29.ローズブレイド公爵領
ちょうど学園が長期休暇に入るところだったので、セシリアはローズブレイド公爵領を訪れることにした。
貴族の間では、令嬢が婚約者の家に滞在して、現在の女主人からその家のしきたりを学ぶというのは、よく行われていることだ。
ローズブレイド公爵家には現在、女主人はいない。しかし、領地で学ぶことはあると言えば、セシリアの公爵領行きを反対する者はいなかった。
もともとセシリアは、周囲から放置されている。少し見方は変わってきたとはいえ、あえて口出ししようとする者はいない。
ローガンは後ろ盾となるローズブレイド公爵とセシリアの仲が良いのは結構なことだと快く送り出し、ヘレナは離宮で療養中のままだ。
セシリアは、エルヴィスと共に馬車でローズブレイド公爵領へと向かった。
各地の道も崩れている場所があると聞いたが、幸いにしてローズブレイド公爵領への道は何事もなく、平穏にたどり着くことができた。
「ああ……変わっていない……」
ローズブレイド公爵領の屋敷を見つめながら、セシリアは誰にも聞こえないようにそっと呟く。
立派な屋敷の外観は、アデラインの記憶にあるものと同じだった。
さわやかな風に乗って、庭から華やかな香りが運ばれてくる。
かつての記憶と感情が大分切り離されてきたセシリアだが、それでも胸にこみ上げてくるものがある。
もし、記憶を取り戻した当初だとしたら、泣き崩れていたかもしれない。
「お気に召しましたか? ご案内しますよ」
エルヴィス自ら手を取って、セシリアを屋敷に案内してくれる。
二人を出迎えた使用人たちの中には、アデラインの記憶で、どことなく見覚えがあるような気がする者もいた。
しかし、アデラインが領地にいたのは幼い頃で、記憶は薄れている。さらに、その後かなりの年月が経過しているので、たとえ同じ使用人がいたとしても、わからないかもしれない。
「ようこそお越しくださいました、セシリアさま。私は家令のトレヴァーと申します。未来の奥さまをお迎えできること、我ら一同大変喜ばしく存じます」
それでも、優雅に挨拶してきた家令のトレヴァーだけはわかった。
アデラインの記憶よりもずいぶんと老けているが、アデラインの父である先代当主に付き従っていた姿を覚えている。
ちなみに王都の屋敷にいた執事スタンは、彼の息子だ。
「ありがとう、トレヴァー。これからよろしくお願いするわ」
セシリアが答えると、トレヴァーの目元と口元の皺が深くなる。儀礼的なものではなく、本当に笑みを浮かべているようだった。
控えている他の使用人たちも、どことなく浮き立った雰囲気だ。
エルヴィスに案内されて屋敷に入ると、建物にはさほど変化がないように感じられる。
セシリアに用意されたのは、女主人の部屋だった。
かつてアデラインの母が使っていた部屋で、内装は新しくなっているようだが、雰囲気は記憶にあるものと似ている。
大きな窓からは穏やかな光が差し込み、室内を明るく照らしている。家具や調度品は落ち着いた色合いのものが多く、穏やかな佇まいだ。
「この部屋はあなたのものですから、お好きなように改装してください。必要なものがあれば、侍女に命じればよいので」
「いえ……今のままで素敵ですわ。何だか、懐かしいような感じがしますわ……」
遠い記憶では、この部屋でアデラインの母が微笑んでいた。
もうその顔もぼんやりとしか思い出せなくなっているが、優しい思い出だったことだけは覚えている。
「この部屋は、先代の夫人が好んだ趣を残してあります。これからの主人はあなたなので、お好きなように改装してくださればよいと思っていましたが……先代の夫人と趣味が似ているのかもしれませんね」
エルヴィスも、どことなく懐かしそうに微笑む。
少しだけ焦りを覚えるセシリアだが、趣味が似ているくらいはよくあることで、おかしなことではないと己に言い聞かせる。
「そうですわ、使用人たちの反応……正直なところ、もっと複雑そうな顔をされると思っていました。私はあの二人の娘ですから……」
話を変えようと、セシリアは違う話題を持ち出す。
使用人たちがセシリアに対して、好意的に思えたのだ。
かつてアデラインを貶めたローガンとヘレナの娘なのだから、もっと隠しきれない憎しみをぶつけられる可能性を考えていた。
エルヴィスも最初はセシリアに対して、紳士的ではあったが冷淡だった。
「事前に、あなたがいかに素晴らしい女性であるか、言い聞かせておきましたからね。私と志を同じくすると言えば、古参の者も納得しましたよ」
やはり、エルヴィスの復讐心は古参の者なら知っているようだ。
どうやら、セシリアのことも仲間と認識してくれたらしいことに、ほっとする。
「あと、今までいくら結婚をと急かされても聞き入れなかった私が、ようやく相手を見つけたことで、皆が浮かれているというのもありますね。あなたは本当に歓迎されていますので、ご安心ください」
安心させるように、エルヴィスは微笑みかけてくる。
もともとは契約による婚約であり、無事に罪を暴くことができれば、婚約解消を考えているセシリアには、心が痛む話だ。
今、エルヴィスが優しく接してくれているのも、一目惚れした婚約者としてふさわしく振る舞っているだけなのだと、セシリアは己に戒めている。
セシリアはエルヴィスにとって仇の娘であることは、紛れもない事実なのだ、と。
「……親の罪を子が背負う必要はないと思うのです。まして、その罪によって幸福を甘受するどころか、不幸を被せられていたのですから」
しかし、こうしてセシリアの心を見透かしたような言葉をかけられると、どうしてよいものかわからなくなってしまう。
本当にエルヴィスが望んでくれているのなら、このまま彼の妻となってもよいのではないかという誘惑が頭をもたげてくる。
セシリアは自分の心がごちゃごちゃになって、わからなくなってしまう。
だが、何にしてもまずは罪を暴くことだ。
全てはそれから考えようと、セシリアは心に蓋をして、目的だけを見つめた。










