参・第三章 第五話
「……っ!」
「……くっ?」
そして、俺と仮面の巨漢による対峙は……完全な千日手と化していた。
怪我をしたくない、だけど逃がしたくない、武器が壊れてしまった俺と。
ここで俺を倒したい、だけど撤退の殿をしなければならない、右肩の外れたベーグ=ベルグスと。
……変な意味で、俺たちの目的が合致していた所為だろう。
巨漢が一歩退けば俺が一歩前へ踏み出し……
巨漢が俺への牽制のために石槍を構えれば、俺は一歩後ろへ下がり……
──くそっ。
──また、フェイントかっ!
踏み込んでは退き……勝負を終わらせようと決意をすれば、ベーグ=ベルグスの石槍の挙動に意識を奪われ、微妙にそのタイミングをすかされる。
そのフェイントにいちいち惑わされてしまうのも……俺が「怪我をしたくない」と思っている所為だろう。
普段なら、フェイントも実際の攻撃も意に介さず、そのまま殴りかかるのだが……
現在の無敵モードが途切れている今の俺では、普段のように特攻をかける訳もいかず……「技量の差」という如何ともしがたい弱点を突かれ、仮面の巨漢によって良いように弄ばれていた。
「……まだ・か」
そうして対峙している間にも、仮面の巨漢はたまに背後へと視線を向ける。
……仲間の撤退の様子を伺っているのだろう。
とは言え、周囲から『聖樹の民』が矢を射掛け続けられている『泥人』たちは、密集陣形を解くことが出来ず……その撤退は遅々として進まない。
そんな仲間の様子を見て思わず苛立ちを口にした所為か……仮面の巨漢の意識が、俺からふと逸れる。
──今なら……っ?
その瞬間こそが好機だと見た俺は、拳を握りしめ……大きく前へ一歩踏み出す。
……だけど。
「……くっ」
そんな俺を待っていたのは石槍の先端が風を斬る音だった。
眼前を右から左へと通り過ぎて行った石槍の先端に……俺は思わず足を止めていた。
あの尖った石槍を、あの速度で突き立てられたら、どれだけ痛いのか……そんな要らぬ想像を巡らしてしまった所為だった。
そうして、十数度目の攻撃の機を失い、俺が踏鞴を踏んだ。
……その時だった。
「今だっ!
アイツを殺れっ!
射殺すんだっ!」
「応っ!」
俺がこの巨漢に足止めを喰らっていることに気付いたのだろう。
ミゲルたちがいた枝とは違う少し離れた枝に、カル=カラナム率いる一番隊……十数名の男たちが、揃っていた。
そのまま一番隊の連中は殿を務めていた仮面の巨漢へと一斉に矢を射掛ける。
「……ち・ぃぃっ?」
俺の攻撃を全て防ぎ切っていた、達人と称してもおかしくないベーグ=ベルグスであっても……その一斉射を前にしては分が悪かったらしい。
必死に左手の石槍で矢を弾き落そうとするものの……
「ぐ・くっ……」
右肩が外れていることもあり……流石の達人でも左手の石槍一本では十数本の矢を防ぎ切ることなど出来る筈もなく……
一斉射が終わった頃には、巨漢の右腕には一本の、右肩には三本の矢が突き刺さっていた。
──いや、違う。
ただ突き刺さったにしては……突き刺さった矢が右側の腕にばかり集中し過ぎている。
つまりコイツは……使えない右肩を使って、矢を受け止めたのだ。
あの咄嗟の瞬間に今後の戦局を見据えた判断を下し……右腕を捨てたのだろう。
恐らくは、仲間を守るため、もう暫くの間、殿を続けるために……つまり、このまま俺と対峙し続けるために。
──手強いっ!
その咄嗟の判断力に、俺は舌を巻くしかない。
とは言え、この状況で……コイツを逃がすなんて選択肢がある筈もなく。
そして……そんな達人が矢の痛みに硬直している今こそが、千載一遇のチャンスなのも事実だった。
──今ならっ!
「うぉおおおおおおおおおおおっ!」
俺は雄叫びを上げながら、右拳を固め……仮面の巨漢へと距離を詰める。
それを見たベーグ=ベルグスの石槍の先端が、地面すれすれのところで弧を描くが……
──知った、ことかぁああああっ!
