59話 ソードブレイカー
ウェスパシア訓練所の下位闘士ブレンヌスは久々に上機嫌だった。
世話になっている興行師がロムルスの旦那から息子のロマレースに代替わりしてからというもの、訓練所の雰囲気は一気に悪化した。
まるで、ごろつき酒場で客付きの悪い売春婦のように悋気を起こすロマレースがネチネチと闘士をいたぶるせいだ。
中堅の闘士にして訓練士を目指すブレンヌスにとって、気分屋の主人がヘラヘラと訓練に口を挟み、問題を起こしてもいない闘士が鞭で打たれるなど悪夢に等しい。
本当に勘弁してほしい。
慕ってくれる若手からの苦情を宥めすかし、己自身も折れそうな心を隠して、だましだましに士気を保ってきた。そんなある日、小憎らしいロマレースがニヤニヤ顔で持ちかけてきたのが今回の試合。
「なぁ、ブレンヌス。お前は周りの若手をうまく取りまとめている。それを見込んで集団戦の指揮をやってみないか?」
俺はロマレースの事が大嫌いだが…見るべきものは見ているのかと感心したものだ。
「4対1で相手は人間だ。得物はお前が決めていい」
複数で一人を蹂躙するという事は大方、受刑者を処罰する為の試合だろう。
この手の試合は原則として前座戦。
前座なのはいただけないが指揮者というのは今後の立場を見据えると悪くない。
喜びを押し隠し、コクリと頷いてみせればロマレースは下卑た笑みを深めて「ブレンヌス、お前の未来がかかっているぞ。報酬もはずんでやる。絶対に勝て。殺せ!」とやけに念を押してくる。
なにか事情がありそうだが…俺には関係ない。
この好機に上手く乗じるだけの事だ。
そいつは、深々とローブを被り表情を見せない。
前を閉じたマントの上からでも隆起した肩の筋肉、分厚い胸板が常人のものでない事を伺わせる。
フードの奥から垣間見えるのは、なるほど噂通り燃えるような赤毛だ。
両手に携えた二刀は朽ちかけたボロボロの刀身。
大切に磨き込んでいるようだが、あれでは使い物にならないだろう。
死神を彷彿とさせる演出を施されているが、冷静に観察してみれば…視界を妨げるフードといい、二刀闘士などという観衆受け優先の奇抜さといい、こけおどしだ。
「デクス!お前は右から、シニス!お前は左だ。テルグム!お前は後方からタイミングを読んで投槍で仕留めろ!」
ブレンヌスは指示を発すると同時に、己も長剣を引き抜く。
「了解!」
デクス、シニスも威勢良くグラディウスを構える。試合が決まって以降、ブレンヌスは4人での連携を徹底して作り上げてきた。
デクスとシニスは盾と直剣で王道の近接戦。テルグムは投槍で威嚇、盾の破壊、とどめの一撃と、戦況を見て臨機応変に。
手堅い中堅を集め、統制された反復訓練。
そして王道の戦闘教義ともなれば、並の相手では務まるまい。
訓練士、指揮者としての場数を踏ませてくれたロマレースにブレンヌスは感謝すらしていた。
つい、今の今までは…
デクスとシニスは会場の熱気に押し負ける事なく、教練通りに鋭い水平の薙ぎを繰り出す。
盾が無ければ左右から、それも高さ違いの同時攻撃は後ろに交わすしかない。
そこをテルグムの投槍が襲ってもいいし、ブレンヌスがスパタで踏み込んでもいい。
乱戦になる前に不自由な選択を迫って一息に終わらせてやる。
何を期待してこれほど集まったのか知らないがご苦労なことだ、などと雑念が頭をよぎった瞬間、眼前の光景を理解できずにブレンヌスの思考は停止した。
二人の剣が、空を舞っている…
なんだコレは?
デクスとシニスがグラディウスで薙いだところまでは見ていたが、奴は何をした?
二人の一撃を最小限の動きだけで剣で受け、弾くでもなくガキリと噛み合わせた。
奴の剣“ソードブレイカー”と呼ばれたそれは鮫の歯のようにギザギザで、二人の剣は組み木細工のようにガッチリ捕らえられてしまった。
その状態からとんでもない腕力で剣を捻り上げ、デクスとシニスの剣を空中へ放りだしというわけか。
ヘリオンは二人の剣を飛ばした後、まるで見せつけるかのようにカウンターどころか反撃の気配すら見せない。舐めやがって…
「立て直す!テルグムからだ!」
「はいっ!」
意味不明の事態に直面して固まっている二人を叱咤する。
「デクス!シニス!いつまでボサッとしている。お前らは短剣で俺に続け!」「は、はいっ!」
テルグムが振りかぶってピルム(投槍)を放つ。
それに呼応して、ブレンヌスはスパタを下段水平に構えて突っ込んだ。
「はあっ!」
放たれたピルムと合わせるように下段から中段への一閃!
