38話 初任給とパトロヌス
「報奨金の支払いをする!」
牢付き荷馬車に揺られて訓練所に戻るとダモンさんが大声で呼びかけた。トリトスさんの執務室前に机が置かれ、俺達は列を作って並ぶ。
机に向かうトリトスさんがリストをチェックして呼びかけ、ダモンさんが硬貨の詰まった袋を渡していく。
「クレイダス、900セステ」
「はい!旦那様、若旦那!ありがとうございます」「クレイダス!左足のケガはもういいのか?」
「はい!おかげさまで。ご心配いただき嬉しいです」「よし!次も頼むぞ」
剣闘士の報奨金は高額だが定期収入のない完全出来高制である。報奨を受け取る闘士の顔は晴れやかだ。
「ヘリオン、800セステ」初任給だ!
俺もニコニコしてしまう。
「はい!ダモンさん、トリトスさん、ありがとうございます!」
「ヘリオン、連戦までの期間、この金でやっていけそうか?」
「お心遣いありがとうございます!大丈夫です!」
ふふふ、久しぶりに家計回復だ!
オドリーになにかお祝いを買って帰ろう。
服がいいか、髪飾りがいいか、筆記用具でもよさそうだ。
「ヘリオン、帰る支度ができたら待合室に来なさい。君に来客の予定が入っている」
ん?俺に来客?自慢じゃないが俺には友人どころか知り合いすら数えるくらいしかいないが…
「やぁ、久しぶりだね!ヘリオン君。元気だったかい?」
ダモンさんから待合室に通された俺を待っていたのは、後見人のリヴィアス元老院議員だった。
今までは自信に満ちて余裕のある慈善家というイメージだったが、ゴズウェルの秘密の牢の関係者としてほぼ確定と分かった今では、悪の秘密結社の幹部という認識に変わっている。
彼を見るとついジト目になってしまう。
「君はかなりわかりやすいな。駆け引き上手な剣闘士とは思えないよ」
苦笑しながら供されたお茶に口をつけるリヴィアス議員。
「その様子だと、あの牢に訪れたようだね」
「なっ!」
なぜそれがわかった?それにあの牢が消えている事を知られてもよかったのか?
ビックリして目を丸くしてしまった俺と、驚愕しながらもなんとかそれを表情に出さず押し隠そうとするダモンさん。
「君は、いや、君たちは思った以上に情け深い」
ニコニコと笑いかける議員。怖い。怖すぎる。
これに黙っていられなかったのはダモンさんだ。
「議員!どういう事です!ゴズウェルナスは、やつはどうしているのです!」
スッと横目で一瞥するリヴィアス議員「黙りなさい、ダモン」
「これが黙っていられますか!どうか、どうか…」
掴みかからんばかりの気迫で議員に詰め寄ろうとするダモンさんを面倒そうに見やると議員はなにやらボソッと呟いた。
「..berkano..herba」
彼の口元から耳慣れない言葉が溢れ、それに呼応するかのように左手が薄緑色の光を帯びる。
「うっ…ぬぐぐ、かはっ!」
ダモンさんが苦しそうに呻き、口を押さえる。
なんだ今の!魔法か?!ダモンさん!
「二人とも落ち着きなさい。ダモン、私は黙れと言ったはずだ」
ニコリと笑いかけ、お茶をすするリヴィアス議員。こんなの、悪の幹部確定だろこれは。
「君が新しい職場に馴染んでくれたようで嬉しいよ。そこでだ、ヘリオン君。私は後見人というだけでなく君のパトロヌスになりたいと思う」
パトロヌスというのは要はスポンサーだ。
周りの剣闘士の話では、パトロヌスがつくと食事や支援金、武器の供与などが行われる。
人気剣闘士として認められた証であり、資金的な苦労から解放され、成功者への第一歩というところだろう。
当然、代償もある。
パトロヌス(保護者)の契約をした者はクリエンテス(被保護者)と呼ばれ、定期的に挨拶に赴き、ご機嫌伺いをする必要がある。
パトロヌスにとって不利益に繋がる行為はできないし、パトロヌスからの要請にも応えなくてはならない。リヴィアスは議員で俺は剣闘士だ。
普通に考えるなら、投票や人気集めに駆り出される事になるはずだ。
票集めくらいなら構わない。
現代のスポンサー契約だと思えば、楽な暮らしと引き換えに広告役くらい務めるつもりでいる。
でもさ、絶対普通のスポンサーじゃないと思うんだ。
悪の幹部確定しちゃったし、魔法らしいなにかでダモンさんを苦しめてたし。
どうしたものか…悪の議員対策なんて、ヘリオンでも姉ちゃんでもわからないよなぁ。
答えに詰まっている俺を見かねてリヴィアス議員が口を開いた。
「私はこれでも君のために、色々と動いてきたつもりなのだが、どうやら少々印象を損ねてしまったようだね」
少々ではないけどな!
「そうだ、私とパトロヌス契約を結ぶと得られる特典を教えようじゃないか。きっと君は喜んでくれると思うよ」
さも、名案を思いついたような顔をして議員は特典を語りだした。
「まずは支援金の話をしようか。年間に10000セステでどうだろう。それと食事は招待の他に、珍しい香辛料とフルーツを属州から届けさせる。どうかな」
す、凄い…俺の初任給800セステが悲しいほどショボく感じてしまう。
テルマエでゴズウェルが教えてくれた話だと、中の下の暮らしで年間6000セステは必要だと言っていた。
年間10000セステの保証ともなれば、一気に中の中くらいの生活レベルにはなれそうだ。
オドリーはまだ9歳なので、できれば信用のおける門番を雇いたい。
香辛料もかなり嬉しい。
砂糖があると料理の幅が広がってありがたい。
現代日本に近い味をいくつか再現できるかも!
いや、待て!違う、そうじゃない!
「それだけじゃ不満かい?なら、これはどうだろう。君に魔法を一つ与え、ゴズウェルさんの役割を教えるというのは」
ニヤリと笑うリヴィアス元老院議員の誘いを俺は断れるはずがなかった。




