15.巻き込まれるマナ
家に帰ると既にお母さんが帰宅しており、夕飯の支度をしてくれていた。
雪緒を『約束の地』へ案内した上に喫茶店にまで案内していたので、すっかり遅くなってしまった。
「ごめん。今日は俺が当番なのに」
「いいのよ。今日は仕事が早く終わったし」
お母さんは含み笑いを浮かべながら俺の目を覗き込む。
「こないだの子とデートしてたの?」
「デートじゃない。ちょっと街をブラブラしてそのあと喫茶店に寄ってただけ」
「それをデートっていうんじゃない」
お母さんは笑いながらからかってくる。
確かにその説明だけだと、そう捉えられても仕方ない。
『七つの試練』のことや『約束の地』のことを隠して話すからこんなことになってしまう。
「そういうのじゃないって」
「はいはい、そうなのね」
お母さんは全く信じた様子もなく笑っていた。
俺はその視線を無視し、食器を並べたり食事の準備をしていた。
その日の夜、俺はビューキューブを観ていた。
『穴開きチャンネル』のページではない。
雪緒が体操を辞めるきっかけとなった全国中学生体操選手権の動画を探すためだ。
なぜ観ようと思ったのかは、よく分からない。
いや、正直に言えば雪緒のことがもっと知りたかったからだ。
雪緒はいつも無駄なくらいに明るくて常に笑っているが、その裏に何かある気がしてならなかった。
棄権した体操選手権にその秘密が隠されているんじゃないかと感じていた。
「お、あった。これか」
調べると意外とあっさり動画は見つかった。
動画はダイジェスト版なのだが、優勝候補の雪緒はそれなりに映っていた。
そして運命の平均台が始まった。
以前雪緒から聞いた話では、平均台から落ちて足を捻挫したために棄権したはずだ。
「うわ、すごいな」
細い平均台の上ということを忘れるくらい、雪緒は軽やかに演技を熟していた。
体操なんて真剣に観たことない俺でも、雪緒の演技は落ち着いているように見えた。
(一体どこでミスをするんだ?)
そう思いながら観ていると──
「あっ!?」
台上でバク転をし、ポーズを決めた次の瞬間、雪緒はふらーっと台から落ちた。
慌てて大人たちが駆け寄ろうとした瞬間、画面は切り替わって次の選手の競技を映し出した。
この瞬間だ。
この瞬間、雪緒はこれまでの努力を全て失ってしまったのだ。
絶対に優勝すると心に誓い、文字通り血の滲む努力を重ねた結果にしては、あまりにも残酷過ぎる。
見てはいけないものを見てしまった罪悪感に陥り、慌ててビューキューブを閉じた。
なにか先程の映像に違和感を感じたが、とてももう一度観ようという気にはならなかった。
平均台から落ちた雪緒の姿はいつまでも脳内から消えず、その日の夢にまで出てきた。
面識のないはずの当時の俺が、中学二年生の雪緒を会場で応援する夢だ。
夢の中でも雪緒は平均台から落ち、床の上で大泣きしていた。
翌日、妙遷神社に行くと雪緒の隣に面倒くさそうな顔をしたマナが立っていた。
俺の姿を確認した雪緒は嬉しそうに大きく手を振る。
「先輩、お疲れ様です」
「……なんでマナがいるんだ?」
「今日は部活休みだから早く帰ってたら、さっきそこで寒河江さんと会って、無理やり連れてこられた感じ」
マナは不服そうに顔を歪める。
「マナさんは気が合いそうだから一度ゆっくりお話したかったんですよ」
「気が合う!? どこが?」
マナが力強く否定した。
普通の人ならここで気まずくなるものだが、あいにく雪緒には通じない。
「マナさん、よくメロンパン食べてますよね? 実は私も好きなんです。それにハンカチや小物にギンガムチェックのものが多いのもポイントです。私もギンガムチェックが好きで、よく身に着けてます」
「それがなに?」
「好きなものが同じって感性が近いってことじゃないですか。だから相性もいいと思うんですよね」
「寒河江さんと感性なんか近くない。少なくともその左右非対称の髪形、私は最高にダサいと思うし」
「えー? 見慣れると可愛いと思うけどなぁ」
雪緒は笑いながら自らの髪を撫でていた。
あのヘアスタイルは他人を不用意に寄せ付けないための、いわば魔除けであることを俺は知っている。
趣味ではじめたわけではないのだが、そんなことを知らないマナには変わり者の捻くれた個性にしか見えないのだろう。
「寒河江さん、七つの試練をしていて、凛ちゃんを引っ張り回してるんでしょ?」
「はい。竹林と雲梯とお墓のやつはクリアしました」
雪緒が自慢げに言うと、マナは鼻で笑った。
「私は小さい頃、凛ちゃんと一緒に全部クリアしたけどね」
「えっ……そうなんですか?」
「まあ、多少おまけもあったけどな。魚は俺が二匹釣ったうちの一匹あげたし、地獄雲梯は多少補助したりとか」
「えー? そんなのズルじゃないですか」
雪緒にニヤニヤしながら横目で見られ、マナはムッとする。
「なんで余計なこと言うのよ、凛ちゃん。別にいいでしょ」
「よくないですよ。ちゃんと正式なルールでもう一回やりましょう」
「高校生にもなってそんなことするわけないでしょ」
「夢が叶うんですよ? こんなチャンスは逃せないじゃないですか」
前のめりになるほど熱弁され、マナは驚いた顔をして俺を見る。
『この子、本気で言ってるの?』という顔をしているので、俺は縦でも横でもつかない角度で首を動かした。
「まさか凛ちゃんも一緒にやってるわけ?」
「そんなわけないだろ。俺は付き添ってるだけだ」
「はい。先輩は頑なに一緒にやってくれません」
雪緒は不服そうな顔をするが、見て見ぬふりをした。
「そりゃそうでしょ。てかなんで付き添ってるの?」
「成り行き上、仕方なしに」
「凛ちゃんって昔から嫌なことでも断れない質だよね」
「そうだな。マナが砂場でおままごとしようっていうのも断れなかったしな」
「なにそれ。あれ、そんなに嫌だったの?」
マナがムッとするのを見て、雪緒は「いいなぁ」と呟いた。




