63話 イデアの勇者
「なんということでしょう!3戦目とは思えない、凄まじい猛攻です!」
一時はどうなる事かとヒヤヒヤしたが無事に試合が再開されたようだ。
ヘリオンの態度に業を煮やしての嫌がらせか、単純に力量差を鑑みての調整かはわからないがアウグス帝の横槍によって、3回戦は1対1から3対1へと変更された。
だがこの程度のトラブルなら些事と笑って済ませてもいいだろう。
それほどまでに今のヘリオンからは鬼気迫る勢いが感じとれる。
「ヘリオン君はなんとか乗り越えたようですね」
「うむ。あれは以前から甘いところがあったからな。殺される覚悟はできていても、殺す覚悟が足りていなかった」
「やはり、師匠としては弟子が心配ですか?」
「やつには剣を教えてやる時間がろくになかったからな。師を名乗るなんぞ、おこがましいわい」
貴賓席からは決して目に入らぬように計算された席を陣取り、人混みに紛れて二人の男は盟友との再会を喜び、近況を語り合う。
ゴズウェルは薄汚い牢番の風体ではなく、髪を後ろに撫でつけて香油で整え、髭もさっぱりと形よく切り揃えている。
どこからどう見ても威風堂々した貴族の武人。
この姿こそ、リヴィアスのよく知るゴズウェルだが、もしもヘリオンが今の彼を見かけたら目を丸くして驚く事だろう。
「そうですか…サンダー様を祀る巫女ユピテルがお隠れの準備を」
「あの婆さんもいい歳だからな、仕方あるまいよ。問題は…」
「やはり、後継者ですか」
竜を祀る巫女はそれぞれに古き神の名を代々受け継いでいるが、その条件には難があった。
後継者を決めるのは巫女でも神殿長でもない。
人の立場もしがらみも解さない竜自身が気ままに決定を下し、人間はそれを唯々諾々と従うのみである。
ましてサンダーは、帝国が流し続けた血によって力を増した混沌の竜ケイオスを抑えるため、ゴズウェルが育てた2人目の勇者ホラティウスと共闘。
その戦いで大きく傷つき、それ以降姿を見せていない。
天空と雷に関係する魔法が使えないとか、極端に弱くなったという話は聞かないので、サンダーが消失されたわけではないのだろう。
「我らが大いなる天空の王者はどうしていらっしゃるのやら」
「なに、美味い飯にでもありついて力を蓄えているのだろうよ」
「そうであれば良いのですが…」
「ヘリオン君には顔を見せてやらないのですか?」
「やつが上位に上がった時だな。わしの見る限りでは未だ、心と身体が別の方を向いている。いずれゆっくりと稽古をつけてやるわ」
「それまで放置とは…ずいぶん信用なさっている事だ」
「リヴィアスとヘリオン、おまえ達二人をな」
意外だと言いたげに片眉をあげたリヴィアスの背中を傷だらけの腕がポンと叩く。
「将軍のご期待とあらば、私も応えなくてはいけませんね」
「ひねくれ者の牢番の軽口よ。あまり気に病むな」
ガハハと笑うゴズウェルを眩しげに見つめて、リヴィアスは彼の戦勝を祈念する。
「もう行かれるのですか…どうかご無事で」
「公とユピテルの婆さんが仰っしゃるには南でbarancaが大きく乱れ始めたらしい…抑えなくてはならん」
「相変わらず、八面六臂のご活躍。あまりご無理をせぬよう…」
「もう少し老人を労ってほしいものだが…これも役目よ」
ではまたな。と軽い調子で言い残すとリヴィアスが一瞬試合に目をやった隙にゴズウェルはこつ然と姿を消していた。
「老人と呼ぶには…いささか、活発に過ぎるな」
口元の苦笑を抑えて、彼は席に座り直す。
リヴィアスは国の為に人を使うが、ゴズウェルは人の為に国を護る。
ゴズウェル第一の目的は生き別れた娘を見つけ出し、彼女を救い出す事だが、彼の帝国にたいする献身は本物だ。
軍での将軍というキャリア、筆頭剣闘士という名声、そのどちらも投げ打って帝国の安寧の為に、神話の世界の戦いへと身を投じた英雄。
そこまで身を粉にして尽くしても、きっとクロネリアの歴史に彼の名は残らないだろう。
なぜならそれは影の戦いなのだから。
だからこそ、せめて己だけは英雄の名を忘れずに刻んでおこう。
歴史の証人として。
「ヘリオン君、我々の前を歩く先達の背中は偉大だが、すでにどうしようもなく傷だらけなのだ。共に支えなくては…」
どうやら何事もなく3回戦は終わったようだ。
2回戦での失敗から学んだらしく対戦相手は3人共ほどほどに傷ついていた。無論、致命傷は無し。
あからさまではあったが、ひとまず及第点といったところか。人を殺める事を厭うヘリオンの性質をリヴィアス自身は好ましく思っている。
2人目の勇者ホラティウスと4人目の勇者カサンドラ、リヴィアスの友人であるこの二人も剣闘士としての生き方にそれぞれ苦悩を抱えていた。
「イデアの勇者(真の勇者)とは険しいものだな。知恵と勇気だけでは蛮勇にしかなれず、節制だけでは戦士足り得ないのだから」
“イデア”とは、ギリシャの哲学者プラトンが提唱した概念であり、不変かつ完全な「真の実在」という意味の言葉です。
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