37話 赤毛の悪魔
試合に出場する剣闘士の移動は牢付き荷馬車で行われる。朝食を終え、広場に全員が整列するのを待って、若旦那から出場闘士が発表されるのだ。
試合に出る闘士の食事には高価な蜂蜜やワインが振る舞われるので朝食の時点で誰が試合にでるか判る。
おい、赤毛。最後の晩餐は楽しめたか?
お前の闘士人生は俺が今日終わらせてやるからな…
「バストールさんなら楽勝っすよ!」「あの新人に訓練所の序列ってもんを教えてやってください!」
訓練士の見えないところで取り巻き達が声援をくれた。ティミドゥスのやつは昨日蹴り飛ばしてやったのを根に持っているのか、ヘリオンの側にひっついてやがった。
試合から戻ったらきっちりと躾けてやる。
「…本日の出場闘士は以上です。呼ばれた者は荷馬車に乗車してください。出場者全員に栄誉と、生と死の竜バースの加護があらんことを!」
「搭乗!」
若旦那の薫陶を受け、ザビア訓練士長の指示で牢付き荷馬車へと乗り込む。
狭い荷馬車の中で膝を突き合わせて対面で座る。
この中では奴隷も下位闘士も同じ扱いだ。
俺も早く上位闘士になって専用の馬車を持ちたい。
そうすればゴトゴト進むたびに尻が痛む事も、臭い奴隷達と一緒にされる事もなくなるのに。
ヘリオンの奴はどうしてるだろう。
緊張して怯えているんじゃないかと期待してチラッと目を向けてみたら、のんきに寝てやがった!
野郎!あとで覚えてろ!
荷馬車は闘技場の関係者専用門をくぐり、ギイッ、ゴゴン!と重苦しい音を立てて、荷台の後方と闘技場の闘士待合室を接続した。
剣奴達を逃さないために荷台と接続口はぴったり合うように規格が決められている。
「降車!」
闘技場の番兵の指示で俺たちは荷台を降りる。
最悪な乗り心地ともようやくお別れだ。
肩を開いて背を伸ばす。
見習いの前座試合は同じ訓練所の闘士や同派閥の訓練所の闘士同士で行われ、基本的に木製の模擬剣か刃引きの剣を使う。
使用する武器は荷馬車に乗り込む前に訓練士長に申し出て武器を預けておく。
これはレンタルの武器でも自前の武器でも同じ。
今回は嬉しい事に刃引きの剣だ。
これなら不幸な事故で赤毛を殺す事も不具にしてやる事もできるだろう。俺は自分のグラディウスとスクトゥムの裏に仕込んだ短剣を確認する。
「バストール!ヘリオン!出番だ!」
付き添いの訓練士から声がかかる。
さぁ、恥をかかせてやるぞヘリオン!
市が立つ日ではないから観客はまばらだ。
見習いの試合なんてこんなものだな。
「では皆様、ご覧ください!当ブルトゥス訓練所の成長株!正確な剣撃と堅実な試合運びは剣闘ファンを唸らせるでしょう。席次3番!バストール!」
俺は剣を持ち上げて声援に応えてやる。
席次3番が前座にでてやるんだ。
おい!そこであくびをしているおっさん!
よく見ておけ!
「さぁ皆様、トリーギンター・アンクラウスを殺し、血塗れのライカをも下した話題の闘士を当ブルトゥス訓練所が得る事ができました!ヘリオン!」
旦那の紹介に観客がざわついた。
ヘリオンの紹介に興味なんてなかったので、ろくに聞いていなかったが…30人殺しで有名なアンクラウスを殺したとか…いやいや、さすがに聞き間違いだろう。
場の空気が俺の方を向いていないのはわかる。
こういう時は積極的に動いて掻き乱す!
俺は軽いフットワークでヘリオンの左右に素早く横薙ぎを円盾に当ててやる。
円盾の弱点は防御面積の狭さにある。
四隅から肩や腿、うまく誘導してやれば首にも小傷を負わせる事ができる。
カカッ!カッ!
