18話 狼、ずっこけ大作戦!
死亡判定人の横にある水瓶、それが勝利の鍵だ。
位置は俺の後方、距離にして20メートル程だが果てしなく遠く感じる。
俺と水瓶の間には石柱が一本。
そこまでなんとかたどり着け!
グルルルル…喉を鳴らし、涎を垂らしてライカが飛びかかる機会を伺っている。
こちらの目的を悟られないようにじりじりと下がる。
このまま距離を稼ごう。
チャリチャリチャリチャリ…そして、その機会はすぐにやってきた。
左腕に巻いていた元チェインフレイルの分銅鎖がほどけてしまったのだ。
盾も短剣も失った俺にはファルカタに次ぐ貴重な命綱。意識を左腕に向けた瞬間、ライカが動いた!
「ガアアッ!」
下半身をバネのように使い、牙を剥いて巨体が飛び込んでくる!
ガチンッ!
反射的にファルカタを横に構えたおかけでなんとか食われずに済んだが…お、俺の鼻先10センチの距離には剣を咥えた馬鹿でかい狼の顔!
フシュー、フシューと鼻息が俺の髪を揺らす。
ギャリリッ…ギャリッ、牙が剣を削りとる音が神経までをすり減らしていく。
ひええっ、迫力ありすぎぃ!
俺にとって第一の命綱であるファルカタが、くの字に折れ曲がるまでに大した時間はかからなかった。
とりあえずこの超至近距離はまずいっ!
ガブガブ美味しく噛み砕かれるイメージしか湧かない。こんのっ!
距離を取るために隙をついて下腹を思い切り蹴り上げる!
「ギャウンッ!」
ライカの腹は思いの外柔らかく、くの字に折れ曲がった剣を吐き捨て、あわてて飛び退り悶絶している。
そういえばうちの『きなこ』(ミニチュアダックス)もお腹が柔らかかったなぁ…なんて考えている暇はない!チャンス到来!
サッとライカに背を向け、石柱までダッシュする。
目算では石柱まで5メートル、水瓶までは15メートル。
後方の唸り声が怖すぎるが、まずは石柱の影に隠れるのが第一歩!
高校球児もかくやというスライディングを決めてなんとか石柱に隠れる。
ふいぃ、一挙手一投足が命懸けだなこれは。
俺には一つの策があった。
人間状態のライカは石柱の影から左右攻撃をしたり、石柱の上から飛びかかったりと多彩な攻撃をしかけてきた。
あのトリッキーな戦法から着想を得て思いついたのだ。
相手の想定を超える戦法は戦力差を覆す事ができる。たとえ武器が鎖しかなくても、上手く行けば大きな戦果を挙げられるはず!
まずは石柱の低い位置から飛び出している鋼鉄製のフックに分銅鎖の先端を引っ掛ける。
そして試しにグッと引いてみる。
よし、強度は問題なさそうだ。
鎖を右手に持ち替えて手首に一巻。
これで準備完了!
その名も「狼、ずっこけ大作戦!」名は体を表すの言葉通り、一切説明のいらない見事な作戦名だ。
よし!行動開始!
…だが、行動を開始してすぐに問題が浮上した。
イメージはこうだ。
柱に鎖を引っ掛けて鎖を地面に這わせる。
そのうえでライカを挑発して飛びかかってきたところで、鎖をビンッ!と張って、ライカがつまずく。
そこに水瓶を手に入れた俺が水をかける。
大勝利!完璧!
この勝利の方程式には長い鎖が必要不可欠だ。
想像上の鎖はなぜか3メートルくらいあった。
思い起こせばこの分銅鎖は元々チェインフレイルを解体して作った物で鎖の長さは1.3メートル。
右手首に一巻で30センチ使っているとして…地面のひっかけ部分はなんとたったの1メートル以下という。
こ、ここにあの馬鹿でかいライカを通すのか。
そもそも通れるのか?
屈み込んでゴソゴソしている俺を見つけたライカが咆哮をあげる。
「ガアアアァァッ!フーッ、フーッ」
これでは作戦中断すら難しそうだ。
腹を蹴られて殺気立ったライカは完全に自制心を失っている。それだけが光明だ。
さり気なく角度を調整して、俺と柱の間を通るように仕向ける。やるぞ!成功のイメージが大事だ!
