26話 波乱を告げる白い梟
「今日も雨だ……洗濯物が乾かないなぁ」
剣闘士ヘリオンの忠実な側仕えであるオドリーは、窓の外で降りしきる雨を見つめ、悩ましげに独り言ちた。
「洗濯は捗らないし、買い物にはパエヌラ(ポンチョ型雨具)を着ないといけないし……」
困ったわねぇ、とお姉さんぶって頬に手を当ててみる。
ここ数日、家庭教師として滞在しているパティア大使の仕草を真似ているのだ。
あの上品で知的な身のこなしを習得するのが、最近のオドリーの密かな訓練となっていた。
だが、雨も悪いことばかりではない。
大変嬉しい事に、主人のヘリオンはこの雨で足止めを食らい、珍しく在宅時間が長い。
主人が長く家にいてくれる。それだけでオドリーの胸は弾み、腕によりをかけて好物をモリモリと用意することになる。
本日の昼食メニューは以下の通り。傍目にもオドリーの気合い、いや執念すら伺えるラインナップである。
・レタスとアスパラガスの酢のサラダ、ゆで卵添え
・鱈の塩焼き
・生ハム(コッパ)とソーセージの盛り合わせ
・オスティア風豚肉のロースト
・特製プリン(ティロパティナ)
一家の台所を預かって以来、オドリーはヘリオンの味覚を徹底的に分析してきた。
(ご主人様の趣向は独特で、強いスパイスよりも素材の味を好まれるのよね。
クロネリア名物の鱈のフリッター“フィレッティ・ディ・バッカラ”みたいな凝った料理より、単純な塩焼きがお好き。
これこれ、なんて仰りながらシトロンを絞って食べていたっけ……)
想像するだけで顔が緩む。
ソーセージは大好物だし、極めつけに雷鳴亭の店主に頼み込んだプリンを用意すれば――完璧!
ヘリオンは元剣奴のせいか、出されたものは(カタツムリ以外)笑顔で平らげてくれる。
だが、オドリーは見逃さない。
本当に気に入った時の彼は、箸の進みが違うのだ。そして残り二つ三つになると、コホンと咳払いをして、
「オドリーはソーセージを食べたかい?」
そう言って、奴隷である自分に差し出してくれる。その優しさに触れるたび、オドリーは幸福感で胸がいっぱいになり、ご主人様のことがもっともっと好きになってしまうのだ。
だが、そんな幸福で穏やかな雨の午後は、唐突に終わりを告げる。波乱を運んできたのは、一羽の白い梟だった。
オドリーが窓辺を掃除していると、雨の帳を切り裂くようにして、その白い影は舞い降りた。プルプルと濡れた羽を震わせる仕草は愛らしいが、その瞳には野生の鋭さが宿っている。
「モコモコの綺麗な鳥さん……見慣れないけど迷子かしら?」
通常、ヘリオン宅に届くのはリヴィアス議員や訓練所からの伝書鳩だ。梟など見たことがない。
オドリーが困惑しているのを余所に、梟は室内を見回し、まるで主を見つけた猟犬のようにズンズンと部屋の奥へ進んでいく。
「ちょっと? 勝手に入っちゃダメだってば!」
慌てて追いかけた先には、意外な光景があった。
パティア大使の細い腕に、その猛禽が大人しく留まっていたのだ。彼女が足に結ばれた書筒を解く姿は、まるでお伽噺のワンシーンのように神々しい。
(なによ……パティア様はお客様で、私がこの家の家政を任されているのに……もう!)
憤慨しつつも、その絵になる美しさについ見惚れてしまう。
(パティア様……本当にお美しいなぁ。いつか私もあんな風に……あ、でも最近ちょっとご主人様に近づきすぎですよ! それはダメ絶対!)
忙しない乙女心に翻弄されるオドリーとは対照的に、手紙を開いたパティアの瞳から、ふっと穏やかな色が消えた。そこにあるのは、公人として国を守護する「大使」の顔だ。
「メルクリウス様からだわ……そう、私達がアウロ議員の行方を追っている事をご存じだったのね。やはり、リヴィアス様をお救いするには、あの方に証言していただくしかありません」
手紙を一読し、状況を飲み込んだパティアは、梟の頭を労るように撫でてから顔を上げた。
その表情には、凛とした冷たさと、強い覚悟が同居していた。
「オドリーちゃん。待っていた連絡が届いたわ。……ヘリオン様を呼んでいただけるかしら」
いつもの柔らかい家庭教師の面影はない。
雨音にかき消されそうな静かな声。だがそれが重大な転機であることを予感させ、オドリーの胸中に不安が広がっていくのだった。
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15日曜:うちの姉ちゃん〜ローマのプリン編
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