切っ先でひっかくようにして少しずつ盾を削り、体の外側を傷つける。横薙ぎを中心に牽制を繰り返し、奴が焦れて飛び出したところで剣を持つ右手首に向けて突きを放つ!
ヒュッ!
かわされたが悪くない。
旦那も言っていたが、堅実な試合運びで相手を追い詰めるのが俺の持ち味だ。
逆転なんていうものはそうそう起こるものじゃない。
奴は何度か俺の剣陣に踏み込み、剣を振るってきたがどれも盾にすら当てられずにいた。
距離感はずぶの素人。
チラッと確認したが、奴の待つ刃引きのグラディウスは訓練士長の特別製ではなかった。
俺と同じ通常の物で間違いない。
それにしてもこいつ、剣は素人だが盾使いが厄介だな。左右に振り回しても体幹がブレなくてイライラする。
巨木に切りつけてるような錯覚を起こす。
ん?試合中だっていうのに、ヘリオンが自身のグラディウスの柄を見つめて佇んでいた。
なにやってんだあいつ!
見習い試合だからってボケっと突っ立ってる奴があるか!
俺は変わらない戦況に苛立ち、ヘリオンの態度で怒りの限界を迎えた。
スクトゥムを前にだして突っ込む。
ヘリオンはグラディウスを柄尻に剣を持ち直すと、上から振り下ろすつもりなのだろう。
剣を高く上げて構える。
奴の一撃を堪え、カウンターの突きで首を狙う!
イメージがしっかりと頭に浮かんでいる。
こういう時の俺は大丈…夫
ズバアァッ!「ぐっ!ううっ!」
真っすぐに振り下ろされたヘリオンの剣は、俺の狙い通りに盾でしっかりと受けた。
だが受けた直後に盾は剣撃で真下まで持っていかれ、勢いよくガンッと地面に突き立ち…そのまま真っ二つに裂かれてしまう。
盾に無理やり引っ張られ、四つん這いになってしまった俺が前を見上げるとそこには…
燃えるように光る赤毛を広げ、脈動する全身から湯気をたてた悪魔がこちらを見下ろしていた。
「あ、ああぁあ…」
刃引きの剣で盾を一撃で割るなんて事、まともな人間にできるわけがない…喉がカラカラに干上がって声がまともに出せない。
赤毛の悪魔はさも当然という表情で割れた盾を一瞥した。こ、こんな悪魔を野放しにしていいはずがない…俺が、席次3番の俺がこいつを止めなくては。
盾の持ち手の下に挿してある短剣を確認する。これは積み込み時に密かにすり替えた刃の付いた短剣。
盾が割れた時に吹き飛ばなくてよかった。
こいつをあばらの下から心の臓に突き刺してやる!
そうすれば赤毛の悪魔でも動きを止めるはずだ。
ん?なんだ?
悪魔が四つん這いの俺に手を差し伸べてきた。
こいつ!すでにグラディウスを地面に投げ捨てて…勝負がついたとでも思っているのか!
見下された俺は怒りを勇気に変える。
奴の手を払い除け、立ち上がるのと同時に盾から短剣を抜き、腹の下に構える。
勝負がついたと勝手に勘違いして油断したな!
俺の勝ちだ!
そこからは不思議と時の流れが遅くなったように感じた。俺は自分と赤毛の動きを認識しながら、まるで他人事のように成り行きを見守るしかなかった。
短剣を腹に構えた俺は奴のあばらをめがけて体当たりをかける。
悪魔は一瞬驚いたようだが、俺の選択をあざ笑うように目を細め、ニヤリと口角をあげた。
奴は計ったように一歩引くと円盾の裏から刃引きの手斧を引き出し、横薙ぎに一閃。
俺の短剣の鍔に手斧の刃の部分をピタリと合わせ、短剣の刃の根元を引きちぎっていく。
どれだけの力と技量があればこんな真似ができるのか。あぁ、悪魔なら簡単な事か…
そう理解した瞬間、俺に流れる時の早さは戻り、右腕が横に吹き飛ばされる。
手首がおかしな方向を向いているのが見えたが、赤毛の悪魔と立ち合った代償が右腕一本で済んだ事に安堵して、俺の意識はプツリと途絶えた。
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