ドッ!
ライカが土埃を立て、大きく飛びかかってくる!
これは右手を振り上げて切り裂くパターンだ!
幸い、踏み込みに使った右足が伸びきっている。
この右足を狙えばやれる!ここからは体担当ヘリオンさんの動体視力と瞬発力が頼りだ!
頼むぞヘリオン!(応!)
その瞬間、ヘリオンの意識と思考がドバッと俺に流れ込んできた。
ヘリオンと同調した俺の意識はライカの動きをまるでスローモーションのように捉え、はっきりと認識していた。
猛烈な速度で振り下ろされるライカの右腕に向かって一歩踏み込み、背中をわずかにかがめ、首を下げて交わす。
その姿勢のままライカの右足が通過する寸前、ライカの右足すれすれの位置に、鎖を握った右腕を前方に向けて勢いよく振り抜いた!
ビインッ!ガッ!「ギャオゥッ!」
渾身の大振りを外して足を引っ掛けられたライカは態勢を崩し、勢いを殺す事もできずにゴロゴロと転がり、逃げ遅れた不幸な判定人を巻き込んで、顔面を水瓶に突っ込んでようやく停止した。
しばらくピクピクと痙攣していたがやがて力を無くし、ライカはパタリと動きを停める。
お、終わったのか?
(『ずっこけ大作戦』知恵と勇猛さを併せ持つ見事な作戦行動だった。匠よ、誇りに思うぞ)
いやいやいや、ほぼ全部ヘリオンの実力だと思う、ほんと。俺のフワッとした30点くらいの思いつきを身体能力と判断力で100点満点どころか200点を叩きだしてしまったのだから。
ヘリオンのスペックの底が全く見えない…
(良いコンビになれそうだな)
俺の中のヘリオンが微笑んだような気がした。
きっと気のせいではないだろう。
「な、な、なんという大番狂わせ!闘士ヘリオンの勝利です!」
ここまで試合の行方を固唾をのんで見守っていた観客席が一斉に拍手喝采し、歓声が闘技場を覆い尽くす。
「vivat!ヘリオン!」「vivat!ヘリオン!」
「我らクロネリア市民の同胞となるヘリオンにお祝いのチップが降り注いでいます!」
ヘリオンが歓声に応えて手を振り、熱狂した観客が次々とチップを投げいれる。
観覧席の中心、特別に囲われた綺羅びやかな貴賓席。
居並ぶ観覧者の中でもひと際、威厳を感じさせる男性が大きく手を挙げる。
歳は50代、綺麗に撫でつけられた白髪、整えられた立派な髭が印象的な紳士。
以前、会いにきてくれたリヴィアス議員が一歩下がり、うやうやしい態度で接しているところを見ると彼が『クラウディ公』闘技場の統治者のようだ。
クラウディ公の威厳に気圧されるようにして闘技場がシンと静まる。
「さて、まずは敗者の処遇からだな。賢く気高い、諸兄に問おう。敗者ライカの処分は如何に?」
公の質問に応えて観客が一斉に親指を上げる。
「助命を!」「公!お慈悲を!」
一同を見渡して絶妙の溜めを作り、彼は厳かに親指を上げた。
「敗者ライカを助命とする!」
うおぉぉぉ!観客は一様に絶叫し、クラウディ公コールの大合唱となった。
ライカもクラウディ公も、ものすごい人気だ。
ライカ、生きているといいが…
「では、改めて勝者を祝福しようではないか!我、フィルメヨール・クラウディの名において、勝者ヘリオンを新たなるクロネリア市民として迎える!
そして、卓越した英雄に月桂冠を授けよ!」
サッと闘技場の扉が開き、正装の男が月桂樹で編まれた冠を頭上に掲げるように持ち、俺の頭に乗せた。
「vivat!(万歳!)」「vivat!(万歳!)」
この日、俺は短くも過酷極まりない奴隷剣闘士という立場をついに脱する事ができたのだった。
女性剣闘士が出てきたら場面映えしてカッコいいけど実際問題無理があるよな…なんて考えていたのですが、調べてみてビックリ!
なんと史実に存在していたようで女剣闘士の像なんて物が残されているようです。夢が広がりますね。




