13.カミナリの消えた竹林
「そんなに急ぐと危ないぞ。慌てなくてもいいから」
「うわっ!? ひゃふっ!」
雪緒は案の定躓き、竹に頭を打ち付ける。
しかしすぐに立ち上がり、そしてまた竹に衝突していた。
まさに七転八倒である。
最後の方は四つん這いになり、うさぎのように跳ねながらゴールした。
年頃の娘がするような格好じゃない。
「ゴールだ、雪緒」
さらに進みそうな雪緒を止める。
「何秒でしたか?」
雪緒は目隠しを取りながら訊いてくる。
「五十一秒。成功だ」
「やったー!」
喜びを爆発させた雪緒は俺に抱きついてくるので、慌てて引き離す。
「落ち着け。それよりぶつけた頭は大丈夫か?」
「頭より転んだ時の膝のほうが痛いかもです」
見ると擦りむいた膝から血が滲んでいた。
「絆創膏持ってないな」
「それなら私が持ってます。よくケガするんで」
雪緒は鞄から絆創膏を取り出して自らの膝に貼った。
キャラクターがプリントされた、年齢の割には少し幼さを感じさせる絆創膏だ
「ところで何がカミナリだったんですか? 特にカミナリ要素はなかったんですけど」
「あー、それはな……」
説明しかけたとき、竹林の奥の家からおばあさんが歩いてきた。
「大丈夫かい? なんか悲鳴が聞こえたけど」
人の良さそうなおばあさんが心配そうに声をかけてくる。
「ちょっと転んだだけですので。騒がしくしてすいません」
「いいえー。年寄りの一人暮らしだから賑やかな方がうれしいよ。昔は子どもの遊ぶ声がよく聞こえていたけど、最近はそういうことも少なくてねぇ」
おばあさんはニコニコしながら俺たちを見ていた。
「一人暮らし? おじいさんがいませんでしたっけ?」
「主人は二年前に亡くなりましてね」
「そうだったんですか……」
「竹藪で遊ぶと危ないからって、主人はいつもやってくる子どもを叱ってたのよ。でもきっと元気な子どもを見るのが嬉しかったのね。『悪ガキどもめが』って言いながら笑っていたわ」
怒鳴り散らしていたあの爺さんが、その後に笑っていたとは驚きだった。
おばあさんは当時を思い出したのか、笑みを浮かべている。
「主人が元気な頃はタケノコも採ってたんだけど、最近はそんな元気もないし、そもそも食べきれないからねぇ。竹藪も荒れ放題なのよ」
おばあさんは昔を懐かしむように竹林を眺めていた。
私有地である竹林に入ったことをお詫びしてから俺たちはその場をあとにした。
「先輩、カミナリってもしかしておじいさんのことだったんですか?」
「気付いたのか。その通りだ。昔はあそこで遊ぶとじいさんが怒鳴りながら飛んできてな。それでカミナリじいさんの竹林で、カミナリ竹林と呼ばれていた」
「なるほど。一種の度胸試しだったんですね」
振り返り、もはやカミナリが落ちることのない竹林を眺める。
恐ろしいじいさんだったが、もういないと思うとなんだかとても寂しく感じた。
「それでもまあ、合格は合格ですよね」
「そうだな。合格だ」
「これでまた一歩、夢の実現に近づきました」
しんみりする俺を気遣ったように雪緒は笑った。
「本当に夢が叶うなんて信じてないんだろ」
雪緒はきょとんとした顔で俺を見る。
「信じてますよ。先輩は信じてないんですか?」
「こんなもんで夢なんて叶うわけないだろ」
「でも先輩もチャレンジしたんですよね?」
雪緒は真っ直ぐ俺を見つめる。
その瞳を見て、嘘を付くのはなんだか躊躇われた。
「ああ、したよ。やって夢は叶わなかった。だから信じてない。だからお前もやめておけ」
はっきりと否定したことで雪緒も諦めてくれると思った。
しかし雪緒は目を細めてニヤッと笑った。
「先輩、ズルしたんじゃないですか? だから夢が叶わなかったんですよ」
「はあ!? そんなことするかよ」
「だって先輩は泉の試練は一日に何回やってもいいとか亜流でやってたじゃないですか。それがよくなかったんですって」
「ふざけんな。そもそも──」
『俺が考えた試練なんだぞ』という一言は、なんとか喉の奥で押し止める。
「そもそも何ですか?」
適当にはぐらかそうとしても追求されるに違いない。
ここは話をすり替えるしかなさそうだ。
「そもそも『七つの試練』をクリアしたあと、どうやって願いを叶えるのか知ってるのか?」
「え? クリアした瞬間願えば翌朝に叶うとかじゃないんですか?」
「やっぱり知らなかったのか。そんなことでよく挑戦しようなんて思ったな」
「どうしたら願いがかなうのか教えてください。ってお願いしてもどうせまたはぐらかされるんでしょうけど」
「いや、いいよ。教えてやるよ」
「え、いいんですか?」
雪緒はきょとんとした顔で俺を見る。
急に協力的になったことを驚いているようだ。
しかし別に俺は親切心で教えるわけではない。
むしろそれを教えることによって雪緒に七つの試練を諦めさせるつもりだった。
「願いを叶えるためには『約束の地』に行かなくてはいけないんだ」
「約束の地? ずいぶん仰々しい名前ですね。どこなんですか?」
「まあ口で説明するより行った方が早い。連れて行ってやるよ」
何も知らず感謝する雪緒を連れ、俺は願いを叶える場所、『約束の地』へと向かった。
そこへ行くのは何年ぶりだろう?
意識的に近付かなかった場所に向かうのは、少し勇気のいることだった。




