19話 百人隊長(ケントゥリオン)
「帝都防衛はアスラ・コルネリウス・フェリナス将軍に其の任を預ける。防衛の才人されば忍耐の勇。以て残存せし兵によりて多大な戦果を期す――」
仰々しく記された羊皮紙の文言を思い返し、コルネリウス将軍は本日何度目か数えるのも馬鹿馬鹿しくなるため息を漏らした。
大軍勢が巻き上げた土埃は未だ空に停滞し、西日に照らされて不吉な血の色に染まっている。
華々しい軍楽隊の音も今は遠く、広大なマルス広場には、捨て置かれたボロ布のような静寂だけが横たわっていた。
「はあぁ……そんなこったろうと思ったよ。どいつもこいつも、手柄を拾いに気持ち良さそうに出陣しちまいやがって。残されたこっちの身にもなってほしいねぇ……」
「閣下、もう少しお声を落としていただきませんと。壁に耳あり、元老院に密告者あり、と申しますからな」
コルネリウスの傍らで、苦笑混じりに諫言を口にしたのは、いかにも歴戦の猛者といった風体に厳しい顔をした白髪の五十男だ。
使い込まれ、幾度も修復されたロリカ・セグメンタタ(板札鎧)の鈍い光沢が、彼の潜り抜けてきた修羅場の数を静かに物語っている。
彼の名は、デミテウス・コルグロ。
コルネリウス旗下の百人隊長をまとめる筆頭百人隊長である。
コルネリウス将軍が「防衛戦の達人」と称されるまでになったのは、本人の知略や人格もさることながら、斥候の扱いに長けたクアレスと、この重装歩兵の象徴たるコルグロという二人の優秀な部下の働きによるところが大きい。
この時代の兵士は国家に直接仕えているわけではない。実態は各々の将軍や名士に忠誠を誓う「私兵」に近い。コルグロにとって、帝国の安寧よりもコルネリウスの命こそが守るべき正義であった。
「そんで、コルグロ百人隊長。あらためて訊くが、市内に残された『動ける』兵はどれくらいだい?」
「はっ。閣下直属の兵、二個大隊……約1200名。それが、今の帝都が動員できる実質的な全戦力であります」
「1200名……冗談だろう? セルティウス城壁の長さを考えろ。門だけで16もあるんだぞ。一つの門に100人も置けない計算じゃないか。敵が梯子一本持ってきただけで、この帝都は詰みだ」
コルネリウスはこめかみを押さえ、脳裏に帝都の俯瞰図を広げた。
東のコリーナ門から西の凱旋門まで、守るべき箇所は無数にある。対して、手駒はあまりに心もとない。
「――して、閣下。布陣の程はいかがいたしましょう。まさか、指をくわえて敵を招き入れるわけにも参りますまい」
不満を垂れる上官を軽やかにスルーし、実務的な問いを投げるコルグロ。
コルネリウスはむぅと唸りを上げて目を閉じ、思考の海へと潜った。
彼が沈黙する時、その頭脳では数百通りのシミュレーションが高速で実行されていることをコルグロは知っている。
「……決めたよ、コルグロ。効率こそが、数に勝る唯一の武器だ」
「はっ!」
「二個大隊を、六個の中隊に再編せよ。東西南北の主要な門に一個中隊ずつ配置。残りの二個中隊は中央のマティウス広場に待機、火急の際に駆けつける『即応予備』とする」
「マニプルス……なかなかに古式ゆかしい戦術単位を持ち出されましたな」
クロネリア帝国が大軍勢を持つようになる一昔前、軍は「マニプルス」という約200名から成る小規模かつ機動性の高い単位で指揮を執っていた。集団の力に頼らず、個々の機動力と判断力を重視するこの戦法は、今の低戦力状態には最適と言える。
「古臭いと笑うかい? だがね、デカいだけの軍団は一度崩れればただの肉の塊だ。今の我々に必要なのは、巨像の足首を噛み切る猟犬の俊敏さだよ」
コルグロの唇が、満足げに吊り上がった。厳しい状況であればあるほど、将軍の冴えは増す。
「閣下、しかしそれでも物理的な人数が足りませぬ。城壁の上を歩かせるだけで兵が死んでしまいますぞ」
「ああ、分かっている。足りなければ『捏造』するまでのことさ。コルグロ、君の隊で市内を回り、退役したご老体と、血気盛んな若者、それに腕自慢の職人どもを集めてこい。武装は倉庫の旧式でいい。彼らを『後衛』という名の案山子として並べる」
プライドの高い指揮官ならば、素人を混ぜることを嫌うだろう。だがコルネリウスは合理的だ。本物の兵が戦うための「余裕」を作るために、素人さえも戦術の一部として組み込む。
「お見事な案でございます! 恐怖を勇気に変えるのは我ら百人隊長の仕事。早速、かき集めて参りましょう」
「ああ、待て。その中から、特に足の早い者と目の良い者を選別せよ。そいつらには馬を与え、斥候として徹底的に使い潰す。情報の遅れは、死よりも重い罪だと思え」
「はっ! 心得ました!」
颯爽と駆け出したコルグロの、頼もしい背中を見送りながら、コルネリウスの表情は再び暗い影に覆われた。視線の先には、重鎮たちが居座る元老院の建物がある。
「アウグス帝とクラッスス……双頭の鷲が互いに首を絞め合って武功を競う。そこまではいい。だが、元老院の動きが解せん。あの腐りきったヒヒ爺どもが、なぜ不倶戴天の敵であるクラッススをこれほど強く推した?」
そこに漂うのは、戦場の死臭よりも不快な、政治の汚濁。
「奴ら、何を企んでいやがる……帝都を守るのが我らの仕事だが、もしや守るべき『中身』は、とうの昔に入れ替わっているんじゃないか……?」
コルネリウスは吐き捨てるように呟くと、夕闇に包まれ始めた帝都の街並みを見つめた。
彼が危惧した「情報の欠落」と「元老院の陰謀」それが後に、コリーナ門での凄惨な魔獣襲撃へと繋がっていくことを、この時の彼はまだ、直感の域でしか捉えていなかった。
毎週、月・水・金の週3回17時30分投稿。
次回は1月26日(月曜)です。
また、明日(土曜)17:30にはスピンオフ作品「うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい」を更新いたします。
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