61話 生殺与奪
「ヘリオンといったな、余の諮問に答えよ!」
貴賓席から見下ろすアウグス帝の冷徹な瞳が試すように睨みつけてくる。
こちらはまるで蛇に睨まれた蛙だ。
一言も発する事ができず、生唾を飲んでかぶりを振る。
「答えられぬか…ならば賢明なる臣民に問うとしよう!」
大仰に両手を広げ、観客席に呼びかけるアウグス帝「神聖な剣闘の儀式を汚した闘士にくだされる処分とは!諸君の判断は如何に?」
「剣闘を汚す惰弱者に死を!」
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
会場全体を覆い尽くす熱狂的なまでの殺せコールの嵐。ブーイングに混じってパンの切れ端やら石やら、あちらこちらから飛んでくる。
サッカーや野球観戦で白熱しすぎたファンの乱闘騒ぎやブーイングを映像で目にした事はあるが…殺せコールはさすがに初体験だ。
観客を味方につけておこうと考えた矢先のトラブルに頭を抱えたくなる。
くそっ!なんでこんな事態に…
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「ヘリオンさん!応援しています!」
フードを脱ぎ、ティミドゥスからピルム(投槍)を2本とパルマ(円盾)を受け取った俺は、気持ちを切り替えて2回戦へと臨んだ。
「ブルトゥス訓練所の闘士ヘリオンによる栄光への第2回戦!参りましょう!」
初戦で傷ついたウェスパシアの闘士達が戸板に乗せられて退場し、会場が一息つくのを見計らい実況者が試合開始を告げる。
「次なるウェスパシア訓練所の闘士!戦斧の達人ストゥルトス!入場です!」
戦斧か、ザビア訓練士長から客受けが悪いからうちでは扱わないと言っていたが、訓練所ごとに毛色があるのだろう。
重量配分からして一目瞭然だが斧の一撃は重い。
さて、ピルム(投槍)2本でどう戦うべきか…
クロネリア帝国兵正式装備の一つ、投擲槍“ピルム”は全長約150センチ。
現代日本人の一般認識からすると、ピルムは槍というより銛と言ったほうがピンとくる形状をしている。
1メートル程の木製の柄に取り付けられた鉄製の槍の穂は40センチもあるが、鉄部分は針金のように細い。
そして先端部は少し大きな矢じり状になっている。貫通力には期待できるが、打ち合いや斬撃には不向き、というよりも不可能と言っていいだろう。
両の手に持ったピルムの感覚を掴もうと、軽く振り回して相手の入場を待つ。
向かい側の柵が上がり、少しの間を置いて暗闇の奥から対戦相手となる闘士が出て…こない。
思いがけないトラブルに観客がざわつき始める。
「ウェスパシア訓練所の闘士ストゥルトス!入場です!」
仕切り直しだと言わんばかりに実況者が声を大きくして入場を促すものの、現れる気配はなし。
「おい!どうして出てこない!」
「びびっちまったのか?」
観客の不満が次第に大きくなる中、二人の衛兵に引きずられながらストゥルトスは姿を現す。
「い、嫌だ!俺はブレンヌスをあっさり倒すような化け物となんか戦いたくない!」
「こいつ!いい加減にしないか!」
「覚悟を決めろ!」
「嫌だ!まだ死にたくねぇ!」
どうしよう…
これは、さすがに試合どころではないのでは?
ストゥルトスの歳の頃は十代後半、スポーツ選手然とした爽やかな顔つきと健康的な肉体を持った若者に見えた。
顔面蒼白で肩を落とし、腰が引けて、震えてさえいなければ。
彼の様子を見て取った観客は一斉に失望のため息を漏らす。
剣闘を仕事だと割り切っている自分からしても…まぁ、ため息をつきたくなる気持ちはわからないでもない。
俺自身も考えた事がある。
どうしても勝てそうにない対戦が組まれた場合どうするべきか。
ストゥルトスのように泣いて懇願する?
