18.眠れる美少女
救急車はすぐにやって来て、雪緒と俺を乗せて走り出す。
「雪緒っ、しっかりしろ! 雪緒!」
付き添いで乗った俺は訳がわからず、雪緒の手を握りひたすら名前を呼んでいた。
「倒れた時の状況を教えてください」
「それが直前まで元気だったんですけど、突然倒れまして──」
救急隊員に倒れた時の状況を訊かれたので説明をした。
とはいえ、元気だったのにいきなり倒れた以外の説明をすることは出来なかった。
救急隊員の方は色んなセンサーを雪緒に取り付け、状況を確認しながら呼びかけ続けている。
しかし雪緒は全く目を覚まさなかった。
搬送先の病院に着くと雪緒はストレッチャーに乗せられたまま治療室へと搬送される。
俺は近くにあったベンチに腰掛け、呆然としていた。
わけがわからない。
一体何が起きたんだ?
さっきまで普通に釣りをしていた、
倒れる様子など微塵も感じられなかった。
救急隊員は脈や脳波に異常は見当たらないと言っていたが安心はできなかった。
もしこのまま雪緒が目を覚まさなかったら……
雪緒の無事を願い、祈るように固く手を握る。
心臓は怯えたように震えていた。
倒れる寸前にどうでもいい話をしていた雪緒を思い出し、ギュッと胸が苦しくなった。
焦る気持ちのまま三十分が過ぎた頃、目の前に人の気配を感じて顔を上げる。
そこに立っていたのは、品の良さそうな見知らぬおばさんだった。
年齢はうちのお母さんと同じくらいだろう。
「あなたが楠本凛之介くんね」
「えっ……どうして俺の名前を」
「はじめまして。雪緒の母です」
雪緒のお母さんは丁寧にお辞儀をして、少しだけ微笑んだ。
「雪緒、さんの……すいませんっ!」
俺は慌てて立ち上がり、二つ折りになるくらい頭を下げた。
「釣りをしていたら突然雪緒さんが倒れてしまいまして。それまで元気にしていたのでなにが原因なのか分かりませんが、いま治療していますんで。脳波とか心臓には異常はないらしいです。本当に申し訳ありませんっ!」
とにかく俺は現時点でわかっていることを並べて謝罪した。
謝って許してもらえるものじゃないと思いつつも、とにかく頭を下げる。
「やっぱり雪緒からなんにも聞いてないのね」
おばさんは困ったように眉を下げて苦笑いを浮かべる。
「え?」
「もうすぐ目を覚ますでしょうから、楠本くんも来て」
「は、はい。あの、雪緒さんは目を覚ますんですか?」
言われるままについていくと、雪緒は治療室のベッドの上に寝かされていた。
隣についていたおじさんが立ち上がり、俺に会釈をする。
「雪緒の父です」
「楠本凛之介です」
「君が噂の『先輩』くんか。娘からいつも聞いているよ」
「はぁ、あの、すいません」
雪緒からどんな風に聞いているのかは分からないが、とにかく謝った。
おばさん同様、おじさんの方もそんなに焦っている様子はなかった。
「それで、あの……雪緒さんは一体……」
雪緒を見ながら問い掛ける。
オロオロする俺と対照的に雪緒の両親はとても落ち着いていた。
「雪緒ったら楠本くんに何も話してなかったそうなのよ」
おばさんが伝えると、おじさんは「そのようだね」と苦笑いを浮かべた。
「雪緒はいま、寝ているんだよ」
おじさんは雪緒を見ながらそう告げた。
「寝ている……?」
「驚くだろうが、雪緒は突然眠ってしまう病気なんだ。なにが原因でそうなるのか、どれくらい眠るのか、詳しくは分かっていない」
信じられないことを伝えられ、驚きながら雪緒を見る。
言われてみれば確かに雪緒は静かに目を閉じ、軽い寝息を立てている。
苦しんでいるようには見えず、むしろ穏やかに寝ているようにしか見えなかった。
頭がついていかずにパニクる俺に、おじさんは優しく説明を始めてくれる。
「この病気がはじめて発症したのは中学二年生の時でね──」
雪緒の病気は世界でもほとんど例のない特殊なものらしい。
睡眠に関する似たような病気はあるらしいが、雪緒のように突然気を失うように寝てしまうのはかなり異例だそうだ。
事例が少ないので治療法も見つかっていない。
そのため今は病と共に生きていくしかないという現状だった。
「寝ているだけなら、その……命には別状はない、んですよね?」
そう訊ねるとおじさんとおばさんは目を合わせてから俺を見た。
「寝ているときは特に体に負担があるわけではないから、この病気が原因で命を落とすことはないだろうと医師は言っている」
「そうですか。よかった」
それを聞き、強張っていた身体がふっと軽くなるように緩んだ。
「ただ」
おじさんはそこで一度言葉を切り、ゆっくりと息を吐いてから続けた。
「二度と目が覚めなくなる可能性はあるとは言われたよ」
「えっ……」
おじさんを見たまま、俺は言葉を失った。
「呼吸をしてるし、心臓も動いている。他の臓器も健康で、脳波にも異常はない。ただ目覚めない可能性があるんだ」
「そんな……」
穏やかな顔で眠る雪緒を見て、足元がぐらっと揺らいだ感覚に襲われる。
転ばないよう、慌ててベッドに手をつく。
「寝ているんだったら起こせばいいんじゃないですか?」
誰でも思いつくことを天啓のように告げたが、おじさんは首を横に振る。
「発症中は普通に起こしても起きない。それに無理に起こそうとすると脳に負担がかかるようなんだ」
「脳に負担……」
俺は慌ててベッドの手すりから手を離してゆっくりと後ずさる。




