39話 饗応
「勘違いしないでほしいが私は君の敵ではないよ」
議員宅の歓待に招かれ、後をついて歩く道すがらで彼は苦笑した。
後見人にしてスポンサー候補相手に敵意をむき出しにするのはさすがに大人げないだろう。
「議員が歩いて自宅に向かうとは思っていませんでした」
何か喋ろうと思って口にしてみたものの、反射的にでた言葉は、幾分嫌味っぽくなってしまった。
「君はクロネリア市の世事に本当に疎いのだな」
リヴィアスはフッと笑みをもらす。
よかった、怒ってはいないみたいだ。
「市内の移動に馬車は使わないよ。混み合っていつまでも動かないし、皇帝陛下と竜の巫女以外は許可が必要なんだ。アウグス帝の后様は輿を使われるがそれも上位の貴人に限られる」
東京では車より徒歩のほうが便利みたいな感覚かな。
リヴィアス議員は訓練所を出ると闘技場の見える市街地を抜け、大きな通りを西に進んだ。
この道は既視感があるぞ?
思い出した…ネザリーナがいる一軒家地区だ。まさか、ネザリーナが議員の奥様なんて事は…ないよな、さすがに。
「おや?意外だな。ヘリオン君はこのあたりに知り合いでもいるのかい?」
知り合い?いやいやいや、二度と関わりたくないっす。
幸い、ネザリーナ邸に到着!なんていう悪夢は起こらず、無事に見知らぬ豪邸へと連れてこられた。
「おかえりなさいませ!リヴィアス様!」
6人の番兵が整列して出迎え、リヴィアスはそれに軽く手を振って応える。
おおぅ、さすがは議員先生のお宅。
ネザリーナ邸の倍はありそうだ。
玄関ホールでは秘書然とした雰囲気の壮齢な男性が姿勢を正して迎える。
「リヴィアス様、おかえりなさいませ。ヘリオン様、いらっしゃいませ」
「ただいまティティオ。変わりはないか?」
「はい。パティア大使はお着きになりまして客間でお待ちです」
俺は身なりのいい案内係の女奴隷に連れられ、待合室で服を着替えさせられた。
“ウェスティス・ケナトリア”と呼ばれる食事用のゆったりとした寝間着のようなドレスだ。
着替えが終わると案内係から「リヴィアス様のご指示で、ご自宅の家人に本日は帰宅が遅れる旨、差し入れを持たせて連絡係を走らせました」と伝えられる。手回しの早い事で…
外堀をがんがん埋められていってる気がする。
楚々とした雰囲気の中で柔らかな光が差し込み、噴水のある大広間を通る。
天井付きの優雅な中庭。
案内係の説明ではアトリウム型というそうだ。
精緻な彫像や立派なプランターを眺めながらアトリウムを抜け、トゥリクリニウムと呼ばれる歓待用の食堂へと通される。
「失礼いたします。ヘリオン様をお連れいたしました」
おぉ!これは歴史の教科書で見たことあるやつ!
大きな円卓が中心に置かれ、コの字に3つの長い寝椅子が置かれている。
そうそう、古代ローマの接待は寝そべってご飯を食べるんだよね。
まさか経験する事になるとは思わなかった。
姉ちゃんが聞いたら羨ましがるに違いない。
「来たな。さぁ、話題の強者を紹介させてください」
中央の上座にはリヴィアス議員が左肘をついて横に寝そべっている。
中央の議員から見て左側の寝椅子には、まるで絵画から抜け出したような美しい女性が足を斜めに合わせて座っている。
女性は寝っ転がらないのか。
細く長い手足、労働を知らないしなやかな指先。
小さな顔には整った目鼻立ち。
優しげな薄く茶色い瞳には長いまつ毛が影を落としている。
透き通るような白く張りのある肌と目が大きいせいだろうか、20代前半位に見える。
金糸のように細く長いブロンドは左右を巻いて後ろで結い上げる、現代でギリシャスタイルと呼ばれる髪型だ。
あまりの美しさに、ほぅ…と感嘆のため息がでてしまう。
「彼女は美しいだろう。君に紹介したくて晩餐にお呼びしたのさ」
しまった。見惚れていたのがバレた。
「はじめまして、ヘリオン様。パルテナス自治領の在クロネリア大使、パティアと申します。よろしくお願いいたします」
優美な微笑みを浮かべて彼女は自己紹介を終えた。
「ご丁寧な挨拶ありがとうございます。私はヘリオン。ブルトゥス訓練所の下級剣闘士です。以後、よろしくお願いします」
よし!あまりペコペコせずにいい感じの挨拶ができたぞ。美人との挨拶はめちゃくちゃ緊張するなぁ。
リヴィアス議員が手招きで、彼から見て右側の寝椅子へと誘導してくれる。
全ての席に案内係がついていて椅子への座り方から寝方までさり気なく教えてくれた。
よし!寝そべり完了!
対面にパティア大使がいるのでいちいち意識してしまう。うわっ、目が合った!
彼女の目を見ないように目線を変えようとしたら、今度は胸元と足が気になってしまい目のやり場に困り果ててしまった。
「実は私、ヘリオン様の試合を拝見させていただいた事があるのですよ」
食事も一段落というところで、パティア大使がフフッといたずらっ子のように微笑んだ。
なんでも、各州の大使と巫女は剣闘試合を前列で見る権利を与えられているとの事。
「お、お恥ずかしい。無様な試合でなければよいのですが…」
「とんでもない。天を突くように巨大なサリッサを軽々と持ち上げて、こう、ドスンと…」
卓上のスプーンを槍に見立ててパティア大使は楽しそうに試合を再現してみせる。
「大使、サリッサとはなんです?」
「あら、議員。歴史のお勉強が苦手だったのね。サリッサとはかつての東の大国ドニアスの兵が使っていた、とてつもなく長い槍の事ですわ」
ねぇ、とこちらに視線を送ってくるパティア大使。
「ふうむ、ヘリオン君はこう見えて、各地の武器を使いこなす博識の闘士ですからね。深い伝統と知識を我が国に伝えてくださるパルテナスの大使とは話が合いそうだ」
今度はリヴィアス議員が俺にウィンクを飛ばしてきた。
こ、これはハニートラップというやつなのか?
はっきり言って断れる自信ないぞ!
こうして始終和やかにリヴィアス議員は優雅に会話を繋げてくれ、パティア大使は嫌味なく歴史の知識で俺たちを楽しませてくれた。
俺はというと…『ほうほう』と『そうなんですね』を連発して相づちマシーンと化していた。
社交の訓練、俺も頑張ろう!
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