72話 闘技場に咲く一輪の友情
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ……
ハッ、ハッ、ハァッ、ハァッ……
心臓が跳ね、呼吸は乱れ、足もそろそろ限界が近い。
戦列を共にする槍使いのビシヌスに至ってはヒュウッ、ヒュウッと肩で息をついている。
ヘリオンとの戦いは拮抗を保っていた。
といってもそれは、あくまで2対1なればこそ。
槍使いビシヌスが脱落すればあっという間に試合は終わってしまうだろう。
そうなる前に、なんとしても有効な一撃を与えなくては……
左の篭手に仕込んだ2枚のマジックスクロールにチラリと目をやり、カルギスは決断する。
「thurisaz…」
篭手から引き抜いた一枚のスクロールをフレイルを持つ手の指に挟み込み、口中で小さく唱えて練習を重ねた魔法を待機状態にさせ、タイミングを図る。
ヘリオンの攻撃はいつでも苛烈だ。
ツヴァイハンダーなる大剣を持てばなおさらに。
その威力を十全に引き出そうとする彼の踏み込みは大地を揺るがすが如く。
だが、その踏み込みに一歩先んじてカルギスもまた、烈迫の気合でもって大地を踏みつけた。
「motus terrae!」(モータス・テッラエ!)
それは、大地と植物を司る大蛇に似た母なる古竜アースの咆哮。
ゴゴッ、ゴゴゴゴゴゴ……
カルギスの踏み込んだ足元から放射状に走る大地の亀裂。
カルギスの半径100メートル圏内を巨大な地震が襲う!
「な、なんだぁ!?うわぁっ!」
意表を突かれた匠は少々情けない声を上げ、尻もちをついてしまった。
倒れた匠に向けてカルギスはさらなる追い討ちをかける。
篭手からもう一枚のスクロールを引き出し、即座に次の魔法を発動させた。
「palus!」(パルス!)
魔法の連続発動の過負荷によりカルギスのこめかみからブシュッと鮮血が噴き出したものの魔法は無事に発現し、この世の理をねじ曲げる。
尻もちをついたヘリオンの周囲の地面が、ゴポ、ゴポポ…と不気味な泡を吹くヘドロの沼へと変質し、ヘリオンをズブズブと飲み込み始めたのであった。
今にも割れそうな頭とこみ上げる吐き気をなんとか抑え、カルギスはついに確信を得る。
ようやくヘリオンに勝つ糸口を掴んだと…
「ヘリオン、俺はお前に追いついてみせるぞ」
無意識に漏れた言葉。
それは、カルギスが己をヘリオンよりも下に置いているという事実。
カルギスはいつでもニコニコとヘリオンに接していたが、本当は悔しかったのだ。
血を吐くような思いで努力し、戦術を学び、愛する息子を思って積み重ねた研鑽と戦績。
それをなんでもない事のように軽々と超えていくヘリオン。
彼を妬み、憎めたらよかった。
だが悪いことに彼は底なしに良い奴だ。
対戦相手である己の命を救い、目新しい武器の扱いまで快く教えてくれ、病に伏せるニウスと笑い合い、側仕えのマンティにも仕事を与えた。
これほどの男はこの世に二人といないだろう。
そんな男を俺は……
俺は3対1、いや、すでに4戦もした上で卑怯な勝負をしておいて、追いつきたいだなんて笑わせる!
俺は…どうすればいい?
どうすれば、胸を張ってヘリオンと肩を並べられる?
そんな思いに駆られ、カルギスの追撃の手が止まる。
「カルギスさん!手を緩めてはダメだ!今が勝負の時!」
槍使いのビシヌスから叱咤が飛ぶ。
カルギスが魔法使用の影響で動けないと見るや、ビシヌスは素早く前に出た。
沼地に手足を沈みこませ、上半身と頭だけを覗かせる無防備なヘリオンに渾身の鋭い突きを見舞う!
戦いの決着を望むビシヌスを止める事も出来ず、カルギスは歯を食いしばり、フレイルを力いっぱい握りしめた。
(匠、ぬかったな…)
あぁ、ぬかった…カルギスとの戦いが面白くてつい、夢中になった。
(カルギスは気持ちの良い戦いをする男だからな。私も気に入っているぞ)
だよなぁ。これだけ有利な状況を作っておいて、手を止めるとことか…
どうせ、正々堂々と勝負したかった!とか、そんな暑苦しい事を考えているに決まってる。
(良い男だな、彼は)
あぁ、俺の大切な友人だ。
(大切な友人だからといって、殺されてやるわけにはいくまい。策はあるのか?)
ある!
この沼から脱出して戦いを終わらせようヘリオン!
(応!)
イメージするのは洗濯機だ。
固定された軸を中心に渦巻きを作り、遠心力でヘドロを吹き飛ばす!
水系統な気がしなくもないが、サンダーの風の魔法でも実現できるだろう。
これくらいの規模であれば、barancaを大きく崩す事なく、難を逃れられるはずだ。
魔法の沼の粘度が低くて助かった。
左手を腰にまわしてスクロールを抜き取る。
「raido…vertex!」(ヴァーテックス!)
結局、リヴィアスに言われた『ちょうどいい普通の水瓶』をイメージする事はできなかった。
そこで家事手伝いに来てくれているマンティさんがすっぽり入るサイズの水瓶を想像して魔力を引き出した。
スクロールが塵へと還り、瞬間、風が目の前で吸い込まれるようにして、小さな渦巻きが発生する。
ズオオォォォォ…
ゴォォオオオオオオオオオッ
瞬きのうちにその渦は小型のハリケーンと化す!
直径2メートル、高さ30メートルほどのハリケーンがヘドロと土を巻き上げ、真正面で槍を突き出したビシヌスまで巻き上げて闘技場の端まで吹き飛ばしてしまった。
「ぬおおおぉぉぉぉ……ぐへっ!」などと悲鳴を上げていたが真正面に立つのが悪い。
南無三。
俺はすり鉢状に窪んだ地面から抜け出して立ち上がり、我に返ったカルギスと対峙する。
これでついに1対1。
俺達は剣闘士。
だが、それ以上に友人だ。
意を決したのか重々しく兜を脱ぎ、盾を外すカルギス。
彼は両手でフレイルを構えて叫んだ。
「俺は…俺はいつかお前に追いついてみせる!」
追いつくもなにも、すでに追い詰められているわけで、まだ強くなるつもりなのか?と若干呆れつつ……
ふと、思ってしまったのだ。
追いかけると言うのなら、歩む道は同じだろう。
そして、口からこぼれたのは心からの希望。
「カルギス、お前と同じ道を歩いていけたら嬉しいよ」と。
その言葉を聞くや、カルギスは顔をくしゃくしゃに歪め、滂沱の涙を流しながら「あぁ…そうだな。そうだな…」と小さく呟いて、フレイルを大きく振り上げた。
俺もカルギスに応えてツヴァイハンダーを振り上げる。
この試合が終わったら祝杯をあげよう。
二人の友情に。
オドリーに聞かせよう。
卒倒してしまわないようマイルドかつ、少しだけ誇張して。
ニウスに語ろう。
彼の父の力強さと勇気を。
彼の父と共に。




