王家の運命(さだめ)(8)
「ところで、タソガレ商会の、タソガレとは、聞かぬ言葉だ。どのような意味がある?」
再び謁見の間で商人たちと顔を合わせる。
これは場をもたせるための話題、というものだ。
だが、一瞬だけ商人は真顔になってから、すぐに笑顔に取り繕う様子が見えた。
……何だ?
違和感は感じた。だが、それが何かはわからぬ。
「…………古い、古い、それはもう、とても古い言葉で、陽が沈む時の様子をあらわす言葉だと言われております」
「ほう。それは、おもしろい。だが、商売が成功しそうな言葉には思えぬぞ」
「お恥ずかしい限りにて。古い言葉、というだけで価値があるかのように感じておりました」
「ふむ。身の安全の保障を求めるのも納得であるな。その意味では、神官などが目を吊り上げて怒りだしそうだ。そなたらの客には神官たちはならぬだろうよ」
「お戯れを……」
「いやいや、すまぬ。さて……」
侍従たちに目をやると、恭しく進み出て、玉璽を押した二つの書類を捧げ持ってくる。
ひとつは王家御用達の商会であることを証明する書類。
もうひとつは商会の者の身の安全については王家が保障することを約した書類。
ただし、外国では通用しないものだ。
商人が証書を恭しく受け取り、にやりと笑う。
「ありがたき幸せに存じます。国王陛下」
「今後も、回復薬の取引ができることを切に願うぞ」
「ええ、もちろんでございます」
そう答えた商人が、その従者たちが、一斉にその腕から金の腕輪を外した。
謁見の間が一瞬で沈黙に包まれた。
さっきまで商人たちがいた、まったく同じその位置に。
さっきまでいた商人たちとはまったく違う者たちが立っていたのだ。
「我らが何者であろうと身の安全を保障してくださるトリコロニアナ王国の王家とは、ぜひとも仲良くしていきたいものでございます」
そう答える声も、先程までとは違い、美しく、耳に心地がよい。
何よりも、そこにいる5人が、全て見目麗しい。中でも、二人の女性は絶世の美女だ。城や国を傾けることができると言われればその通りだと答える、何かを通り越してしまった美しさ。
「その、耳は…………」
やっとのことで口を開いたのは宰相だった。
「我らの耳は、こちらでは珍しいでしょうね。もう、こちらには我らの一族は一人として残ってはいないはずにございますので」
「まさか、本当に、長耳族、なのか……?」
そう。
彼らの耳は、ぴんと尖って、長かったのだ。
長耳族。
それは、かつて、人々が奴隷として近くに侍らせ、欲望のままにその心身を蹂躙し尽くした者たち。
いつしか、長命な彼らも死に絶え、血をつなぐ子を産むこともなく、死んでいったと。
奴隷となることを逃れた者たちは、ド・バラッドの聖なる山のさらに向こうにあるという、暗くて寒くて生きていくのも困難な地に移り住んだと言われている。
目の前に立つのは、神殿の伝承に聞く、まさに長耳族そのものの、姿。
何者よりも美しく、あらゆる人の心を惑わす、という。
「……辺境伯領から、やってきたというのではなかったか」
「ええ。辺境伯領を通って、ここまでやって参りました。辺境伯領のさらに向こうの地から」
暴論だ。
だが、本当に、聖なる山の向こうからやってきたというのも事実なのかもしれぬ。
「魔族との取引など……」
陪臣の一人が声を上げるが、長耳族の男が手を上げてそれを制する。
「今までに、我らと取引なさった者が、おりましたのでしょうか? また、我らと取引をして、損害を受けたという方は? そもそも、我らと会ったことなど、誰もないのではありませんか?」
そう言って、微笑む。その微笑みは、とろけるように美しい。
「だが、辺境伯領では魔物によって辺境の開拓村が滅びたという話もある! それに魔族が関係していたという話も!」
「我らが関係していたという証拠はございますか? それと、魔物など、この王都の近辺にもいるのではないですか? 人々はそれを倒して日々の肉を得ているのでは? どこにでもいる魔物が、たまたま辺境の地で暴れたからといって、それを我らの責任とするのは暴論にございましょう?」
「それは……」
「我らもあの地に引きこもってばかりではやっていけないと、そう考えました。そして、我らなら、みなさまがお望みの物を提供できるとも考えました。それが献上した品にございます。
偏見を捨て、事実を見て頂きたいのです。我らが直接みなさまと争ったことがございますか? ないでしょう? なぜなら、我らはもう500年以上、こちら側には出てきておらぬのです」
「メフィスタルニアの件がある!」
「その話については、いろいろと耳にいたしました。ですが、聞くところによると、メフィスタルニアは死霊に占拠された、と。そしてその死霊どもはメフィスタルニアから出ることはない、と。メフィスタルニア以外に被害を出していないのではないですか? つまり、原因はメフィスタルニアの何かであって、我々ではないと考えます。もちろん、我らに身に覚えはございません。聡明なる陛下、宰相閣下におかれましては、玉璽を押した証書で身の安全を保障した者が証拠もなく、ただの偏見で害されることのないようにお願い申し上げます」
理路整然と、そして、堂々と、さらには美しく、歌うような声で語る長耳族の男に、謁見の間にいた者たちはいつの間にか引き込まれていたのだ。
そして、おそらく、とか、たぶん、とか、伝承では、とか、そういうあやふやな何かでしか、わしらは彼らを否定する手段がないのもまた事実だった。
まさに、証拠はないのだ。
「取引を、と申したが?」
「ええ、取引を願います、陛下。ガイアララを統べる畏れ多くて名を口に出すこともできぬあのお方の使いとして、トリコロニアナ国王ガンラガメジⅦ世陛下に、お望みの物を。私はガイアララよりの使者ロイエンタルジル・ド・トトソレイユ。まずは外交使節に与えられる部屋を王城内に望みます。そして、その後は、長き友愛の時間を」
長耳族は魔族だ。神殿の伝承でそう学ぶ。だが、目の前の者たちはどうだ。ひたすらに美しく、賢く、言葉を尽くしてこちらに理解を求めてきている。
確かに、魔族によって何かの被害を受けた、というはっきりした証拠は何もなく、それはつまりこの数百年という間、何の事実もないのに伝承のみで魔族を恐れていたということではないか、と。誰一人として、出会ったことすらなかったというのに。
「今、我々は新しい時代への一歩を踏み出そうとしております、陛下。その栄誉は、河北最大の国家であるトリコロニアナ王国の国王にこそ、ふさわしい……」
新しい時代へと踏み出す。
甘い言葉だ。わかっている。それは甘い言葉でしかない。
だが、抗えぬ。
ロイエンタルジルというこの者の言葉には破綻がなく、論破できる隙もない。そして、ここでの態度もどこをとっても敵対的なものではないのだ。
「回復薬は、王家のものと、なる、か?」
「それが陛下のお望みとあらば」
わしは、魔族と手を組む道を、選んだ。
これが、罠とも気づかずに。
全ては回復薬のために。




