64話 貴族の闘士
「さすがヘリオンさん!お疲れ様です!」
「いやぁ、突然人数を増やされるとは思わなかった」
「ですね…でもでも、お見事でした!」
ティミドゥスの率直な労いと称賛にわずかながらも癒される。
今回使用した武器はグラディウスとパルマ(円盾)だ。帝国における剣闘士の標準装備であるが故に地力が試される。
互角の争いになりやすい武器での数の暴力は連勝を重ねるヘリオンをしても、かなりしんどかった…
ザビア訓練士長が貸してくれた、柄が密かに延長されている『ちょいズル型グラディウス』(と匠は心中で呼んでいる)でなければ怪我は免れなかった。
(訓練士長にはだいぶ助けられたな…)
2回戦でのストゥルトス殺害の強要、3回戦でのペナルティとも取れる試合内容の急な変更で、だいぶ消耗している。
アウグス帝に思うところはあるが…雲上人の考えを理解しようとしても徒労に終わりそうだ。
今は4回戦に集中しよう。
今回使用するのは、帝国の騎馬兵標準装備スパタ(長剣)だ。
長剣と言っても刀身は80センチほどでグラディウスよりも幾分長い程度。
グラディウスが幅広なのに対し、スパタは細身なためにむしろ軽い。
日本人的な思考をするならグラディウスを『脇差し』スパタを『太刀』と想像すればサイズ感はある程度理解できると思う。
そうは言っても脇差しも太刀も実物を握った事はないのだが。
左手に持ったパルマ(円盾)と盾の裏にセットしてあるフランキスカ(投斧)はそのままに、傷と血で汚れたグラディウスからスパタへと持ち替える。
ヒュンヒュンと軽く振って感触を確かめ、その違いを意識に置いておく。
ザビア訓練士長による過酷な訓練で一番振るわされたのがスパタだ。
並の相手であれば互角以上に渡り合えるはず。
「盛り上がってまいりました!ブルトゥスの闘士ヘリオンによる第4回戦です!」
実況者によって開始が宣言される。
そろそろ強いのが出てきてもおかしくはない頃合いだろう。それを踏まえて3戦目までに苦手意識のあるグラディウスを使い終えてスパタを用意したが…
「次なるはウェスパシア訓練所所属の貴族にして闘士!栄誉と名声を求めて戦い続ける貴族の鑑、カヌス・ラナンキュラス卿入場です!」
は?貴族?!
待て待て、貴族ってリヴィアスみたいに気取った感じの?あ、いや、これは失言だった。
考えてみれば騎士や武将、軍関係の上役は貴族がほとんどだ。剣闘も嗜みなのかもしれない。
公平、平等に叩きのめすのみ。
「ラナンキュラス様だわ!」
「相変わらず素敵ね!」
黄色い声援に笑顔で応えつつ、それはもう威風堂々と現れたラナンキュラス卿はなんというべきか、貴族以上に貴族ないけ好かない優男であった。
兜はなし、盾はパルマ、武器はスパタ。
奇しくも装備は同じ。
篭手と脛当て、首周りを守る鎧は一言で言い表せば金ピカだ。
対面し、試合は始まっているというのに構えもせず観客の女性陣に手を振り、あまつさえウィンクに投げキッスというサービス過剰ぶり。
こんなアホな剣闘士が存在しているのかと、こちらも天を仰いでしまう。
いやいや、こんな奴さっさと終わらせてしまうに限る。
気持ちを切り替えて武士の情けに気合一閃「いくぞ!」と叫び、一歩を踏み出した瞬間!
「待ちたまえ!」
ラナンキュラス卿の一喝。
武器を持たず、こちらに向けて突き出した右手を優雅な所作で一振り。
「オルガヌム!(楽器)」
いつの間にか闘技場の端、彼の右側に整列した楽団が軽快なリズムを奏ではじめる。
そこにラナンキュラス卿が指揮者の如く、さらに一振り。
「コルス!(合唱)」
今度は彼の左側に整列した合唱団によるドラマチックな歌声…こ、こいつ。インド映画か!
出鼻をくじかれ、頭を抱える俺にラナンキュラスは優雅に語りかける。
「英雄譚には戦音楽が必要だろう?さぁ、始めようじゃないか!英雄の物語を!」
あぁ、この!
調子を狂わされた。
ふざけた方法ではあるが戦いにおいて場の空気とリズムが肝要なのは自明。
それを狙ってやっているとしたら、ただのアホではないのかもしれない。
「……」
ん?ラナンキュラスがなにか喋って…なんて言った?
聞こえな…おかし…視界が…歪んで…
(匠!息を止めろ!頭を下げろ!)
脳内に大音量で発せられるヘリオンの緊急警報でハッと我に返り、指示通り地面に這いつくばる。
(おそらく、これは…毒だ)
毒?見えない毒…神経ガスとかそういう類いの?
そうか!派手な演出は毒の散布を隠すため…
ビュンッ!
聞き慣れた風切音を頭上に感知し、ゴロリと転がって難を逃れる。
左肩を切られた!くそっ!
「獣には四つん這いがお似合いだ。一撃で頭を落としてやろうと思ったが…知恵はなくとも野生の勘とは侮れぬものだな」
ラナンキュラスの瞳に嗜虐的な妖しい光が見て取れる。
こいつがやろうとしているのは剣闘の類じゃない。
人狩りだ。




