73話 決着の時
辺りはすっかり薄闇に包まれ、闘技場を囲うように焚かれた篝火が二人の闘いを照らし出す。
不気味に揺らめき絡み合う影は観客を魅了し、他に目が移る事を許さない。
ツヴァイハンダーがひん曲がり、フレイルが折れてなお決着は付かず、血と汗を撒き散らして殴り合う様はひたすらに泥臭く、原初の争いを彷彿とさせた。
その場にいる全ての者が息を呑み、永遠とも思える静寂に包まれた闘いが、ついに終わりの時を迎える。
ヘリオンの右拳が腹部にめり込み、カルギスが膝を屈したのだ。
一つの決着を見て取った観客達は一様に深いため息を漏らす。
煮えたぎる熱気が霧散し、緊張の糸が解けるのを惜しみつつ、会場全体を満たす野生と狂気が溶け去っていく事に安堵するため息だ。
会場の弛緩した空気からいち早く抜け出したクラウディ公は即座に動き出す。
(彼らを、カルギスという男をアウグスの気紛れで殺させてはならぬ!)
そう判じたクラウディはアウグス帝の死角になっている左手を少しだけ動かし、後ろに控える官吏クリニアスに合図を送る。
「皇帝陛下、お楽しみのところ失礼致します。お耳を…」
クラウディの意図をつぶさに察した官吏クリニアスは、そっとアウグス帝に近づき耳打ちする。
「ようやく余の出番というのに…」
あからさまに渋面を作るアウグス帝を諌めるクリニアス。
「されど火急の用向きなれば、陛下どうぞこちらに…」
「好きな剣闘も最後まで楽しめぬ。皇帝とはつくづく窮屈なものだな。クラウディ、余に代わって民をまとめよ。頼んだぞ」
「はっ!お任せを」
クリニアスはリヴィアスと並ぶクラウディの片腕だ。
リヴィアスは元老院議員として主に政治面で活躍し、クリニアスは監察官として行政と司法において便利使いできる優秀な人材である。
クリニアスに連れられてアウグス帝が渋々ながらも席を離れるのを見計らい、クラウディは颯爽と立ち上がり、檄を飛ばす。
「さぁ、卓越した勇敢な挑戦者にシュロの小枝を!奇跡を成した栄光の勝者に月桂冠を授けようじゃないか!」
かくして、多くのクロネリア市民を驚嘆させたブルトゥス訓練所主催による、闘士ヘリオンの5連戦は幕を閉じた。
最後の挑戦者であるカルギスには、本来卓越した勝者のみに与えられる“シュロの小枝”授与による助命まで行われ、観客は爽やかな余韻を楽しみ、勝者であるヘリオンと共に敗北したカルギスにも無数の声援を惜しみなく届けた。
その日、観客は財布の中の金という金をチップとして会場に投じ、二人を祝福したという。
激戦を終えたヘリオンは丸一日ぐっすりと死んだように眠り、パトロヌスであるリヴィアス議員、訓練所の主ダモンと若旦那トリトスに報告を入れた。
ダモンからの熱烈な抱擁を受け、トリトスから労いと報酬を受け取り、一通りの挨拶を交わして自宅近くにある馴染みの居酒屋へと急ぐ。
試合を応援してくれたパティア大使と側仕えのオドリーが祝勝激励会を企画してくれたのである。
『激励会』というのは、カルギスとその息子ニウス、そして側仕えのマンティも一緒に慰労したいというオドリーの希望と心遣いからきたものだ。
ヘリオンの勝利を祝おうとしてくれたパティア。
ヘリオンだけでなくカルギス一家まで労おうとしてくれたオドリー。
二人の女性に深く感謝し、皆が待つ店内へ足を踏み入れた。
「乾杯!」
馴染みの店の奥にある少し大きめの円卓を囲んで、ささやかな祝勝会。
そのつもりであったのだが…
「ヘリオンさん!あんたはこの店の誇りだよ!こいつは俺の奢りだ、飲んでくれ!」
「すげぇ試合だったな!ヘリオンさんに乾杯!」
「俺ぁ、カルギスさんの男っぷりに惚れたね!」
試合を観覧していた店主を皮切りにして、瞬く間に店内全てがヘリオン祝勝会一色になってしまった。
「祝いの席といえばこれがニャいと!」
子供サイズのチュニックを着た歩く猫がヒョコヒョコと器用に大皿を運んでくる。
「お、ケットシー(猫の妖精)じゃないか、珍しいな」
「ヘヘッ、ヘリオンさんの試合は見事でしたからニャ。お祝いに駆けつけた次第で」
どや顔のケットシーが供してくれたのは、甘く香ばしい香りを漂わせた“うなぎの蒲焼”だ。
これには匠もビックリして目が点になり…グウゥ、と大きく腹を鳴らして皆を笑わせた。
「まさか、うなぎ(アングイッラ)の蒲焼がここで食べられるとは思わなかったよ。ありがとう」
白米に乗せて山椒をふりかけて…といきたかったがそこまでは言うまい。
いや、いつか絶対やろう!と心に誓い、ケットシーと握手を交わす。
「情報屋のフーガと申しニャす。同郷のよしみでここは一つ。以後、お見知りおきを」
「同郷?」
ヘリオンの情報を知る者はほとんどいない。
同郷などと匂わされては詳しく話を聞きたい匠であったが、いかにも猫らしくサッパリした調子でスルリと人混みに紛れてしまった。
「ヘリオンさま、蒲焼…とろけましたぁ」
ニヘラと満足げな表情でオドリーが感想を口にすれば、オドリーの頭の上にちょこんと乗ったトカゲのおはぎもペロリと舌を舐めた。
「ハハッ、あれは美味かったな。うなぎの蒲焼はお米に乗せて食べるともっと美味いんだぞ」
「ええっ!?ではでは、今度やってみましょう!お米…ライスロールの上に乗せたらどうかしら…」
「パルテナスにもうなぎのレシピがありますよ。今度一緒に食べましょう。そう…ヘリオンさんはうなぎが好物なのね」
物見高く、祝い事の好きなクロネリア人。
宗教に寛容で現世利益を追求する姿勢は、現代日本人の魂である匠にとってなかなかに居心地の良いものだ。
彼らと酒杯を共に傾け、手渡される食事を平らげ、幾度となく「乾杯!」と音頭をとる。
ともすれば調子の良い酔客が空いた盃を打楽器代わりに音楽を奏で、居合わせた吟遊詩人が即興で剣闘士を讃える歌を披露する。
看板娘が小気味良く舞って見せれば、酔った男達が調子外れの陽気な合唱を自信満々で歌い出す…
そうして、六人と一匹の酒宴は余興を変え、料理を変えて夜まで続いた。
すぅすぅと可愛らしい寝息をたてるオドリーとニウス。
かいがいしく二人の世話をしてくれているマンティさん。
酒勢に頬を紅く染めてニコニコと話を聞いてくれるパティア大使は美しく親しげだ。
酒杯を片手にカルギスと二人、教育や戦術、未来について語らえば、楽しい時間はあっという間に過ぎ去っていくのだった。
お読み頂きありがとうございます。
気に入って頂けましたら、評価★★★★★とブクマをお願いいたします。ランキングと作者のモチベーションが上昇いたします。




