77話 ヴァルハラ
魂の交代などという人の身では成らざる神秘。
匠に応えるためヘリオンはその神秘を、誰に知られる事なく密やかに、そして瞬きのうちに執り行い完了する。
状況はあまり良くない。
左手に持った盾を構えての体当たり。
無理な体制から敢行したせいで後が続きそうにない…前のめりの重心、両足は半ば浮いた状態、剣を持つ右肩は後ろに引いている。
盾の外側側面に食い込んだアルティウムの剣。
その剣によって体当たりの勢いをそのままに、方向だけを変えられてしまった。
ギャギャギャッ!と不快な音を立てて剣を滑り、徐々に破砕されていく盾が悲鳴を上げている。
この剣を自由にしてしまったら、あっさり背中を一突きにされてしまうだろう。
ならば…
「URAAAAAaaa!」
瞬時に状況を掌握したヘリオンは、鬨の声を上げて行動を開始する。
盾に食い込む刃を支点にして慣性に抗い、力ずくで構えた状態の左腕を伸ばし、弧を描くように体を開く。
間髪入れず右手のスパタ(長剣)を大地に突きさして勢いを殺すと、浮いていた右足が土煙を上げて着地する。
左腕の筋肉を少し痛めたようだが、これで背中を見せる事なくアルティウムと再び対峙できた。
状況の改善にヘリオンは、ふうっと安堵の息をひとつ漏らした。
「まさに…mirabilis(ミラビリス、素晴らしいの意)というヤツだな。君は力の流れや方向性というものを理解し、それを支配している…君の限界に興味が湧いたよ」
アルティウムは上機嫌に微笑み、天を仰ぐ。
「この雨が…私の内で煮えたぎる熱を冷まし、君の命を救うだろう。ウォーターとその巫女ネプテューヌに感謝し給え」
まるで預言者のように厳かに告げると、アルティウムの左薬指にはめられた指輪が赤い閃光を放った。
「kenaz…ignis fatuus」
鬼火を意味するその言葉と共に四方のかがり火が、びゅおうと揺れ動き、狐を模した炎が飛び出すようにヘリオンへと襲いかかる!
「魔法の炎とは面倒な…」
四方から向かってくる炎の狐。
ヘリオンは左前方の一匹に狙いを付けると、腰を低く下げて突進し、狐の顔面に盾を叩き込んだ。
ジュオッ!
顔を潰された狐は盾を盛大に炎上させ、盾もろとも燃え尽きる。
即座に盾を手放し、そのまま左手でフランキスカ(投斧)を抜き取る事も忘れない。
後方から二匹、右に一匹、前方にアルティウム…
どうやら炎の狐は、かなりの追尾性があるようだ。
そして接触した物を燃やし尽くすと消滅する。
ヘリオンは思考する。
炎の狐を切り裂くことはできるだろうか?
水たまりを蹴り上げたら消火できるのか?
術者を殺したら魔法は消えるのか?
こちらの手持ちは投斧と長剣、相手は3匹と1人。
そしてアルティウムは強い。
投斧で一撃などとはいかないはず。
なんという闘いだ。
一手でも間違えようものなら無事では済まない…そんな闘いはいつ以来だろうか?
ひりつく緊張感に心が躍り、つい口元が緩んでしまう。
戦場で死した戦士はヴァルキュリアに選別され、戦死者の館であるヴァルハラへと送られるのだ。
ヴィークの民にとってそれは、恐れではなく名誉な事。
この闘いで命を落とそうと、きっとヴァルハラに迎えられるだろう。
アルティウムにせよ、私にせよだ。
であるならば、何を恐れる事もあるまい。
ヴァルキュリアが喝采するほどの勇気を見せつけるだけだ!
夢の中にいるような、ふわふわとした浮遊感。
アルコールでベロベロに酔った状態でゲーム実況を見ているのが比較的近い感覚だろうか、現実感のない闘いをぼんやりと匠は眺めていたのだが…
「ヴァルハラに行けるのだ、死など恐れるに足らず!」
そんなヘリオンの歓喜の叫び声に冷や水をぶっかけられた。
ちょっと待て!