ビュンッ!
ガギッ!ギギ…
「なにっ!?」
奴はフードを揺らしもせずに、飛んできたピルムを右の剣で無造作に打ち払い、左の剣を地面に突き立てて俺の中段薙ぎ払いをあっさり止めてみせる。
こいつが格上なのはわかった。
2度の連携をこうも簡単に防いでみせる様はまさに上位者の風格。
だが、だがこいつは…
左のソードブレイカーに食い込んで動かなくなったスパタの上からクロスするように右のソードブレイカーを被せたヘリオンは、一拍の時を置いて力任せに被せた剣を引き抜く。
バリバリバギンッ!
両の剣に挟まれたスパタは引き切られ、ついでに2つのソードブレイカーまでボキリと折れた。
鉄片が舞い散る美しくも異様な空間にあって「…改良が必要か」ボソリと聞こえた呟きにブレンヌスは心底から肝が冷えた。
こちらは命懸けで試合に臨んでいるというのに、感情のひとつも揺らさず淡々と実験結果だけに関心を寄せるそれは闘技場には不釣り合いだ。
折れたソードブレイカーを眺める表情は、この試合での不利を悟るものではない。
なぜこの剣は折れたのだろうという、子供のように無邪気で純粋な疑問。
誰だ、こんな化け物を連れてきたやつは…
「う、うわあぁぁぁ!」
デクスとシニスが盾を捨て、両手でプギオを腰に溜めて突っ込んでくる。これはパニックではない。
化け物に一撃でも加えんとする決死の突撃。
二人の咆哮を耳にしてハッとブレンヌスは我に返る。
なにが指揮者だ!なにが訓練士だ!
俺は剣闘士として闘技場に立っている。
相手が化け物であっても後退の選択肢など最初から与えられてはいないのだ。
ならば答えは一つ。
ブレンヌスもまた、ねじ切られたスパタを放り捨てて盾からプギオを引き抜く。
振ってはダメだ。
奴のソードブレイカーは折れたとはいえ、それでも一撃を防ぐだろう。
突きならば形状からして防ぎようもなし!
「くたばれっ!化け物め!」
盾を構え、プギオを突き出して体ごと突撃を敢行するブレンヌス。
後方からは二人の駆ける音の他に風切音が一つ。
テルグムが二投目のピルムを投擲したのだろう。
3度目の連携だ、悪くないチームになったなとブレンヌスは独りごちる。
奴の初撃は自分が体を張って受け持とう。
そうすれば後の始末は後ろの3人がなんとかするだろうから…
「URRRAAAAAaaa!」
耳をつんざく獣の咆哮、そして大地を揺さぶる烈迫の踏み込み。
ズンッ、という地響きの後にブレンヌスの顔の両側を“なにか”が高速回転して通り過ぎる。
ドシュッ!ドシュッ!
人間が斬られる独特の殺傷音に続いて、聞き慣れた二人の絶叫。
こいつ、折れたソードブレイカーを…
この期に及んで目の前の俺でなく、あいつらに投げつけやがった…
ギリッと無意識に奥歯を噛み締めて、後ろを振り返りたい衝動を理性で抑え込む。
これは好機だ。
こいつは今、武器を何一つ持っていない!
そこに、テルグムの放った一本のピルムが辿り着く。
ヘリオンは驚異的な動体視力でもって、眼前に飛来するピルムの柄を掴み取ると、その勢いを殺さぬままクルリと一回転してブレンヌスの構える盾に突き入れた。
突き刺さったピルムは憎らしい事に金属で補強してある盾の中心を綺麗に避けて貫通し、ブレンヌスの臓腑まで到達する。
対してブレンヌスが突き出したプギオはヘリオンの胸元まで迫りながらも…
「あと、あと一歩じゃねぇか!どうして…どうしてなんだ!」
決して届かない自身の刃を鬼の形相で睨みつけ、絶叫したままブレンヌスは意識を失った。
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