75話 情報屋のフーガ
盛況な居酒屋を後にしたケットシー(猫の妖精)のフーガは屋根の上でゴロリと寝転び、ふわ~むと大きなあくびを一つして、故郷とヘリオンの事を考えた。
彼の故郷はクロネリア帝国北部の国境線となっている長大なレイン川を越えた先、帝国人が『マグナ・ガルタニア(大なるガルタニア)』と呼ぶ地域にあるトルトブルクの森だ。
そこはかつて、クロネリア帝国がガルタニア地域の支配を掲げて侵攻し、戦場となった森。
現在から40年ほど前に勃発したガルタニア戦役と呼ばれるその戦争は、国家の形を成していないにも関わらずガルタニア諸部族が一致団結し、侵攻するクロネリア帝国軍を圧倒。
特に『トルトブルク森の戦い』と呼ばれる戦線では、帝国軍を全滅させるに至った。
結果、国境線をレイン川まで押し返す形で終結を迎える。
最新の装備と戦闘教義を備え、精強を誇るクロネリア帝国軍を押し返し、全滅させるほどの強さを持つガルタニア諸部族。
中でもトルトブルク森北部から、凍える北のガルド海の間に集落を持つ『ヴィーク族』は、少数ながら海賊や傭兵を生業とする卓越した戦士の集団。
マグナ・ガルタニアは破竹の勢いで領土を拡げる超大国クロネリアを退け、苦杯を舐めさせた地域である。
それ故に帝国を警戒する者、嫌悪する者、軽んじる者が多く、わざわざ帝国に出向こうとする者は稀だ。
ガルタニアの民が好き好んでクロネリア帝国に移住してきたとしたら、そいつは自分のようによっぽどの落ちこぼれなのだろうとフーガは思っていた。
しかし、彼はどうやら違うらしい…
ヘリオンの強さ、外見的特徴や試合で見せた鬨の声などはヴィーク族と一致する。
試しに少ない会話の中にガルタニア語を交ぜてみたが、ヘリオンは何ということもないという風にガルタニア語でサラリと返してくれた。
間違いない。
異国の地で貴重な同郷者と出会えた喜びにフーガは長いシッポをピンと立て、ふるふるっと震わせる。
そんなフーガであったから、帝国に暮らす先達として可愛い後輩に都会での暮らし方を教えてやろうとしばらく見守る事にしたのだ。
猫らしく少しだけ距離を取って。
ペロペロと顔を洗い、前足の毛並みを整えた頃だろうか、店内からガシャガシャガシャーン!とテーブルをひっくり返したような音が響き渡り、ビックリしたフーガが毛を逆立てて目を丸くしていると、一人の男が店から逃げ出すように飛び出していく。
これは、きな臭い気配がするニャ…と、音もなくその男を追って路地裏の奥に降り立ったのが運の尽き。
好奇心は猫を殺す。
ジュッ…という音と共に、鼻腔をくすぐったのは肉が焼ける不穏な匂い。
「こんばんは。こんな人気のない路地裏に入って来てはいけないよ。特に一人ではね」
薄闇に紛れ、気配を殺しているはずのフーガに、にこやかな笑顔で挨拶を投げかけてきた黒髪の男。
彼が手にしているのは、先程までフーガが追っていた男…の残骸だった。
全身が黒く焼けただれ、胴体に至ってはほとんどの部分が炭化している。
「ギニャッ!」
フーガの中の野生の勘が全力で今すぐ逃げろと警告を発していたが時すでに遅し。
端正な顔立ちと友好的な表情とは裏腹に、全てを焼き尽くすような男の赤い瞳に射すくめられて腰が抜けてしまっていた。
炭化し、かつて人だったものを無造作に放り捨て、コツコツと男がゆっくり近づいてくる。
恐怖のあまり、ちょっぴりだけ漏らしてしまったフーガに場違いな優しげな声がかけられた。
「心配しなくていいよ。私の名はヴィクトリウス・アルティウム。聞いた事くらいはあるだろう?」
「あ、あニャた様は…筆頭剣闘士のアルティウム様…なぜ、こんなところに…」
本当は、どうしてこんな非道い事を?と言いたかったが怖すぎて聞けなかった。
「なに、君にこれを預かってほしくてね。情報屋のフーガ君」
フーガはアルティウムと面識などない。
名前が割れている事に全身の毛が逆立つ思いだったが、敵意はなさそうだ。
今のところ。
一歩一歩確かめるように、恐る恐るアルティウムに近づくと、手渡されたのは一通の手紙。
「巷で話題の英雄、ヘリオン君の祝勝会に私の友人も参加していてね。君が、彼の友人だと教えてくれたのさ」
「ゆ、友人というほどの事ではニャいですが…」
「同郷なんだろ?」
ついさっきの出来事が一言一句漏らさず伝わっている…
「この手紙をヘリオンさんに渡せばよろしいので?」
「よろしくお願いするよ」
大変な人に見込まれたものだ。
フーガはヘリオンに同情を禁じ得ない。
もちろん自分自身にも。
「確かにお預かりしました。間違いニャくお届けしますとも」
こんなヤバい御人からは一秒でも早く姿をくらましたい。脱兎の如く駆け出そうとするフーガの背中に、柔らかくもおぞましい声がかけられる。
「早くしないと雨が降りそうだ。寄り道せずに、お願いするよ」
その雨は、きっとこの化け物が降らせる血の雨に違いない。
フーガは震える自分の足を懸命に鼓舞して一目散にその場を後にした。
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