あれはさすがによろしくない。
醜態を晒して仕事そのものを拒否した場合、会社であれば「しょうがねぇ奴だなぁ」と呆れられながらも嫌な仕事を変わってくれるかもしれない。
だがサービスを受ける側の観客は欠勤を許すだろうか。
社長や会長の役どころである皇帝にしても、目の前で欠勤されたら怒るしかない。
職場には行きました。
仕事にも取り掛かりました。
でも上手くいきませんでした。
という、正しい失敗の為のプロセスが重要なのだと社会経験から学んできた。
失敗したとしても、義務を果たそうと努力した社員に対しては上司も案外寛容なものだ。
俺なら…とりあえず戦うだけ戦って怪我の一つも作ったところで降参するかな。
などと考えていたら、脳裏から冷静な嫌味が飛んできた。
(ふむ、撤退は兵法として悪くない選択肢だが、降参するというならその前に私が代わろう)
うぐっ、藪から大蛇を呼び出してしまった…
頭で少し考えただけでヘリオンさんに聞かれるのは仕様に問題があると思う。
「あくまで一案だよ、一案。ハハ…」
右手のピルムを地面に突き立て、頭をぽりぽりとかいて言い訳を口にする。
(確かに複数の方策を考えておくのは有用だ。相変わらず、匠は策士だな)
果たしてこれは、買いかぶりなのか嫌味なのか。
判断に迷うところだ。
「お、俺ごときには武器もいらないってのか!畜生!やってやる!」
暇に任せて心と体でブツブツと会議を行っていたら、つい武器を手放してしまった。
お、ストゥルトスもようやく戦う気になったか…
せっかく戦意を奮い立たせたストゥルトスには申し訳ないが、飛び道具を手にしたヘリオンさんにとって、彼が不用心に立っている20メートル程度はすでに射程圏内。
自動迎撃システムと化したヘリオンさんは殺気を感知して即時に反応。
自身の体が動いているとはいえ、早すぎてコマ送りのようにぶつ切りで己が何をしたかを知る。
殺気を感知した瞬間、すでにピルムを手にした腕は振りかぶり、膝は上がっていた。
この段階になって相手を視認。
目標をストゥルトスの構えるスクトゥム(盾)の中心から少し下がった地点にロックオン。
相手の動きを予測し、角度を微調整。
ズンッ、と踏み込みによる振動を認識できた時にはピルムを放っていた。
バキン!
「ひんっ!」
狙いは過たずにスクトゥムの中心から10センチ下方を見事にぶち抜いていた。
突き刺さったピルムは盾を貫通し、深々と突き刺さる。盾を持つ左前腕までえぐったのか、鮮血が吹き出して地面を赤く染めた。
ストゥルトスの戦意はスクトゥムと一緒に一撃で吹き飛んでしまったらしい。
ピルムの突き刺さった左腕をかばいながら、よたよたと後退するも壁にぶつかり、挙げ句にへたり込んでしまった。
彼はもう戦えないだろう。
ひえぇ、来るな!来るな!と喚き散らし、半狂乱となったストゥルトスとの試合に幕を引く。
シュガッ!
残ったもう一本のピルムを放ち、彼の喉元から数センチ離して壁に突き立ててやる。
「あっ、あぁ…」
彼は瞳孔を広げ、口を半開きにして壊れた人形のように、あうあうと言葉ともつかない呻きを漏らしている。
あぁ、ついに失禁までしてしまった…
こんな試合は終わりだ。
連戦である以上、俺が闘技場から去るわけにもいかない。
勝利を誇り拳を掲げる気分にもなれず、試合終了の意思を示してストゥルトスに背を向ける。
後ろに控えるティミドゥスと目が合えば、彼も思わずという調子で口をつく。
「これはこれで、参りますね…」
その通り。まさか初戦の4対1以上に困惑させられるとは思いもしなかった。
本当に参った…
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