65話 対魔法戦
異世界の剣闘士に転生して以降、二桁に及ぶ試合を乗り越えてきた匠であったが、毒や魔法による間接攻撃を受けるのは初めての経験だった。
過去に対峙した大物のライカンスロープ、巨大ザリガニというファンタジー世界の住人ですら物理攻撃専門。
ヘリオンという人外一歩手前の驚異的な肉体を持ってしても、慣れない間接攻撃には苦戦を強いられていた。
「無様だ。無様だな、お前は。土にまみれた醜態も一度は楽しむ事もできようが、何度も見せられては興ざめだ」
ラナンキュラスの嘲笑が頭に響く。
無色無臭の毒ガス散布とスパタによる追撃。
剣撃も決してぬるいものではないが問題はなんと言っても毒だ。
毒による攻撃方法を見破らなくては、あと数合も打ち合っている内に手足の痺れか目眩によって戦闘不能に陥るだろう。
そう判断を下した匠は回避優先から観察へと方針を切り替える。
奴はマジックスクロールを1枚だけ腰に挟んでいるようだが手にしていない。
使用した痕跡もなし。
以前、リヴィアスが指輪のような装飾品で魔法を使ったのを見た事があるがその際には左手が光っていた。
ラナンキュラスにはその様子もなし。
魔法ではないのではと疑いもしたが怪しい袋や瓶もなし。
奴の挙動を、一挙手一投足を観察し、発動のスイッチと発生源を見つけなくてはならない。
「そろそろ楽になりたまえ」
歪んだ口元から紡ぎだされるのは呪文ではなく悪意。
匠の知る限り、魔法の発動にはスクロールにしろ指輪にしろ、短いながらも詠唱が必要だ。
芝居がかったセリフの次は、無駄としか思えないこれまた大仰な仕草。
部隊の司令官か楽団の指揮者のようにスパタを振るって見せるが、ここでも毒の発生源と思われる何かは見当たらない。
ラナンキュラスが持ち込んだ楽団はここぞとばかりに勇猛なBGMを奏で、指揮棒に見立てられた剣によってドラマチックな合唱が始まる。
そう、この後にヘリオンの周囲一体、腰から上に神経を麻痺させるガスのようなものが発生するのだ。
なんの予備動作もなしに複数回行われる魔法攻撃。
魔法とはいえ、そんな事ができるとは思えない。
何かを見落としているはずだ…奴の不審な行動はなんだ?
この試合に持ち込まれた不審な物は?
持ち込んだ…物?
あまりに異質、あまりに堂々と持ち込まれたせいで見落としていたが、あるじゃないか!
楽団と合唱隊が!
ヘリオンの獣じみた聴覚に意識を集中すれば、美しく調子の揃ったテノールに交じるかすかな不協和音。
声量を落としているようだが、だからこそかえって判別できる。
「…paralysis」
声の主を辿ってみれば、合唱隊の端で一人こちらを見つめて集中している様子。
手元には楽譜ではなくスクロールと思しき紙片。
間違いない、あの女だ。
タネさえわかれば対処は難しくない。
眼前に立ちふさがるラナンキュラスは一流の剣士かもしれないが、身体能力においてヘリオンは超級。
魔法を唱える彼女を敵と断じた瞬間、右手に持つスパタを横に放り、盾にしまってあるフランキスカを抜き出す。
事態を察したラナンキュラスは忌々しげに舌打ちを一つ吐き出し、スパタを向けるがあまりにも遅い反応だ。
ラナンキュラスが指揮から戦闘態勢に移行し終える前に、ドンッ!と大地を踏みしめる音と共にフランキスカが風を切って飛んでいった。
「ひいぃっ!」
ヘリオンの豪腕から放たれたフランキスカは狙い違わず、合唱隊に紛れて魔法を行使しようとしていた女の腕…ではなく、マジックスクロールを女の指先からほんの3センチばかりを残して切断。
ザンッ!と不吉な音を立てて壁に突き刺さっていた。
安全圏から魔法による支援を行っていた女に、死を予見させるには十分すぎる警告であった。
驚愕し、腰を抜かし、頭を抱えてへたり込む。
フランキスカを投げつけたヘリオンは結果を見届ける事なく横へ転がり、放り捨てたスパタを手に取る。
これでようやく五分の戦いができると安堵した矢先、頭上からラナンキュラス本人による不吉な呪詛が耳に飛び込んできた。
「vegur…caecus」
今度は何だ!?
これまでの麻痺魔法を警戒して腰をかがめるが、ラナンキュラスの詠唱が完成するや、モクモクと噴出するように現れたのは黒い霧。
とっさに距離を取るべくバックステップで数歩引くが霧は追尾するように動き、ヘリオンをあっという間に取り囲んでしまった。
吸い込んではマズいと息を止め、燻された獣の如くに反転して脱出を試みる。
命からがらなんとか霧から逃げ出したものの、猛烈な瞼の痛みに事態の重大さが嫌でもわかった。
まずい!今度は視覚を奪う魔法だったのか…
人は五感を持っているが、情報の8割を視覚から得ている。
その他の聴覚、嗅覚、触覚、味覚はあくまで視覚の補助にすぎない。
戦闘ともなればなおさら視覚情報は重要だ。
敵の出方、方向、距離、タイミング、それらを感知し対応する為にはまず敵を観察しなくてはいけないのだから。
ヘリオンの身体的スペックは常人を遥かに凌駕する。しかし、それを動かしているのは現代日本人の魂である匠だ。
これまで幾度となく難局を乗り切ってはきたが、その本質は現代人のまま。
先人の知恵と歴史を、姉の教えから拝借して段取りを整え、ヘリオンというハイスペックな肉体でごり押しする。
これが匠の基本戦術であり、全てでもある。
ヘリオンの強靭な肉体は、当の本人である匠に絶大な安心感を与えていた。
それも大半は視覚情報だ。
自信の源である肉体を認識できず、敵の姿も見失った匠は激しい不安感に襲われた。
聞こえてくるのは、ラナンキュラスの嘲笑と今から始まるであろう一方的で残酷なショーを期待する観客の歓声ばかり。
ここに味方はいない…
匠はこの世界に来て初めての恐怖を感じていた。
死にたくない、降参したい、今すぐ逃げ出したい…
そんな思いに押しつぶされそうになっている匠の耳元で囁かれるのは非情な死刑宣告。
「さぁ、ショーを始めようじゃないか」
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