こうなればフェイントもクソもない。
勿論、ここまで技量差がある以上、一撃は喰らうだろうが……俺は多少躊躇いつつも、石槍を突き立てられる痛みへの覚悟を決める。
このレベルの強敵を相手に戦いが長引けば、戦巫女セレスを相手にしたあの時と同じように……身体中怪我だらけにされる可能性が高い。
それならば、一撃を耐えて勝負をさっさと終わらせた方がマシ、だろう。
俺はそう覚悟を決めたからこそ……右拳を握りしめ、歯を食いしばる。
一撃を喰らいながらの全力攻撃で、何もかもを終わらせる覚悟を決めた俺は……ただ渾身の一撃を真正面へと叩きつける。
「うぅぅ、らぁぁぁああっ!」
「やらせ・るかぁああああああああっ?」
俺の特攻を前に、ベーグ=ベルグスの取った策は……俺の予想通り、石槍によるカウンターだった。
足元で弧を描いていた石槍の穂先が跳ね上がり、俺の咽喉元目がけまっすぐに突き出される。
……だけど。
──甘いんだよっ!
生憎と、この達人級の化け物がそう動くのは、俺にとっては予測の範疇でしかない。
俺は奥歯が軋むほど力強く歯を食いしばると、咽喉でその槍を受け止め……
「ごっ、がぁああああああああああっ!」
息詰まる吐き気に耐えながら、その勢いのまま、仮面の巨漢の頭蓋を叩き割ってやろうと……右拳をまっすぐに突き出した。
……いや、突き出そうとした。
──なっ?
……だけど。
ベーグ=ベルグスという『泥人』は、俺が予想していたよりも遥かに凄まじい技量の持ち主だったらしい。
俺の拳を避けられないと判断したその刹那、俺の咽喉にぶち当たった石槍……先端が砕け散った石槍を支点にして、そのまま後ろへと跳んだのだ。
……背後には、着地するような足場はないというのに。
「がっ、ごふっ……どう、な、った?」
俺は咽喉の痛みに咳き込みながらも、さっきまで戦っていた仮面の巨漢……ベーグ=ベルグスの最期をこの目で見届けようと身を乗り出す。
そして、見てしまう。
その……あり得ない光景を。
「……なん、だとっ?」
その『泥人』を指揮していた仮面の巨漢は、落下している最中に左手一本で懐から流星錘らしき武器を取り出したかと思うと、近くの幹へと放り投げ……
そのまま、その細い一本の紐を支えとして、円弧を描くように聖樹を蹴りながら速度を殺し、下の根にいた仲間のところへと降り立ったのだ。
とは言え、流石にこの高いところから落ちた勢いを全て加速するのは無理だったらしく、『泥人』たち数人を薙ぎ払ってしまっていたが……
……それでもまだ、あの大男が生きて動いているのが見える。
「馬鹿なっ?
あんな動き、人間じゃ、あり得ねぇだろうっ?」
その仮面の巨漢が見せた一連の挙動に、俺の口からはただそんな驚嘆の叫びが零れ出ていた。
何しろ、この目で見ても……それはあり得ない光景だったのだ。
俺の攻撃を咄嗟に緊急回避しただけの、あんな刹那の状況で……右肩が外れているにも関わらず、たった左手一本で武器を探り出し、あの巨体を駆使して死地から逃れる、なんて。
……身軽とか、器用とか、そういうレベルの話じゃない。
幾度となく死地を経験し、そこから這い上がる術を何度も繰り返した。
そういう熟練の戦士のみに可能な、いっそ人外と呼んでもおかしくないその行動に、俺は驚きを通り越して呆れ返り……ただ肩を竦めることしか出来なかった。
とは言え、自分の庭が穢された『聖樹の民』たちは、そうは思わなかったらしい。
「逃がすなっ!
俺たちの家を踏み荒らしたゴミ共を、生かして帰す訳にはいかんっ!
