68話 それぞれの興行師
「ふぅ、こいつは年寄りの心臓にはキツいわい」
興行師ダモンは4戦目の結末を見届けて、張り詰めていた緊張を解きほぐすように深いため息を漏らす。
クロネリア市内の高級地に居を構え、筆頭剣闘士を輩出したブルトゥス訓練所の栄光も今や昔の話。
稼ぎ頭のゴズウェルナスが突如として姿をくらまし、時を同じくしてその弟子アルティウムはウェスパシア訓練所に取られてしまった。
悪いことは重なり、上位闘士ホラティウスは公からの依頼に従事した折、意識不明の重体。
次いで有望視されていた闘士カサンドラは、ある事件をきっかけに魔獣闘士へと転向を余儀なくされた。
これだけのトラブルに見舞われてなお、周囲に弱みを見せず豪胆に振る舞い続けるのは、歴戦の勝負師であるダモンにとっても容易ではなかった。
幸いにして跡取り息子のトリトスは父親に似ず、優秀で手堅い気質。
彼が引き継いでくれれば将来に不安はない。
後は、筆頭剣闘士……とまでは言うまい。
新たな看板となる優秀な闘士がうちに落ち着いてさえくれれば……
「この老いぼれには贅沢な最後だわな」と独りごちる。
ダモンは今回の興行に際して、ウェスパシア訓練所に試合をねじ込み、話題作りの為にクラウディ公を筆頭とした有力貴族の間を駆けずり回った。
さらには商人達のコレギウム(ギルド)にまで渡りをつけ、試合当日は他の大きなイベントが開催されないよう徹底的に調整し尽くした。
5連戦を無事に勝利で終える事ができれば、一時的にヘリオンはクロネリア市内で最も名の売れた闘士となるはずだ。
なにせ、ダモンがそうなるようにしたのだから。
ダモンは一度たりとて闘士の勝敗を売り買いした事はないが、勝利の成果を最大化する為なら際どい交渉も辞さない。
これこそがダモン式経営戦術の真骨頂であった。
彼の目論見では5連戦を終えた後に程なくして、ヘリオンは上位闘士として認められる。
現在、まともに興行ができる上位闘士のいないブルトゥス訓練所にとって大きな助けになるだろう。
「次で最後だ。頼むぞ、ヘリオン」
彼は神にも竜にも祈らない。
いつだって、結果は人の努力の先にあるものだと信じているのだから。
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「どうして。どうして、こうなった……」
興行師ロマレースは絶望に頭を抱え、心中で大神への恨みを盛大にぶちまける。
今回の5連戦には幾重にも保険をかけていたはずだ。
初戦に手配したブレンヌスは華こそないが、ウェスパシア訓練所の中核を担う優秀な闘士。
ウェスパシアのアキレス腱とも言える、闘士の育成にも関心と才能を示していた貴重な手駒の一人だった。
そんな貴重な駒を最初に投じたのは偏にロマレースがこの試合に本気だった故の事。
魔獣すら倒したヘリオンという闘士にたとえ勝てなくとも、後半戦への道筋をつけたいと真っ当に考えたから…だったのだが、いかんせん相手がまともではなかった。
「投げつけられた投槍を掴みとって武器にするなんて、人の身にできるものかよ!」
その時の光景を思い出して彼はこみ上げてくる吐き気を懸命に堪らえる。
2戦目、3戦目に至っては思い出したくもない。
己の訓練所が抱える闘士であってもショックのあまり、もはや名前すらおぼろげだ。
言い訳になるがそれどころではなかったのだ。
彼の主人とも言うべき、アウロ議員からの突き刺すような冷たい視線が彼をさいなみ続けていたのだから。
ロマレースの誤算は続く。
4戦目こそ彼のド本命。
貴族らしい奸計を好み、嗜虐的な性質を持つラナンキュラス卿は上等な駒だった。
上位闘士でもないのに尊大で、訓練所の名義貸しに近い形ではあったが、こちらがへりくだって接する限りにおいては扱いやすく、マジックスクロールまで自腹で用意してくるというサービス付き。
ローコスト、ハイパフォーマンスにして、汚い手を使ってでも貪欲に勝ちを取りに行く鬼札…だったのだが。
「目を瞑ったまま戦い続けられるなんて、何がどうすればそうなるのだ!」
理不尽極まる地獄のような現実の前に、ロマレースは卒倒寸前である。
「次で最後だ…これ以上やらせるわけにはいかない!」
5連戦を受けるに当たって、彼はヘリオンを徹底的に調査していた。
家族、友人、恋人などの人間関係。
好みから性格に至るまで。
4戦目のラナンキュラスは戦力として最強の札であったが、最後の試合はまさに保険。
奴の弱点を徹底的に突いたものを用意した…
ロマレースの願いを裏切り続けてきた大神ではあるが、この窮状を脱する為であれば何にでも、何度でも祈ってやる。
あの憎たらしいヘリオンをどうか殺してくれと。




