20話 自由身分の回復
「では、ヘリオン君の身分を回復しようか」
闘技場に併設された応接室に呼び出された俺は、リヴィアス元老院議員から満面の笑みで迎えられた。
「略式ではあるが、これより奴隷開放の手続きを行う。監察官、入り給え」
議員が声を張ると、知的で眼鏡が似合いそうな三十前後の男が入室してきた。
彼はリヴィアス議員に一礼すると、俺にも挨拶と説明をしてくれる。
「はじめまして、英雄殿。監察官のクリニアスです。私が議事進行及び諸手続きを行います」
奴隷や剣闘士に対する接し方や雰囲気がリヴィアス議員に近い。二人は友人か、それに近い関係だろうと推測できた。
コホンと軽く咳払いをし、今度はクリニアス監察官が扉に向かって声をかける。
「自由市民ゴズウェル、入室しなさい」
ん?ゴズウェル?
一礼して少し固めの雰囲気を醸し出し、いつもより小綺麗な牢番頭のゴズウェルが入室してきた。
なにやら杖をついている様子。
顔も体も傷だらけで年齢不詳だったがおじいちゃんだったのか。
もしかしたら足が不自由なのかもしれない。
俺の対面にクリニアス監察官が立ち、左側には俺に寄り添う距離でリヴィアス議員。
右側には少し離れてゴズウェルが立つ。
誰も座らないところを見ると手続きというより儀式、もしくは裁判のような雰囲気があり、にわかに緊張が高まっていく。
「奴隷ヘリオンはクロネリア帝国の所有物であり、彼の管理は闘技場の管理官であるリヴィアス元老院議員が一任されている。間違いありませんね?」
監察官が朗々と語り、議員に尋ねる。
「相違ありません」
「奴隷剣闘士ヘリオンは、アウグス皇帝ならびにクラウディ宰相が発布された剣闘士法、奴隷解放の項を公正に達成した。リヴィアス管理官、これも間違いありませんか?」
「相違ありません」
クリニアス監察官が一枚の羊皮紙を取り出してリヴィアスに手渡す。
「こちらは闘技場及び剣奴を包括して統治されているクラウディ公の著名付き命令書です。この効力は公開された今を持って、奴隷剣闘士ヘリオンの自由身分を回復します」
おぉぉ!やったぞ!
「では市民ヘリオンの身分が回復された確認を行います。市民ゴズウェル、杖を」
ゴズウェルはこくりと頷き、杖で俺の腕に触れた。
「リヴィアス管理官、市民がヘリオンに触れましたが異議申し立てはありますか?」
監察官が問い、それにリヴィアスが応じる。
「ありません」
「次に、市民ヘリオンは住居、仕事を持たない為、生活が安定するまでの一定期間、後見人を立てます。後見人はリヴィアス議員。
実際の世話役には市民ゴズウェルが面倒を見る事とする。よろしいでしょうか」
二人が深々と頷く。
なんだか、かなり惨めな気分になってきた…お世話をおかけします。
いや、ここは転生先の異世界がしっかり法整備されている事を喜ぼうじゃないか!
失業手当を受けるようなものだ。
クリニアス監察官は満足げに三人を見渡した後に一礼。
「リヴィアス議員、手続きは以上となります。市民ヘリオン、おめでとう」
「ありがとうございます」
彼が立ち去った後、リヴィアス議員も深い笑みを作って労ってくれる。
「数日羽根を伸ばすといい。それと今後の生活についてはゴズウェルさんに相談してある程度考えておくように。
そうだ、君の知性を見込んで開放するだけなので、くれぐれも姿をくらまさないように。
3日後に君が剣闘士を続けてくれるのか、違う道を見つけるのか、伺う事にするよ」
俺にプレッシャーをかけつつ、得意な『ニコッ』を連発して去っていった。
応接室を出た俺達は、いつもの牢の前にある椅子に腰掛けながら、ゴズウェルがだしてくれたお茶をすすってひとごこちつける。
もちろん牢の外側で。
それにしても…文化的な応接室より牢前の薄汚い通路のほうが落ち着くなんて、慣れとは恐ろしいものだ。
現代日本で交通事故を起こして死んだと思ったら、古代ローマっぽい世界の奴隷剣闘士に転生して、お次は無職である。
さて、この先はどうしたものか……
前回リヴィアス議員に相談した際には、なんとかして剣闘士以外の道を模索しようと思っていたが、今の俺の気持ちはどうだろう。
奴隷として剣闘を強制される事。
これに関しては冗談じゃない!と今でもそう思う。
思うが…強制ではないとしたら?
奴隷でも強制でもなく、一つの職業として、高給取りの剣闘を生業とするなら?
強制されなくなった途端にそこまで嫌じゃないなんて我ながら天邪鬼だとは思うが、今の正直な気持ちだ。
ヘリオンという戦闘特化の肉体ありきではあるが、正直なところ『あり』ではないだろうか。
奴隷剣闘士のルールからも開放された以上、俺は相手を殺さずに負かすだけでも良くなったわけだし。
今の時点で俺には生きる目的がない。
まぁ、転生前にも立派な目的なんてなかったか。
会社は家から近いという理由で受けたし、職種もそこそこ稼げるからくらいの理由しかなかった。
姉ちゃんと愛犬のきなこの事は大切に思っていた。一応言っておくがシスコンではない、はずだ。
姉ちゃんは俺が死んで悲しんでくれただろうか、労災だし死亡保険も下りるから当面はお金の苦労をしないで済むだろうが…おっと、思考が脱線してしまった。
とにかく、俺にとって重要だったのは姉ちゃんときなこであって、現代的な生活や仕事ではなかったのかもしれない。
便利だし、楽だし、羨ましいけども…
今懐かしく思うのは、姉ちゃんからいろんな時代の武器の歴史を面白おかしく聞くのが楽しかった事だ。
試合でも何度となく助けられて命拾いした…そういえば興行師が俺の事を『変幻自在の武器使い』とか紹介していたな。
いっそ、鍛冶屋に頼んで少し未来の武器を作りまくるのはどうだろう。
そうなればこの転生人生も、なかなか楽しく過ごせそうな…
「おい、一人で百面相してないで、ワシにも考えを聞かせろ!」
気づけば、向かい合うゴズウェルが怪訝な面持ちでこちらを睨んでいる。
なんだ、この世界で一番信用できる相談相手が目の前にいるじゃないか。
奴隷が解放されて市民の身分を得る際、古代ローマでは実際に『杖の儀式』と呼ばれる確認行為が行われていたそうです。面白い儀式でせっかくなので、匠にも体験してもらう事にしました。
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