78話 敗者達の挽歌
元ウェスパシア訓練所の下位闘士ブレンヌスは非常に上機嫌であった。
元同僚にして友人であるカルギスの様態が安定したからだ。
「ブレンヌス様、いつもありがとうございます」
深々と頭を下げる側仕えのマンティに見舞いの品を渡し、久々の笑顔を見せるニウスの頭をクシャクシャと不器用に撫でて、喜びを分かち合った。
「お前さんも馬鹿をやったな。毒なんか飲んじまいやがって」
「心配をかけてすまなかった、ブレンヌス。どうしてもアウロ議員とロマレースさんにケジメをつける必要があったんだ」
まだ起き上がれないカルギスは自宅の寝室で療養中だ。
「それにしてもなぁ…ニウスの奴、ずっと泣くのを堪えていたが瞳を潤ませていたぞ。あまり心配させてやるな」
「そうだな…あいつにも迷惑をかけた。それより、お前の生活はどうなった?大丈夫なのか?」
お互いを心配しあえる気心のしれた仲間。
ウェスパシアは気前はいいが、その分順位争いが苛烈で殺伐とした雰囲気の訓練所だ。
独り身のブレンヌスにとってカルギスは心を許すことの出来る数少ない友人の一人だった。
「なに、敢闘精神の欠如とやらを言い分に、新しい興行師様から除名と退所を命じられただけだ。俺は気楽な独り身だからな。たいした事じゃないさ」
ブレンヌスはクロネリア市民だ。
ある程度は蓄えもある。
しばらく休養を取り、次は剣闘士以外の道を探すつもりでいた。
「それは…あんまりじゃないか」
つい、口から出てしまったのだろう。
友人に憐れみをかけるのは失礼だったと、カルギスが慌てて取り繕い始めた。
「なんでも、南にあるコピルという町の訓練所で剣闘士達が反乱を起こしたそうだ。今なら兵士でも警備兵でも、お前なら引く手あまただろう」
「ふむ…警備兵長なら、なってやらなくもないな」
「こいつ、最初から隊長格で就職する気でいやがる」
試合に負けて毒まで飲んだ負け犬と、試合に負けて職を失った負け犬同士。
傷を舐め合って、空元気で乗り切るしかないわな…
自虐を込めてそんな事を考えながらも、ブレンヌスの心は不思議なほど晴れやかでスッキリしていた。
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「店じまいだよ、にいさん。さぁ帰った帰った!」
「ぅおい!金ならあるろ…飲ましちくりぇら」
「しょうがないお人だな…ったく」
夜の盛り場もそろそろ店じまい、深更まで長居する客に良客無し。
一人残った酔客の身なりからして支払いは問題なさそうだが、そのままというわけにはいかない。
店主は店の片付けをしていた手伝いの奴隷に声をかけて、酔っぱらいを店の前まで引きずりだした。
「おれろ、誰だろおもってんら!うぇっ…ぎ、ぎもちわるぃろ…」
「店の中でぶちまけんでくれ。お客さん、飲み代をいただきますよ」
客の懐から飲み代を抜き取ると、店主と奴隷はそそくさと店じまいの準備へ戻っていった。
「なんれ…なんれ、こんなことに…」
「それはな、お前さんがやり方を間違えたからよ。ロマレース」
「誰ら!お、おま…おまえはラモン!」
「ラモンではないわ、ダモンだ。ウェスパシアの若い興行師」
「何のようら!俺を笑いにきらのか!」
正体を失うほど飲んだくれたロマレースにダモンは軽蔑ではなく、憐れみの視線を向けた。
「聞いたぞ。訓練所の所有権を失っただけでなく、家も財産も失ったそうだな」
「だ!誰のせいらと思ってる!お前のせいだ!」
痛いところを突かれてロマレースは激昂したが、その勢いも一瞬の事。
「たった一度の舞台で全てを失ってしまったんだぞ…俺の…俺の気持ちがわかるか!うぅぅ…うぅっ」
怒鳴り散らしたかと思えば、今度はスンスン泣き出してしまったロマレースに、ダモンは居心地悪そうな渋面を浮かべたが、気を取り直して根気よく話しかけた。
「たった一度とはいえ、失敗してはいけない場面というのもある。だが…お前さんは星回りが悪すぎたな」
同情を寄せるダモンが意外だったのか、ロマレースは充血した目を丸くする。
「同情…してくれるのか?」
「お前の父は強引すぎた。その上、パトロヌスの議員も悪質にすぎた。お前にも非はあるが…拾う者がいてもいいと思わないか」
「お、俺に…何をさせる気だ…」
ロマレースの顔にわずかではあったが酒気が消え、生気と疑念が姿を現した。
「息子のトリトスは計算高く堅実だが、挑戦心に欠ける。お前は挑戦的だが足元が疎かだ。二人がうまく噛み合えば、いいコンビになるのではないかな?」
「こ、興行師にしてくれるのか?この俺を?」
これ以上ないほど驚くロマレースに、ダモンがピシャリと付け加える。
「見習いからだがな。どうだ、私に賭けてみないか?」
ウェスパシア・ロマレースは生まれて始めて、尊敬できる師に出会うことができた。
彼はこの日の出会いを生涯忘れる事はなく、酒が入ると必ず後進の者達にうるさく言い聞かせた。
「たった一度でも失敗してはいけない場面というものはある。だが、そこで失敗したとしても自棄になってはいけない…俺のように」と。
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明日の投稿で“第一部:奴隷剣闘士編”は完結いたします。ぜひ、最後までお付き合いください。
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