絶対に、射殺せっ!」
「応っ!」
さっきまで隣の枝から矢を射掛けていた一番隊の連中が、強弓を操るカル=カラナムの叫びによって一斉に駆け出す。
枝の上から次から次へと矢を射掛け、一人でも多くの『泥人』を屠ろうと躍起になっているのだろう。
その降り注ぐ矢の所為か、それとも殿を務めていたベーグ=ベルグスが追い落とされたことで混乱したのか……『泥人』たちはその追撃に慌てふためき、完全に統率が失われていた。
その統率を取り戻すべき肝心のベーグ=ベルグスは……さっき墜ちたダメージが大きい所為か、統率を取り戻すどころじゃないらしい。
そして慈悲の欠片もない一番隊の追撃は、敵が見える範囲から……『聖樹の都』から逃げ散っても続き……
そのまま彼らは逃げ去る『泥人』を追って、散り散りに薄霧の立ち込める都の外へと走り去っていく。
「……お~、お~、元気だよなぁ、アイツら」
聖樹の根に溜まっている水たまりを踏み散らし、水しぶきを上げながら走る一番隊の連中を眺めながら……聖樹の幹の上に立ったままの俺は、他人事のように気軽にそう呟いていた。
事実、俺はああやって必死に追いかけるほどの殺意を保てない。
そもそも、今回の戦いは防衛線であり……こうして『聖樹の都』を守り切ったのだから、もう戦いは十分だろう。
それに……血を吐いたミゲルの様子も気になっている。
「アル=ガルディアさん。
行って、下さいっ!」
だけど……そんな俺の背に向けて、デルズ=デリアムの必死の叫びが放たれる。
その叫び声があまりにも真剣だったこともあり……ミゲルたち二番隊のいた枝へと注意を向けていた筈の俺は、思わず少年の方へと視線を向けていた。
とは言え、そう言われても……これ以上の戦いに気が進まないのも事実である。
思ったより長時間戦ったことによる疲労や、不完全な権能のまま散々戦った所為で手のあちこちを怪我していることもあるが……何より、この聖樹という場所は、高いところにあって……
──降りたら、またこれを登らなきゃならないんだよなぁ。
その躊躇が、俺を『泥人』共への追撃から遠ざけていた。
要は……面倒だったのだ。
「……しかし……」
「ミゲル隊長の様子は、見ておきますっ!
ですから、今は……カル=カラナム隊長の援護をっ!」
言い訳をするように、俺の視線が遠くの枝へと……ミゲルたち二番隊が並んでいた枝へと向けられたことに気付いたのだろう。
デルズ少年は俺の逃げ道を塞ぐと、俺への要請を大声で叫ぶ。
その必死の叫びに俺は首を傾げるしかない。
何しろ……今は、勝ち戦なのだ。
勿論、追いかけて行って多少の被害は出ても……勢いはこちらの方にある。
こっちが一人殺されても、それまでに十人殺していれば、戦果としては十分過ぎるだろう。
「僕たちは、樹から降りたら……『泥人』には勝てないんですっ!
それに……聖樹の防衛上、これ以上の死者を出す訳にはいきませんっ!
だから、一刻も早くっ!」
相変わらずデルズ少年は頭脳明晰で……だからこそ俺の疑問に気付いたのだろう。
俺が何かを言うよりも早く、叫びでその疑問への答えを返してくれた。
そして、その言葉に納得してしまった以上、俺の中から「面倒だから一番隊の連中を放置する」という選択肢は跡形もなく消え去ってしまう。
「くそっ!
飯、大量に用意するように伝えておけっ!」
せめてもの意趣返しと言うか、体よく使われている報復を兼ねて、俺は咄嗟にそんなことをデルズ少年に叫び返していた。
まぁ、実際……さっきの戦闘でカロリーを消費したのか、またしても俺に空腹が襲いかかって来ているのも事実だったのだが。
「わかりましたっ!
必ずっ!
ですから、彼らを……一番隊のみんなを、お願いしますっ!」
そして、狭い聖樹の幹を降りはじめた俺の背中へと、デルズ少年のそんな声が届く。
俺はそんな少年に片手を上げて応えると……細く不安定な聖樹の道を、恐る恐る慎重に下り降り始めたのだった。




