王家の運命(さだめ)(6)
『勇者』をあきらめて、王城に日常が戻った頃には、ケーニヒストル侯爵領で二人の『聖女』が出ただの、4人の『聖騎士』が出ただの、噂ばかりで姿を見せぬケーニヒストルの『竜殺し』の洗礼では神託が降りてそれに気をとられた神官が天職を見逃しただのという、荒唐無稽な噂が流れてきた。
今年は、第三王子であった『聖騎士』をソルレラ神聖国に奪われたことに対する抗議の意味も込めて、学園に行かせる者は二人にまで絞っている。河南の、それもソルレラ神聖国の情報は、なかなか正確なものが届かないのだろう。
あの高慢ちきな侯爵のことだ、自領から希少な天職の者が次々と誕生していると噂を広めることで、外交上の影響力でも高めようと考えているのだろう。どこの国でも似たり寄ったりのことはしておるというのに。
問題なのは、それらの派手な噂の陰に隠れて、ハラグロ商会の護衛は王国の兵士や騎士たちよりも強い、という噂が王都の民や貴族たちの間に広まっていることの方だった。
これは噂ではなく、真実なのだ。そして、その真実を知っている者はきわめて少なく、噂として広まるには内容がよろしくない。しかも、『聖女』だの『聖騎士』だの『竜殺し』だのという、信じた者が笑われるような噂と違って、本当に王都の民が信じてしまいそうなところが問題なのだ。
元々、ハラグロ商会の護衛が強い、というのは噂となっていたことでもある。そもそも商会の護衛にハラグロ御三卿と呼ばれる三人の貴族が自領の騎士や兵士を派遣していたのだ。そのうちの一人は弟だというのだから、わしもそれが事実だと知っておる。
それ以前から、あのメフィスタルニアが滅びる前から、ハラグロ商会の護衛は何人もの盗賊を殲滅したと言われていたくらいだ。
そんな、今さら、という感じがある噂が広まっているということに何かの作為を感じざるを得ない。
誰が、誰を狙ってこの噂を流しているのか。
それが問題なのだ。
ハラグロ商会が流している可能性も、宰相が流している可能性も、宰相と対立している高位貴族が流している可能性も、第一王子派が流している可能性も、第二王子派が流している可能性も、他国の間者が流している可能性も、全て、否定できない。
狙われているのは王国そのものか、それともわしか、宰相か。騎士団や軍なのか。
それとも本当にただの噂なのか。
噂に惑わされるな、とはよく言われることだが、噂だからこのように惑わされるのだ。
真実ならば惑うことなどないだろうに。
噂の出どころはたどらせているが、掴めそうにない。それどころか、ひとつではないのではないかと思わせられる報告さえ上がっている。
必死に噂を否定すればより広まる。それに、派手な噂の陰に隠れているので、それを否定すれば陰から出てきて噂そのものがさらに目立ってしまう。
これを意図してやっている者がいたとしたら、なんと巧妙な罠を仕掛けるのだろうか。
味方にいれば心強いが、敵だとするとこれほど厄介な者もいるまい。
ただ、このような噂が王都において流れて広がるということは、ハラグロ商会と王家との関係はもはや絶望的であるということは、どのように考えても事実としか思えなかった。
わしは、打つ手を誤ったのだろう。
回復薬は遠くへと去ってしまったのだ。
最近、第一王女も、第二王女も、王妃も、側妃も、なぜかみな不機嫌になっておる。
第二王女はわかる。
洗礼前の第二王女は、ケーニヒストルの派手な洗礼の噂を聞いて、私はどのような天職を授かるのでしょうか、などと夢見ておったのだ。
それを教師のゼラルディン伯爵夫人から、しっかり学ばぬ者には神々は立派な天職を与えては下さりません、とか、王家の洗礼は、極秘裏に行われますのであのような噂が流れることはございません、などという現実を突きつけられておった。
それで不機嫌になる日が多かったのだから、第二王女は仕方がない。
そもそも王家の者とて、『剣士』などの天職を得ることは稀で、わし自身、『戦士』の天職を得たに過ぎぬし、そのことを公開していない。王家の洗礼を目立たぬように行うのは、世間が思っているほどよい天職を王家が授かる訳ではなく、王家の血筋においても『農家』などという天職は普通に神々が授けてくるのだ、ということだ。男児には『兵士』や『戦士』ということもあるのだが、女児には『農家』がもっとも多く、次いで『商人』が実は多い。『聖女』となる自分を夢見るなど、すべてはケーニヒストルが流しているだろうあの噂のせいである。
だが、第二王女以外の者が不機嫌な理由は何だろうか。
王太子である第一王子がここ最近仏頂面なのは、第二王子が若手の文官たちと進めている法律の見直し作業が高い評価を得ているから、というように、男は何かがあってもわかりやすい。
これが彼女たちとなると、いくつも原因が思い当たって、判別できぬ。
「何か、知らぬか」
「それでしたら、王都の美味しいお店が閉店したことでございましょうか。宰相殿がそのようなことをおっしゃってました。ご婦人方にたいそう人気の店だったのに、いつの間にやら閉店していた、と」
側近の一人がそう教えてくれた。こやつは裏で宰相とつながっているのだが。
「確か、クレープという甘い菓子の店が、王妃たちがお忍びで城下に出る時に行くという店だったか」
「はい。定かではありませんが、あのハラグロ商会が経営していたのでは、と言われております。河南にはハラグロ商会が経営する同じクレープの店もあるとか」
宰相が、この情報をわしに植え付けようとしている、か。
あの噂が流れ、広まり、調べても元をたどれず、そこにこのハラグロ商会が経営する店が突然閉店したという話を持ち込んでくる。
あの噂をハラグロ商会が流した、ということにしたいのだろうか。
やれやれ。
噂に惑わされ続ける日々から解放されるには、やはり譲位した方がよいのかもしれぬ。
「厨房と連絡をとり、何か、甘くて美味しいものを王妃や王女に振る舞うように伝えてくれ」
側近が一礼して出ていく姿をわしはぼんやりと見送った。
クレープの店がハラグロ商会の経営だったというのならば。
それは、わずかに残されていた蜘蛛の糸のように細い、回復薬につながる道筋が、ここで断ち切られたということなのではないか、と。
そう、思うのだ。




