30話 逃亡奴隷の値段
夕刻、用事と買い物を済ませた俺は自宅に帰り着いた。カルギス家の家事を担うマンティさんに分けてもらった燃えさし瓶(火種用に火を絶やさないようにしておく空気穴の開いた瓶)から火種を取り出し、オイルランプに火を灯す。
光源はこのオイルランプ一つだ。
ボタン一つで蛍光灯が部屋中を照らしてくれる現代が懐かしくも羨ましい。
購入した錠をさっそく金庫に取り付けようとした俺は、ギョッとして固まった…オイルランプの明かりで薄ぼんやりと照らされた金庫は半開きで長い皮膚状のなにかがべろんとはみ出している。
開口部から漏れ出るのは獣臭…こ、こいつはRPG定番の宝箱擬態モンスター『ミミック』じゃないか?!
二つに割れた舌先のような物がビタビタと床を打つ。
獣臭と相まってかなりの迫力だ。
かなり怖い。
手元にある武器は、腰に吊るしたヘリオンの私物の手斧だけだ。音を立てないようゆっくりと慎重に腰から外す。
主武器が無いのは心許ないが、先程のヘリオンの投斧術の腕前ならミミックの舌を切り落とす事は可能だろう。
焦る心を抑えて作戦を立てる。
まず投斧で舌を切り落とし、勢いよく飛び乗って蓋を閉じる。これでダメそうならミミックを扉から一階に放り捨て、それでもまだ動くならオイルを撒いて焼き殺してやる!
よし!あとは投擲のタイミングを見計らって…
斧を投げようとしたタイミングで今度は口ならぬ蓋がガゴガゴと開閉を繰り返す。
威嚇か、それともなにか吐きかけるつもりか?
オイルランプの小さな照明で蠢くミミックは、かなりホラーだった。
「…ケテ……タスケ…」
「!」
少女の声がかすかに聞こえた。
ミミックに食べられかかっているのか。
仕方ない、蓋は閉じずにこじ開けるよう作戦を変更。投擲も中止する。
手斧は蓋を閉じさせない為のつっかえ棒として使えるかもしれない。
牙は見えないな。行くぞ!
腰を落とし、舌を抱え込むようにタックルを決行!
ザッと床を滑り込み、がっしりと舌を抱えた。
上手くいったが腕に伝わる感触には違和感が…これは、舌じゃない?人の脚?
ミミックの舌?はズルリと引き出され、同時に「ひゃああぁぁ!」という少女の叫び声。
救出の成功を確信して安堵する俺の眼前には、少女の小さなお尻が丸だしで突き出されていた…
顔を耳まで真赤にしてうつむく空き巣の少女。
俺は客間で彼女と向かい合って座っている。
マンティさんによると、彼女の名は『オドリー』というらしい。
床で彼女を抱きかかえた形の俺とオドリーはお互いパニックになり、騒ぎを聞きつけた隣家のマンティさんによって仲裁された。
マンティさんは泣きじゃくるオドリーから辛抱強く事情を聞き取り、簡潔に説明してくれる。
女手がいて助かった…ありがたい。
とりあえずミミックなんていなかった。
それは本当によかった。
彼女のお尻に顔を埋めてしまったのは不可抗力としか言いようがない。
幼女とはいえ、恥ずかしい思いをさせてしまったのは申し訳なく思う。俺もめちゃくちゃ恥ずかしいのだから許してほしい。
「ヘリオン様、彼女は逃亡奴隷です。逃亡奴隷は警らにつき出すか、彼女の持ち主に返すのが常識的な対応です」
マンティさんの言葉にオドリーはビクッと肩を震わせた。
「か、帰りたくない…」
声を震わせながらオドリーが必死に声を絞り出す。
ううむ、確かに俺は家事手伝いや門番が欲しいと思っている。しかし家に侵入した泥棒を雇うほどお人好しではないというのもある。
俺の現代的な倫理観が彼女を保護しろと全力で訴え、胸の奥がジクジクと痛む…
「り、竜の、ちっちゃなサンダー様のお導きで、この家に来ました。私を…か、買い上げてくださいませんか?」
涙目のオドリーは唐突とも思える告白をした。
ん?ちっちゃなサンダー様?サンダーって、カルギスの話していた20メートルくらいある雷の竜だったはずだ。
間接的に俺も恩がある名前。
ちっちゃな竜か…
ん?おはぎの事か?
おはぎがこの家についてきたのか?
同情半分、おはぎとの縁から好奇心半分で俺はマンティさんに小声で尋ねる。
「マンティさん、彼女を買い上げるとしたら、いくら位かかると思います?」
彼女は俺に微笑ましげな表情を見せた後、考え込んで腕組みをした。
「そうですね。7歳までの幼児で女なら400セステ。9歳なら少し値上がりして600セステ。逃亡した経験があるので500セステくらいでしょうか」
マンティさん、声が大きいっす。
本人の値段の話をするのはデリカシーがないと思ったが価値観が違うのだろう。
今の手持ちは確か400セステくらいだったはず。
厳しい。厳しいが交渉してなんとかなる額にも思える。
この世界は俺が生きてきた世界とは価値観が違うものの、れっきとした法治国家だ。
俺自身、奴隷剣闘士から市民になってみて痛感している。
ならば彼女を保護するにしても正当な手続きは必須。
そして、彼女の金額を聞いた時点で俺の行動は決まっていたのだと思う。
「よし、オドリーを買えないか交渉してみよう」
パッと顔を上げ、目を輝かせるオドリー。
マンティさんは俺の決断を予想していたのだろう。
柔らかな笑みと共に、こくりと頷いた。
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