50話 マジックスクロール発動!
「こう、何度も男に名前を呼ばれたのは初めてだよ…ったく」
土砂に紛れて苦々しげにジョークが飛んできた。
よかった!カサンドラは無事か…
ホッとしたのもつかの間、軽口をたたいたカサンドラはひどい有り様だった。
兜はどこかに吹き飛んでしまったようで見当たらず、頭部から流れる血と土砂が混ざりあって艷やかな美しい髪はぐしゃぐしゃだ。
血まみれの左腕は力なく垂れている。
原形こそ留めているが数か所折れているのだろう。
少なくともこの試合中は物を持つ事も難しそうだ。
「すまない、カサンドラ。俺のせいで…」
カサンドラはキッとこちらを睨みつけて怒鳴る。
「これは私が生き残るためにやった事だ!スクロールの準備をしろ!」
反省するのは今じゃなかった。
まずは魔獣を倒さないと!
「チビ!生きてるならグラディウスだ。どこでもいい。あの忌々しいロブスターに突き立てろ!」「は、はいっ!」
ティミドゥスもなんとか食われずに無事らしい。
「私とチビがグラディウスを奴にぶっ刺してくる。それを見たらスクロールを起動しろ!」
え?カサンドラも参戦するのか?!
指示を出し終えたカサンドラは腰のグラディウスをスラリと抜き放ち、大怪我をしているとは思えない速度でカルキノスに飛びかかっていった。
彼女の生命力は魔獣並だ。
俺はバルディッシュを腰紐に吊るし、代わりにマジックスクロールを取り出す。
折りたたんでいたスクロールを開いて右手で持ち、目を通す。
リヴィアスから習った言葉を思い出せ。
そう、religioだ。
大神とサンダーとの繋がりを意識しろ!
baranca?バランスなんて気にしている場合じゃない、あのロブスターを焼き殺せるならなんだろうと構わない。
カサンドラが雄叫びと共にカルキノスの首元にグラディウスを突き刺すのを横目で確認する。
リヴィアスから教えてもらったスクロール起動の古代ルーン語を唱える『naudiz』
これは強制、困難、そして雷を纏う伝説の鎚『ミョルニル』を表す言葉だ。
俺が「naudiz」と唱えるとスクロールに記された祝詞が、まるで詠み上げるように1小節ずつ徐々に黄色い光を宿していく。
祝詞が全て光ると下段に縫い留められたサンダーの鱗に光が集まる。
これでスクロールの準備は完了。
あとはティミドゥスだけだ!頼むぞ!
ティミドゥスの様子を確認すると、彼は硬い外皮を狙うのを諦めてカルキノスの口にグラディウスを刺そうとしているのか、口元の顎脚と格闘していた。
「チビ!顎脚の相手はお前では無理だ!傷ついた左腕を狙え!死にたくなければ早くしろ!」
業を煮やしたカサンドラの怒声にビクッと反応したティミドゥスは即座に返事を返す。
「わ、わかりました!急ぎます!」
ティミドゥスの従順さというか、迷いのなさは指揮者からするとかなり使い勝手が良いと思う。
戦力としては頼りないが、カサンドラが彼の反応に満足しているのがわかる。
「や、やりました!準備完了です!」
切断されたカルキノスの左腕にグラディウスを突き刺したティミドゥスが誇らしげに手を振り、こちらに駆け出してきた。
「よし!スクロールを発現させろ!」
「応!」
カサンドラの指示に従い、今度は俺がスクロールを片手にカルキノスへと走り出す。
スクロールを使うのは初めてだ。
一撃で決めるためにもできるだけ接近したい。
巨大な爪が俺を叩き潰そうとして再度振り上げられているが、集中しているヘリオンの走りなら余裕で懐に入る事ができる。
カルキノスの懐で飛び上がり、スクロールをカルキノスの顎にベタッと貼り付けて呪文を唱える。
「tonitrus!」
これはリヴィアスに教えてもらった『雷』を意味する古代クロネリア語だ。
瞬間、スクロールに縫い留められていた鱗がまばゆい光を放ち、周囲から全ての景色が消え去った。
そこは何も無い真っ白な世界。
そうだ、水瓶を思い浮かべないと。
できればカルキノスを煮込めるようなサイズ…観光バス並の魔獣カルキノスが入る水瓶なんて想像するのが難しすぎる。
よし、25メートルプールにしよう!
プールを思い浮かべた途端、眼前にはカルキノスではなく現代日本でよく見かける市営プールが広がっていた。
端のレーンは泳者用にブイで区切られ、ラックにはご丁寧にビート板まで並べられている。
塩素の匂いが鼻孔をくすぐり、懐かしさを感じてプールを眺めていると、俺とプールの間を遮るように鉄柵が地面からせり出し、堅牢な錠で施錠された扉が出現した。
スクロールは解錠してもらうための要望書だというリヴィアスの言葉を思い出す。
俺は手に持ったスクロールを扉に突きつけて門を開けてもらうよう請願する。
「広く地上海の端々まで支配せし大神よ、天空と雷を司る古の竜サンダーよ!魔獣カルキノスを焼き尽くすに足る力を我に与え給え!
天空と雷の巫女ユピテルより賜りし、この請願書を持って、請い、願い立て奉らん」
俺は姉ちゃんと違って、古語や謙譲語の教養なんて全くない。
こういうのは気持ちが大切だと開き直って、リヴィアスに暗記させられた文言を一気にまくしたてた。
文言を言い終えるとスクロールは焼けるようにポロポロと穴が空き光の塵となって消え去った。
それと同時にガチャリ。と金属音を立てて錠が開く。
両手で扉に手をかけて開けようとするがなかなか開かない。扉が重い、重すぎる。
「ふんぬうぅ…」
ヘリオンの全力でもほんの少し動いただけ…まずい、このままでは魔法が失敗してしまうかもしれない。
(匠、私と雷の扉では相性がよくないようだ。君が一人で行うほうが開けやすいだろう)
おお、突然のヘリオンさんからの提案に少し驚いたがここは精神世界のような場所。
力が関係ないなら試す価値はあると思う。
そう考えた途端、フッと肩が軽くなる。
もしかしてヘリオンさんが憑いてると肩コリになりやすいのでは…おっと、余計な邪念は捨てて集中しなくては。
再度、扉に手をかけて力をいれた。
「開けええぇぇ!」
ギギ、ギイィィ…ドバッ!
錆びついた音を響かせて扉が開く。
プールに入っていたはずの水が不思議な事に扉まで押し寄せ、鉄砲水のような勢いで俺を飲み込む。
魔力の波に溺れながら次からはもう少し量を減らそうと心に誓った。
「tonitrus!」
呪文を唱え終わると、カルキノスの顎に貼り付けたスクロールは焼け焦げて穴が空き、光の塵となって消え去った。
ゴロゴロ…ゴロゴロゴロ…
カルキノスの上空をまるで早送りのような凄まじい速度で大気が渦を巻く…
ピシャッ!ピシャッ!ゴォォンッ!ゴォォォンッ!
大きな雷鳴が轟き、続けていくつもの雷が叩き落された。
その日、闘技場には満席に近いほど観客が押し寄せていたが、その事象を最後まで目撃できた者は皆無だった。
前の席で身を屈め、震えながらも冷静に雷の回数を数えたという者によるとどうやら七度落ちたらしい。
落雷による轟音が収まり、静けさを取り戻した会場で、勇気を振り絞って顔を上げた観客が見たのは、上半身を無くし、完全に炭化した魔獣カルキノスの残骸と会場の端まで吹き飛ばされてピクリとも動かずに気絶した3人の闘士達だった。




