44話 獣の女王カサンドラ
「私に会いに来たって事は、試合かい?」
ブルーブラックの艷やかに波打つ長い髪で片目を隠し、切れ長の鋭い眼光がこちらを捉えている。
筋肉質な褐色の肌、胸元を大きく開いたチュニックが扇情的だ。厚みのある唇が不敵な笑みを浮かべる。
猛獣につけられたと思われる無数の傷跡も、匂い立つような色香を隠せそうにない。
お胸が大変ご立派なので非常に気になるが、注視したら間違いなく鞭で打たれると思われる。
ここは我慢だ。
「カサンドラ、そのとおりです。あなたへの法外な報奨金を支払ってでも勝たなくてはいけません」
「お言葉だねぇ…そんで、こいつは?」
顎で俺を指し示して目を細める。
「彼はヘリオン。4日後に魔獣戦が組まれています」
「その試合の助っ人をして欲しいわけね」
「えぇ。助っ人だけでなく、ヘリオン君に魔獣戦のノウハウを教えていただけると助かります」
カサンドラはめんどくせぇ、と小さく漏らす。
ばっちり聞こえてますけど…
「ま、払うもん払ってくれりゃ私は構わない。勝ってやるよ」
「カサンドラ、勝つだけではなく彼を殺さずに勝ってください」
カサンドラはチッと舌打ちを挟み、今度こそ大きな声で「めんどくせぇなぁ」と吐き捨てて俺を睨みつけた。
トリトスさんは要領よく事情を伝えると俺をおいて逃げるように帰ってしまった。
どうやら彼女の事が苦手らしい。
美女と二人きりというシチュエーションだがはっきり言って怖い。俺も帰りたい!
帰ってオドリーに癒やされたい。
カサンドラは頭をガシガシと掻きむしった後、椅子から立ち上がり、静かに寝そべる白い虎を丁寧になで始めた。
「魔獣戦は他の剣闘とは違う。逃げ回る人間を魔獣が狩るんだ」
俺はライカ戦を思い出して身震いする。
あんな試合を何度もやらされたら命がいくつあっても足りないに違いない…ん?
「カサンドラ、でもあんたは生きてる」
「だから獣の女王なんて呼ばれてるのさ」
彼女は執務室を出て白い虎と一緒に中庭へと歩き出した。
「魔獣戦の基本は3対1。人間が3だ。3人の内、生き残るのはいつも私だけだけどな」
「魔獣戦で生き残るコツは?」
俺の質問を聞き、ハッとバカにするように笑う。
「そんなものがあったら、私の肌もこんなツギハギだらけになってねぇよ」
中庭に入ると解放されている天窓から、二羽の白い鳩がカサンドラの手元に舞い降りた。
天窓から差す光が彼女を照らし、白い羽根が舞い散る。溶けるように足元に寄り添う白い虎。
カサンドラは力強く、そして美しい。
突然の幻想的な光景に見惚れてしまう。
彼女は戦女神、まさに獣の女王と呼ぶに相応しく、つい感嘆の息が漏れてしまった。
「あぁ、そうだ…コツと言えるかわからないが。勝敗の鍵を握るのはなんだと思う?」
むむっ。俺の今までの戦闘を振り返るとしたら、スピードとパワー?対応力も重要だ。
カサンドラは鳩のくちばしを優しく撫でながら呟く。
「勝敗の鍵を握るのはね、情報だよ」
「へ?」
カサンドラの粗野な言動が情報収集という理知的な行為に全く結びつかず、つい思考が停止してしまった。
確かに俺が教科書で知っている戦争の歴史でも情報が勝利をもたらした例は多い。
太平洋戦争で日本が負けた大きな要因の一つは情報戦だと言われているし、戦国時代を終わらせた天下人である信長、秀吉、家康が情報収集に力を注いでいた逸話はいくらである。
現代日本の記憶を持っている俺が行き当たりばったりで、古代ローマ風の異世界に住む闘士が情報収集を重んじているなんて…
ううっ、自分の頭の悪さが憎い。
剣闘士の情報戦なんて何をすればいいのか全く思いつかない。
カサンドラさん、教えてください…できれば優しくお願いします。
思考の渦から逃げ出した俺がカサンドラを見ると、鳩の足に結びつけられた紙を丁寧に外していた。
あぁ、そうか伝書鳩だ!
俺がここに来てから使った通信方法といえば人間の連絡係くらいか。伝書鳩なら圧倒的な速度で情報を伝えられるだろう。
それにしても古代ローマに伝書鳩なんてあったのかよ?!
「考えることが苦手な原始人のお前に、情報という物の凄さを見せてやろう」
いや、未来人なんですけどね、俺。
「昨夜、シルヴィス伯派と繋がりのある魔獣商人が北門からクロネリアに入った。そいつが運びこんだ魔獣は非常に巨大で全身を鎧で包んでいたらしい。おそらくこいつだ」
おおぉ、事前に相手がわかるなんて凄い!
凄すぎる!
この情報を元に準備を整えれば有利に戦えるぞ!
いや、この視点はなかった。
ここは素直に称賛する。
「カサンドラ、あんたは本当に凄い奴だな!勉強になったよ」
率直に褒められるとは思っていなかったようで、カサンドラは一瞬目を見開くと、プイとそっぽを向いてしまった。
彼女が横柄なのは人見知りなせいなのかもしれないな。




