2.剣術を習いたい!
「話は聞いたぞ! アルキオーネ!」
扉を開きながら、金髪に燃えるようなルビーの瞳をしたアルキオーネの婚約者が入ってくる。
勿論、ノックの音なんて全くしなかった。
つまり、レディーの部屋に無断で入り込んできたわけだ。
確かに婚約者ではあるんだが、無断で入り込んでもいいと思えるほど親しくもないし、そういった行動を許した覚えもない。
それでも、俺が何も言わなかったのはリゲルがいたからだ。
「レグルス! 女性の部屋にノックもなしに失礼じゃないか!」
リゲルは真っ先にその少年の名を呼んだ。
その上で大きな声で叱責した。
レグルス――この国の王子であり、アルキオーネの婚約者でもある少年は、フンと鼻を鳴らす。
嗚呼、俺は叱りつけるタイミングを完全に逃してしまった。
まあ、確かにアルキオーネのキャラ的には微笑みながら許すのが正解な気もする。
なので、ここはありがたく黙っておいてリゲルに怒ってもらうことにしよう。
「失礼も何も、お前だっているんだからいいだろう!」
レグルスは尊大な態度でリゲルの横に立った。
リゲルは頭を抱える。
「あのな、いくら婚約者とは言え、女性だぞ? よく考えてものを言うんだ」
すごい。
王子にタメ口で話すなんて流石は肝の座った男、リゲル・ジェードだ。
俺がリゲルだったら自分の首が飛ぶことを恐れて何も言えなくなるだろう。
俺は感心しながら二人の会話をじっと見つめていた。
「そんなことを言ったら、お前だってわたしの婚約者と二人きりになって何をしようというのだ! アルキオーネも、わたしというものがありながら何故、リゲルと一緒にいるんだ!」
レグルスは指先をリゲルと俺に突きつけた。
レグルスの中では、目の前で真っ赤になっているメリーナはいなかったことになっているらしい。
ウチの可愛いメリーナを無視するなんてと怒りが沸き起こりそうになるのを我慢する。
それにしても、レグルスのあの態度。
分かりやすい嫉妬だな。
ちょっと鬱陶しいような、微笑ましいような気持ちになる。
「リゲル様はわたくしのお友だちです。お友だち同士でお話をしたりするのは当然でしょう。それにメリーナも一緒ですもの、レグルス様が怒るような二人きりなんて絶対なりません」
俺は毅然としてそう答えた。
だいたい、良家の娘が家族や婚約者以外の男と二人きりなんて絶対なるわけがないじゃないか。
今までだって二人きりになったことがあるのはレグルスだけだ。
でも、そんなこと、レグルスが調子に乗るから口が裂けても言わないし、言いたくもない。
そもそも、俺はおっさん手前だし、レグルスに喜ばれても気持ち悪いだけだ。
レグルスはハッとしたようにメリーナを見つめてから首を振った。
「しかし、わたし抜きで剣の稽古をしようとしていたではないか!」
レグルスは頬を膨らます。
今までのレグルスでは考えられない行為だった。
おい、まさか、可愛いと思ってやってるんじゃないよな?
いや、わざとぶりっ子するような性格とは思えない。
寧ろ、威厳を保てそうな尊大な言葉遣いを演じている節がある。
ということは、素のレグルスがこんな感じなのか?
いやいや、慣れてきたとはいえ、そんなことするか?
俺は少し考え込む。
我儘なレグルスのことだ。
今まで見てこなかっただけでやるのかもしれない。
俺はそう結論づけだ。
「じゃあ、レグルスも一緒に剣術を習うか?」
リゲルはため息を吐きながらそう聞いた。
途端、レグルスの瞳が輝く。
「もしや、ドゥーベ様の剣術を学べるのか?」
そう言えば、レグルスも最近、剣の稽古にハマっているんだったな。
自分も一緒にやりたいのに除け者にされて拗ねてしまったのか。
なんだ。可愛いやつだな。
俺は弟が増えたような気持ちになって、リゲルとレグルスのやり取りを眺めた。
「まあ、ウチに来るならそうなる日もあるだろう」
「それは是が非でも行きたい! 頼む!」
「しかし、それには……」
リゲルがちらりとメリーナを見る。
メリーナは「ひゃい!」と可愛らしい声を上げた。
そして、怯えるような目をしてふるふると震える。
「おお! そうだった! メリーナとやら、頼む。アルキオーネと一緒に剣を学ばせて欲しい。わたしからのお願いだ」
レグルスもそれはそれは整った顔立ちをしている。
そのレグルスが顔を近づけて真剣な眼差しでじっとメリーナを見つめていた。
真っ赤になったメリーナは卒倒しそうになりながら、首を縦に振る。
可愛いアルキオーネのお願いは聞いてもらえなかったのに、レグルスのお願いなら聞けるのかと一瞬悲しくなったが、一国の王子の頼みを無下にできるほどメリーナの心臓は強くない。
そう思うことで俺は納得することにした。
「よし、許可も得たことだし、わたしも一緒に剣術を学ばせてもらうぞ!」
レグルスは嬉しそうに笑った。
「ごめん、アルキオーネ。こんなことになって」
リゲルは小さく俺に耳打ちする。
俺は首を横に軽く振った。
「いえ、剣が習えるのはレグルス様のおかげと割り切ります」
事実、レグルスが無理矢理メリーナを納得させたようなものだ。
いや、納得というより服従と言った方が正確かもしれない。
なんだか、その無理矢理自分の意見を通した感じがゲーム内のレグルスの暴君俺様キャラを思わせて、俺は身を震わせた。
いや、大丈夫。
レグルスは酷い言葉を言われたわけでも、無理矢理従わせて誰かの心を折るようなことをしたわけでもない。
このレグルスはそんなことができるような男ではないはずだ。
ただ、何かあったらぶん殴る。
今はその為の体力を作ろう。
俺はそう独りごちた。
リゲルは俺の言葉に笑う。
「そうだな。いつも使われてる側だけど、たまには、レグルスを使ってやるのもありだな」
そう言って、俺の頭を撫でた。
おう、ここは乙女ならドキッとしなきゃいけないんだろうけど、生憎、そういった感性は持ち合わせていないんだよな。
俺はリゲルを同情するような目で見つめた。
「ごめん。妹にやる癖でつい……」
リゲルは何か勘違いしたのか、慌てて謝る。
だと思ったよ。
俺もよく、頭ポンポンとか頭撫でたりとかしてたもん。主に妹に。
脳内で妹の『頭ポンポンとか撫でるのって勘違いする女の子が結構多いから気をつけた方がいいよ』という声が再生される。
「分かっていますよ、リゲルが何も考えていないことぐらい。ただ、他のご令嬢にはしない方が良いかもしれませんね。貴方は次期侯爵ですから、勘違いされると厄介です」
俺は丁寧に忠告してやる。
「嗚呼、そうだな。気をつけるよ」
「ん? 二人でまたコソコソと何をしている!」
レグルスは俺たちを指さす。
「いえ、スケジュール確認を」
俺はしれっと嘘をつく。
「ええ、準備もあるし、明後日から始めるのはいかがかと聞いてたんだ」
「そうか! では、わたしもその日に行くぞ!」
レグルスは元気よく手を挙げた。
空元気かもしれないが、レグルスが元気でよかった。
俺は微笑ましくレグルスを見つめた。




