
もしも、万が一、レグルスにバレたら不貞行為ととられてもおかしくない。
婚約破棄……はいいとしても、コイツ、殺されたり、何らかの処罰を受けたりしないよな?
今のレグルスはそんなことしないと思うが、言い切る自信がない。
認めたくないが、レグルスは俺にベタ惚れらしいのだ。
変に刺激したくない。
「起きてください!」
俺はできるだけ小声で叫んだ。
できるだけ速やかに誰にも気づかれずにこの状況を変える必要がある。
俺は少年の肩を揺すった。
頼むよ。お願いだ、起きてくれ。
祈るような気持ちで何度も揺する。
少年は寝返りを打った。
起きる気配がない。
「お願いです。起きてください!」
俺は泣きそうになりながら揺する。
頬を叩いてしまいたかったが、相手は美少女のような顔をしている。
男とは分かっているが、こんな綺麗な顔、殴れるわけがない。
どうすればいいんだ。
そのときだった。
扉をノックする音がした。
「お嬢様、よろしいですか?」
メリーナの声がした。
「ちょっと待っていてください!」
やばい。
俺は咄嗟に少年の上に布団を掛けた。
頭からすっぽりと布団を掛けられた少年は相変わらず寝ているようだ。
これで何とかごまかすしかない。
俺は直ぐに扉に向かった。
そして、小さく扉を開ける。
「何の用ですか?」
今まで寝ていたという体で目を擦りながら扉の外を覗く。
扉の外では息を切らしたメリーナがいた。
「お嬢様、あの方が……昨日の方がいなくなっています!」
可哀想にメリーナは真っ青な顔をしていた。
「どういうことですか?」
「あの方が起きてこられたので着替えをお手伝いしていたんですが、気づいたらいなくなっていて……私、なんてことを!」
「メリーナ、落ち着いて」
あの方ってのは、今、俺の部屋で寝ている少年のことだよな。
嗚呼、もう部屋にいないことがバレてしまったのか。
バレないうちにさっさと帰したかったのにそういうわけにはいかないらしい。
どうする、俺。
俺は顔を上げた。
「メリーナ、わたくしも探すのを手伝います。出れるように少し準備をするので、その間、廊下や客室を調べてください。もしかしたら寝ぼけて他の部屋に入り込んでしまったのかもしれませんから」
俺は冷静を装ってそうメリーナに指示した。
「分かりました。そのように」
メリーナは真っ青の顔のまま頷く。
俺の部屋で寝ているのだから探す必要もないんだが、そんなことは言えるわけもない。
「大丈夫。すぐに見つかりますから」
俺はそう言って微笑む。
メリーナは泣きそうになりながら頷いた。
俺は素早く扉を閉めると、くるりとベッドの方を振り返る。
こうなったら、準備しているふりをして少年を起こす。
そして、何処からか見つけてきた体でメリーナたちのもとに連れて行けばなんとかなるだろう。
俺は布団をめくった。
そこには寝息を立てている少年がいるはずだった。
いない。
さっきまでいたのに何処に行った、あのお騒がせ野郎は。
扉は一つだ。
確実にこの部屋にいるはず。
俺は視線を巡らせた。
あれ? 昨日はちゃんと窓を閉めたはずだぞ?
なんでカーテンが風に靡いているんだ。
俺は窓に向かって走った。
春の風が吹く。心地いい。
なんてやってる場合じゃない。
やっぱり窓が開いている。
俺は慌てて下を覗き込んだ。
下に銀髪が見える。
ここ、二階なんですけど。
まさか、飛び降りたりしたんじゃないよな。
「ちょっと!」
俺は真っ青になって叫んだ。
少年の青い瞳がこちらに向く。
どうやら生きてはいるようだ。
少年は庭に向かって走り出す。
生きてるどころか、とっても元気じゃねえか。
あの野郎。
何がしたいんだ。
俺はカッとなって窓に足を掛けた。
アイツができたんだ。
俺だってできるはずだ。
俺は足に力を込めて窓から飛び降りた。
体に木の枝がぶつかる。
下が木の植え込みになっていたおかげで大きな怪我もなく、俺は飛び降りることに成功する。
「待ちなさい!」
俺はそう叫びながら、植え込みから何とか抜け出す。
バキバキと音を立てて枝が折れる感触がした。
俺は少年を追いかけた。
コイツ、本当に逃げるのが好きだな。
俺は頭にきていた。
どうやら、あの魔法を使うときが来たようだ。
ご令嬢らしからぬ使い方しかできないからと封印していたアレだ。
「フムス!」
そう叫ぶと、少年の足元の土が盛り上がる。
転べ!
俺は心の中で叫んだ。
しかし、少年は容易くそれを飛び越えた。
そして、そのまま走っていくように思えたのだが、やはり少年は転んだ。
ひっかかったな。
「やりましたよ!」
俺は高らかに笑いながらガッツポーズをとった。
この魔法は土を盛りあがらせるものではない。
土を移動させ、操る魔法だ。
着地するであろう場所の土をごっそりと移動させ、穴を開けておいたのだ。
盛り上がったほうに気を取られれば、穴に足を取られ、穴に気を取られれば、盛り上がったところに足を取られる。
そういう手なのだ。
俺は少年の前に仁王立ちする。
「さあ、捕まえましたよ! これで逃亡ごっこはおしまいです!」
俺はそう宣言した。
「ア、アルキオーネ?」
背でよく知った声がした。
振り向くとそこには、リゲルが驚いた顔をしていた。
驚いた顔?
そこで自分の服装に気づく。
俺、もしかして寝巻のままじゃないか?
自分の屋敷の庭とはいえ、寝巻のまま、歩いていいはずもない。
ご令嬢としてあるまじき姿だ。
「見ないでください!」
俺は叫んだ。
リゲルは慌てて後ろを向く。
「今日は何の約束もしていないはずですよね? なんでいるんですか!」
今日はリゲルの家に行く予定もない。
しかも、起きてすぐのこんな早い時間になんでリゲルがいるんだよ。
「だってミラ嬢からアルキオーネの一大事だって連絡が来たから……心配で朝の散歩がてら来ちゃった」
情報の早いことで。
流石はミラ。
でも、リゲルに何を伝えたんだ?
それに、リゲルの屋敷はそれなりに距離があった気がするのだが、まさか毎日この辺まで散歩しているわけじゃないよな。
「心配してくださってありがとうございます。申し訳ございませんが、リゲル、この子を屋敷に連れて行くので手伝ってください。話はそれからで」
「じゃあ、振り返っていいってこと?」
「勿論です」
リゲルは振り返ると、満面の笑みを浮かべる。
「で、誰を連れて行くの?」
「この子です」
俺はさっと横に退く。
リゲルは少年を見ると、瞠目した。
「アルファルド……!」
リゲルの呟きに俺も驚く。
おい、まさか、この美少女みたいな少年がアルファルドだって言うんじゃないよな。
少年は俺たちを見て、首を傾げた。