待て待て待て!
俺が安心してヘリオンに任せられるのは、ヴァルハラに行けるほど強いからではない。
ヴァルハラに行かないで済むほど強いからだ。
まさか、こんな身近なところに致命的なレベルの価値観の違いが埋もれていたとは…
「ヘリオン!」
「ヘリオンさーん!」
「応答してくれ!」
ヘリオンから溢れ出る歓喜の高揚感が匠の声を霧のように包み隠してしまう。
ヘリオンの方針は決まった。
ドンッと踏み込み、まるで馬のように水たまりの水を後方に蹴り上げる。
これで後ろの炎の狐二匹は、うまくいけば消滅。
それが無理でも威力は減じるだろう。
それと同時にスパタ(長剣)を右の狐に投げつける。
即座にフランキスカ(投斧)を右手に持ち替え、アルティウムへと飛びかかった。
そこまでは良い。
だが、アルティウムほどの強者が3手も見逃してくれるわけがなかった。
「それは悪手だったね、残念」
アルティウムが盾の裏から一本のプラムバタ(投げ矢)を取り出し、軽く天に放り投げる。
「kenaz…acceleratio」
魔法の発動でプラムバタの矢羽が爆発を起こし、まさに爆発的な加速でヘリオンの左腿を撃ち抜いた。
「があっ!くそったれ!」
ドオンッ!
悪態をつくヘリオンの背中に、二匹の炎の狐が到達。爆発し、背中を焼き焦がす。
「ぐうぅっ!」
必殺の覚悟でアルティウムを睨みつけ、右手を振り上げるヘリオン。
アルティウムにも油断はない。
手負いの獣ほどやっかいな敵はいないのだから。
ヘリオンの最後の牙、振り上げられたフランキスカに集中する。
飛びかかったヘリオンはフランキスカの振り下ろしで頭部を狙う。
それを地上から迎え撃つアルティウムはスパタでの逆袈裟斬り、斜め切り上げで振り下ろされる右手を狙った。
神速を極める二人の戦技であったが、撃ち抜かれた腿と焼かれた背中がヘリオンの動きを鈍らせる。
ザンッ!
空中に跳ね飛んだのはヘリオンの右手。
勝利を確信したアルティウムだったが、どこか納得のいかない違和感を覚える。
ヘリオンは生よりも勝ちに執着しているように見えた。
勝ちを取りにきてこの幕切れか?
待て、やつの投斧は?
空中に舞い上がるヘリオンの右手に目線をやり、アルティウムの背筋に怖気が走る。
右手を失ったヘリオンだがその殺気は衰える事がない。
接近してくるヘリオンの顔がギラリと光を反射して気付いた…こいつ、腕を囮にしたのか!
口に咥えた斧がアルティウムの首筋に迫る!
「merda!(畜生の意)」
思わず呪詛をこぼすアルティウム。
迫るフランキスカがアルティウムの首の皮を一枚断ったところで、ヘリオンの体から力が抜け落ち、がっくりと崩れ落ちる。
どうやら最後の最後で意識を失ったようだ。
「土壇場でひっくり返しに来るとは…たいしたものじゃないか。簡単に命を天秤に乗せるのはバーバリアンの性かな。
少々問題だが、私の後継とするには十分な強さだ」
アルティウムはパチリと指を打ち鳴らして、かがり火を消す。
これで、大した時間をかけずにカサンドラかフーガが様子を見てヘリオンを救うだろう。
「後輩君、生きろ。生きてもっと強くなってくれ。君を待ち受ける未来はもっと野蛮で残酷だ…また会おう」
天が涙を流している。
激しく降る雨音にヘリオンのうめき声はかき消されたが、匠には聞く事ができた。
「負けた…私が…」
生に対する執着の無さがヘリオンに作戦を誤らせ、勝敗を分けた。
雨に紛れて流れ落ちるヘリオンの涙に匠は決意する。
次は必ず一緒に闘おう、と。
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