35話 ゴズウェルと秘密の牢
鍛冶工房でのやり取りを興行師のダモンさんと若旦那に報告して、本日の訓練時間は終わりとなった。
「ヘリオン、悪いがこれから少し、付き合ってくれんか」
ダモンさんの後について訓練所を出る。
「お前が過ごしていたという牢に連れていってくれ。ゴズウェルナスに会いたい…いや、会わなくてはならない」
7年も探していたと言ってたからな。
積もる話もあるだろう。
秘密の場所…という訳ではないよな?
そこまで遠くはないし、俺も久しぶりにゴズウェルの顔が見たい。
ゴズウェルナス伝を肴にして、一緒に夕食を食べるのがいいだろう。
オドリーも紹介しておきたいところだ。
なかなか楽しい夜になりそうだと思索にふけっていると、前を歩くダモンさんが振り返った。
「お前が奴隷剣闘士だった時分に、牢で会った相手はいるか?」
顎に手をあてて少し考えてみる。
まずはカルギスだ。
彼は瀕死の俺の世話までしてくれて、結構自由に出入りしていた。
次にリヴィアス議員。
彼は俺の後見人だ。
ダモンさんの推測通り、あそこが秘密の牢屋だとしたら間違いなく関係者側だと思う。
そういえば、身分を回復した時に監察官にも会ったな。彼は牢には来ていなかったかもしれない。
他には誰かいたかな…あ、思い出した。
ニヤニヤ顔で俺の長槍を取り上げた興行師。
名前も知らないままだが今思い出しても腹が立つ。
指折り数えるまでもなく、それくらいだろう。
「剣闘試合に関わる人数としては少なすぎるな」
ダモンさんは苦々しげに呟く。
「ゴズウェルナスめ、みずくさい。私に相談すればよいものを…」
二人三脚で訓練所を盛り立ててきたと楽しげに話していただけに、ダモンさんの心中は穏やかではないだろう。空気が重い。
訓練所から闘技場までは、話しながらでも徒歩40分程だ。ほどなくして闘技場が見えてくる。
闘技場の関係者入口の門をくぐり、俺は少し前まで過ごしていた牢への扉付近へと案内した。
案内してみたが…あれ?道を間違えたかな?
そこまで複雑な道順ではなかったはずだが…付近の扉を開けてみたり、見覚えのある通路を見回してみるが、牢屋への出入り口の扉だけが見当たらない。
「ここで間違いないと思うのですが…」
俺は扉があったはずの壁に触れ、目を凝らす。
扉を塗り込めたとか扉を外して埋めたなら、そこだけ新しくなっていたり、何かしらの跡があるはずだがそれも見つけられない。
ダモンさんは扉があったはずの壁に向き直ると、腰袋からメガネの片方くらいの薄く黄色がかった透明なレンズを取り出す。
古代ローマに眼鏡はまだない。
眼鏡はなかったがレンズは存在していた。
剣闘試合を観覧する時や細かな文字を見る時などに貴族はレンズを使っていたらしい。
姉ちゃんから教わったウンチクを思い出していた俺をよそに、ダモンさんはレンズを片方の目にあてて壁を丁寧に検分していく。
「これは魔術の行使で間違いなさそうだ」
えぇ…魔術!?
この世界って魔法ありの世界だったの!?
初めて見た!
いや、見てはいないが。
困惑する俺にダモンさんが説明してくれる。
「このレンズはな、特別な屈折によって魔術の形跡を見る事ができるのだ。
おそらくだが、時と空間を司る竜レガシーの加護による魔術によって生成された部屋か扉だったのだろうな…」
火の玉や電撃を飛ばすような、俺が想像する魔法とは違うようだけど魔法の存在はかなり気になる。
今はそれどころじゃないが後で必ず調べよう。
「空間と空間を何日も繋ぐほどの規模ともなれば、小物の仕業ではあり得ない。時間をかけて探るしかないな…」
沈痛な面持ちのダモンさんにかける言葉が見つからない。
俺にとってもゴズウェルは命の恩人であり、この世界での生き方を教えてくれた師匠のような存在だ。
流されるようにして生きている俺だがゴズウェルとカルギス、この二人の恩には必ず報いると決めている。
「ゴズウェルを必ず見つける」
無意識に口から出た俺の言葉にダモンさんが応えた。
「そうだな…ヘリオン!お前はその為に誰よりも強く有名になれ!
お前はゴズウェルナスが用意したこちら側の駒だ。
もしくはゲームから抜け出せた幸運な駒なのかもしれぬ。
どちらにせよ、これを仕組んだ者は必ずお前を見ている。クラウディ公やアウグス帝にお目見えできるほどの闘士になれば見えてくる物があるはずだ」
俺は決意を込めて返事をする。
「応!」
ダモンさんと別れてからの帰り道。
俺はゴズウェルに勧められて飲んだ最初のぬるいビールの味を思い出す。
「栄光を噛み締めて、次も勝て…」
そうだ。感傷に浸っていてもなにも変わらない。
勝って、勝って、勝ちまくるんだ。
そしてゴズウェルをテルマエに連れ出して汚い背中が赤くなるまで洗ってやる。
「お、おかえりなさいませ!ご主人様!」
インスラの一階にある風呂で手早く湯浴みを済ませて自宅に戻ると、パタパタと奥から駆け込んできたオドリーに迎えられた。
優雅さとは無縁だが庶民らしさに心が和む。
「ただいま、オドリー。なにか困った事や必要な物はなかったか?」
「はい!絶好調でございます!」
オドリーのへんてこな言葉選びや、たどたどしさは愛らしくて嫌いではないが、彼女の将来を考えるとマンティさんの下でもう少し練習したほうがいいだろうと思う。
俺は玄関に荷物を下ろし、金庫に金と貴重品を入れる。マンティさんはカルギスから全ての鍵を預かっていると言っていたが、オドリーに鍵を預けるのはさすがにまだ無理だ。
外出用のチュニックを脱ぎ、ゆったりした室内着に着替える。オドリーは手伝おうとしてくるが気恥ずかしくて俺が躊躇してしまう。
このあたりは俺も慣れておかないと後々に困るかもしれない。
さて、一息ついたところで夕食だ。
本日のメニューは『サラ・カッタビア』(パン入りチキンサラダ)俺はそれだけでは足りないので硬い丸パンも用意してもらう。
主人が食事の際、奴隷は立って給仕するのが本来だがうちでは違う。
ダイニングテーブルに夕食を並べ、2人とも椅子に座り、今日起きた出来事などを話しながら一緒に食べる。
夕食を食べながら話し合うのは俺と姉ちゃんの習慣だったからだ。
オドリーは最初、見られながら食べる事に緊張して食事中ずっとソワソワしていた。
「ど、どうしてご飯を食べてる私をたくさん見るの?」
そ、そんなに見ていたか?
いや、ずっと見ていたな…小さな子供やペットが幸せそうにご飯を頬張る姿は、愛らしくてつい見ちゃうんだよなぁ。
「取ったりしないから安心して食べなさい」と伝えたが視線を意識してしまったようで、真っ赤にした顔を見せないよう俯くようにして食事を再開した。
少し残念だが、そういう反応も愛らしく感じてしまう。あまり弄りすぎて嫌われないようにしないと。気をつけよう…




