60話 ヒーローへの道
あっぶねえぇぇぇぇ!
さっきの試合はやばかった…
マジでやばかった…
ヘリオンという泰然自若とした仮面の下で、当の匠はパニック寸前であった。
4対1という話は聞いていたが、実際聞くと見るとでは大違いもいいところ。
“ソードブレイカー”という慣れない新兵器に戸惑いつつ、不安を押し殺して二人の剣を飛ばす事になんとか成功し、ふうっと心中で安堵したのも束の間、ブレンヌスと呼ばれた指揮官は怒号一つでチームの統制を回復して見せた。
ブレンヌスの剣を絡め取ったと思えば、今度は二本のソードブレイカーが意図せず噛み合ってしまい、外れなくなるというサプライズ付き。
果てには、慌てて外そうと無理矢理に引っこ抜いてみれば、鮫の歯ならぬ魚の骨の如くソードブレイカーは無惨にもボキリと折れる始末…
この時点で匠の心拍数は限界寸前。
悪い事にブレンヌスというリーダーは、チームの統制が上手い上に戦意過剰な傑物。
ナタと化したソードブレイカーを投げつけるというヘリオンからの提案がなければ、身体ごと飛びかかってくる3つの短剣全てを捌くのは相当に難渋しただろう。
心底疲れた。あぁ、帰りたい…
そんな心の内も知らず、武器を抱えたティミドゥスが尊敬もかくやと興奮した面持ちで駆け寄ってくる。
「凄い!凄すぎます!ヘリオンさん凄い!」
語彙力を喪失したティミドゥスに呆れると共に、ふと視野が広がって観客席を見渡せば、観客総立ちで拍手喝采の渦。
まだ一戦目だというのに会場に舞い踊る花びらが美しい。
まだ仕事が残っていた事を思い出した匠は投げかけられる「vivat!(万歳!)」のコールに応えるべく、右手に拳を作り高々と上げてみせる。
そう、剣闘では観客こそがジャッジ。
彼らを味方につけなくては試合に勝っても勝負に負ける可能性が十分にある。
チラリと貴賓席を見れば、なにやら親しげに皇帝陛下に耳打ちしているご老人が一人。
あの老爺がシディウス伯か…
クラウディ公のライバルにして開戦を訴えるラスボス。なんだろう、俺の採点でもしているのだろうか?
皇帝とシディウス伯から目を逸らし、幾分冷静になって、この試合における生殺与奪の権利が誰にあるのかを考える。
順当なら小闘技場を統括するクラウディ公だろう。
ただし、公の上位者であるアウグス帝も同席している以上は何らかの疑義があれば皇帝自ら、口出ししてくるに違いない。
彼らに気に入られる必要はないにしても機嫌を損ねたら親指を下げられて一巻の終わり。
即ゲームオーバーだ。
皇帝が民意、観客の意向を強く意識しているという話は何度も聞いている。
つまり観客にとって殺すのが惜しいヒーローになってしまえば、皇帝陛下といえど気軽には処分できなくなるはず。
ダモンさんやザビア訓練士長のブルトゥス訓練所、リヴィアスとゴズウェルの戦争回避に動くチーム、どちらも俺に求めているのは最終的に筆頭剣闘士になる事。
となれば将来を見据えて、対皇帝用に一人でも多くの観客をファンとして味方につけておくべき。
ヴィランではなくヒーローを目指すのだ!
前世で人気のあったアメコミキャラの決めポーズを参考にしてなにかポーズを考えてもいいかもしれない。
こう、片ひざをついて、右拳を地面に叩きつけるような例のかっこいいポーズを参考にして…
待てよ?
柵の上から飛び降りてそれをやってみるのはどうだ?
「ヘリオンさん?」
心配気な表情でティミドゥスが覗き込んでくる。
おっと、思索にふけっている場合じゃなかった。
「すまない、心配をかけたな。次の試合は…」
「はい!ピルム(投槍)になります」
ティミドゥスは快活に応えると2本のピルムとパルマ(円盾)を手渡してくれる。
注文通り、パルマの裏には緊急用のフランキスカ(投斧)もセットしてくれていた。
フードを脱ぎ、パルマを左前腕にベルトを通して固定。
ピルムは両手に一本ずつ握る。
ピルムは全長1.5メートルほどの投擲槍だ。
先の試合の後衛や奴隷時代に戦ったアンクラウスも使っていたクロネリア帝国の代表的な投槍である。
以前カルギスが説明してくれたが、曰く「いいか、投槍の目的の第一は殺傷ではない。盾を破壊、もしくは破棄させる事にある」
つまり一本目で盾を破壊し、二本目で敵を倒す。
この後の3戦は1対1が続く。
多少気は楽だが、まだまだ先は長い。
温存しつつ致命傷は受けないように丁寧な戦いを心掛けなくては。
「ヘリオンさん!俺は何もできませんけど本気で応援しています!」
この戦場において、孤独ではないという意識は想像していたよりもはるかに心強い。
ティミドゥスの援軍に感謝だ。




