29.湯上りアイス
夕食時のピークは過ぎたのか、ホテルのレストランは空席もあったが、まだまだ多くの客が食事を楽しんでいた。
料理は刺身から始まり、金目鯛の煮付けや地元の和牛の陶板焼など多種に渡った。
その全てがこれまで食べたことないほど絶品だった。
シンプルな料理なのだがどれも奥深い味わいで、見た目には分からない創意工夫が凝らされていたのだろう。
雪緒もスマートボールのことを忘れ、すっかり上機嫌になっていた。
食後は一度部屋に戻り、浴衣や着替えを持って九階にある大浴場へと向かった。
「先輩、悲報です。混浴じゃないそうですよ」
「そんなこと期待してるか」
「私の美しい身体をお見せできなくて残念です」
「俺の身体のほうが美しいから」
「いいえ、私です。なんといっても三歳の頃から体操で鍛えた引き締まった身体ですからね」
悪ふざけで雪緒は身体をしならせてポーズをとる。
「はいはい。分かったよ」
あまり話していると想像しそうなので目を逸らして大浴場へと急いだ。
大浴場もさすが高級ホテルと言った感じの立派なものだった。
お湯の質に詳しくはないが、滑らかで心地良い。
ガラス張りのオーシャンビューが売りらしいのだが、あいにく夜なので何も見えなかった。
雪緒はきっと長風呂なのだろうと予想し、大浴場と露天風呂を何往復もし、ついでにサウナも入った。
のんびりしてから大浴場を出ると、すでに浴衣に着替えた雪緒がベンチに座って俺を待っていた。
「ごめん。待たせちゃった?」
「大丈夫ですよ。湯上がりでぽーっとしてましたから」
見ると雪緒のアシンメトリーな髪は、乾ききっていなかった。
俺を待たせたら申し訳ないと思ってドライヤーもそこそこにでてきてくれたのかもしれない。
なんだかんだ言って先輩に気遣う雪緒の礼儀正しさを感じて、いじらしくなる。
「待たせたお詫びにコーヒー牛乳を奢ろう」
「やったー! でも私、それならアイスがいいです」
「会席料理食べた後でアイスまで食べるのか? せっかく体操で引き締めた身体がぷよぷよになるぞ?」
「テンション下がること言わないでください。今夜だけは特別なんです」
雪緒は元体操選手らしく、軽やかにベンチから立ち上がるとアイスの自販機へ足早に向かう。
「うわ、ラムレーズンあるし、柚子シャーベットもある。クッキーアンドクリームの濃厚さも惹かれるし、迷うなぁ」
雪緒は自販機の前で腕組みをし、視線と人差し指をウロウロさせながら眉間にシワを寄せる。
「よし決めた! チョコミントにします!」
「えっ!? あんなに迷って?」
「チョコミントが最強ですから」
「『チョコミン党』という過激派がいるのは知ってるけど、なんというか党員の人は迷うことなく最初からチョコミントを選ぶもんだと思っていた」
「そんなことないです。苦悶し、煩悶し、そしてチョコミントを選ぶんです」
「なんだか複雑な愛の形なんだな」
雪緒がチョコミントを買った後、俺はバニラを購入した。
「ええっ!? 先輩、一秒も迷わずにバニラなんですか!?」
「そうだけど?」
「こんなに魅惑的なラインナップなのに?」
「バニラが一番美味しいだろ?」
「信じられない……」
雪緒はドン引きした様子で俺を見る。
「わかった。先輩、あれですね。女の子も黒髪ロングで色白なお嬢様が好きなタイプですね」
「違うわ。アイスの好みで勝手に性格診断するな」
「じゃあ、あれだ。巨乳で隙のある感じの天然系だ。ああいうのは意外と腹黒いんですよ」
「なんか色々と辛かったんだな、雪緒」
平な胸元に視線を向けると、雪緒は慌てて腕で胸元を隠した。
「体操選手はスリムな方が有利なんですから」
「もう体操辞めたんだから膨らませてもいいんじゃない?」
「えっち。変態。いじわる。もう知りません」
雪緒はツンとそっぽを向き、歩き始める。
自分から振ってきたくせに打たれ弱いやつだ。
部屋に戻ってからはひと休憩ということで、俺は窓際の椅子に座ってスマホを弄っていた。
雪緒はベッドに寝転がり、今日取った写真や動画を観てクスクス笑っていた。
「そういえば雪緒ってスマホで動画チャンネル観たりとかSNSとかしないよな?」
「はい。ネットもテレビもあまり観ないようにしてますから」
答えながら雪緒は身を起こし、ベッドに腰掛ける。
「なんで?」
「だってそういうものを観ると腹が立ったり不安になったりするものばかり流れてくるじゃないですか。『また食品が値上げした』とか『地球温暖化が止まらない』とか『クレーマーにひどいカスハラされた』とか『この有名人が実は裏ですごいパワハラしている』とか」
「そればっかりじゃないけど、確かにそんな情報も流れてくるな」
「人はそういうものを観てしまう習性があるんですよ、きっと。別にそれがいいとか悪いとかいいません。けど私は怒ったり不安になると体調に関わってきます。だから観ないようにしてるんです」
「なるほどな。って言いながら自分でも動画チャンネルやってるだろ」
「明るく楽しいことを発信する分にはいいんです。批判とか聞きたくないからコメント欄も閉鎖してますし」
そう言いながら『穴開きチャンネル』のページを見せてくる。
登録者は428人にまで増えていた。
収益を得るには程遠いが、関心を持ってくれている人がこれだけいると思うと少し驚く。




