会頭の役目(4)
「聞こう」
王弟殿下の微笑みは崩れない。
何を考えているのか、全く読めないその表情。
だが、聞く、というからには話さねばならん。
たとえこの命がこの場で尽きようとも、オーナーに委ねられた義弟だ。必ず守る。
「『勇者』とは平和の使者、世界に平和をもたらす者。どこかに血のつながりはあったとしても、その家族だけを守る者ではございませぬ。世界の、全ての民のための者にございます」
腹の奥底から声を張り、謁見の間に響くよう、それでいて威圧するようなことのないよう、高らかに告げる。
王弟殿下の不興を買う可能性は十分にあるだろう。
微笑みを崩さぬまま、まっすぐにわしを見据える王弟殿下。
わしもその視線を受け止め、まっすぐに見つめ返す。
しばしの沈黙。
謁見の間の空気は、いつ破裂するかわからぬほどに膨らんだ泡のような。
我知らず背中に汗が流れる。
だが、ここで引くことはできん。
気持ちを込めて王弟殿下の視線を受け止め、見つめ返すのみ。
どれくらい背中に汗が流れたのか。
それはほんの数秒のことだったのか。
それとも数分のことだったのか。
「…………私とそなたの仲で、遠回しな話をしておっては誤解を生むであろうな」
王弟殿下が沈黙を破ってそう言ったのだった。
「デプレよ、ハラグロ商会は我が公爵家に『勇者』を預ける気はない、そういうことなのだな?」
「いかにも。その通りでございます」
王弟殿下の微笑みは崩れない。
だが、周囲の文官や騎士たちはざわめく。
「それならば、王家ではどうか?」
「殿下に預けぬものを王家に預けるはずがございません」
「ほう?」
わしが即答すると王弟殿下が笑みを深めた。ハラグロ商会とトリコロニアナ王家の関係がよくないことは誰よりも知っているはずだ。
「ならば、誰に『勇者』を預けるというのか?」
「誰にも」
「何?」
「私めは、誰かに『勇者』を預けるつもりはございません」
「それは、『勇者』をハラグロ商会が預かる、そういうことか?」
「いいえ」
「…………わからぬな? 説明せよ」
「私めは、義弟をよろしくと、そう頼まれました。『勇者』を預かったのではございません」
「ほう、そういうことか。預かった義弟ということは、その相手は義兄か義姉か、とにかく、その者の頼みを裏切る訳にはいかぬ、と? たまたま預かった者が洗礼で『勇者』となっただけだ、と?」
「おっしゃる通りにございます」
「だが、『勇者』だ。洗礼でそう天職を授かったのであれば話は変わるというもの。元々、そのようなつもりではなかったのであれば、なおさらそうだろう?」
「洗礼の結果など些事にございますれば」
「ほう? 『勇者』の誕生を些事、とな?」
「はい。頼まれ、預かった方にございます。どのような天職に洗礼でなったとしても、私めは頼まれたことをやり通すのみにございます」
「………………『勇者』を寄越せ、と言ったら?」
その一言を告げる瞬間、王弟殿下は笑みを消した。
「お渡しできませんな」
その威圧に怯まず、わしは即答する。
「どうしてもほしいとおっしゃるならば、この老いぼれの首を斬り落とし、商会に突きつけ、『勇者』を出せと言えばよろしいでしょう。それでも、私どもハラグロ商会は決してお預かりしておる大切な義弟さまを差し出すことはございません。商会の全てを奪われたとしても、かの者だけはお渡しすることはございませんな」
謁見の間に、再び沈黙が広がる。
わしは笑みを消したままの王弟殿下に微笑みかけてやった。
この首がほしいなら勝手にすればよい。
そういう気持ちを込めて。
「…………ハラグロ商会は、公爵家と袂を分かつ覚悟があるということか?」
「殿下がそれを望むのであれば、いつでも。今すぐにでも」
互いに真剣を突きつけ合うかのような言葉のやり取り。
ここまでのことが自分にできるとはわし自身、思ってもいなかった。
まるでこの身に伝説の『ギルドマスター』バッケングラーディアスが乗り移ったかのようだ。バッケングラーディアスは大変な偉丈夫だったとされている。そのような方ならば王弟殿下を相手に一歩も引かずに交渉できたことだろう。
これは、わしの人生で、最大の、最高の見せ場なのかもしれん。
しばらくたって、折れたのは王弟殿下の方だった。
「……兄上にハラグロ商会と和解しろ、ハラグロ商会と争うなど愚かなことだと言い続けた私が、ハラグロ商会と争うことなどできようはずもない。『勇者』について、公爵家は手を出さぬと約束しよう」
「ありがとう存じます、殿下」
わしはそこで深々と王弟殿下に向けて頭を下げた。
「もうよい。下がるといい」
ゆっくりと立ち上がり、一礼して王弟殿下に背を向ける。謁見の間を出ようと足を動かしたところで、王弟殿下が呼び止めてきた。
「しばし、待て、デプレよ」
立ち止まって、振り返る。先程よりも距離があるのでひざまずくことなく、視線だけを床へと落とす。
「……今さらだ。作法などかまわぬ。直答を許す。そなたに義弟のことを頼んだという、義兄か義姉か知らぬが、その者はどこの誰か?」
「それは、お答えせねばなりませんか?」
「先程の話が偽りではないのなら答えるがいい」
「ではお答えいたしましょう。先日、『勇者』となったはじまりの村のレオン殿を頼むと私めに願ったお方は、レオン殿の義兄にあたるお方で、スグワイア国、ケーニヒストル侯爵領の西端、フェルエラ村を領地としている、フェルエアイン・ド・レーゲンファイファー子爵さまにございます」
「ケーニヒストルの『竜殺し』か!?」
がたりっと大きな音を立てて王弟殿下が立ち上がった。表情を取り繕えていない王弟殿下は本当に珍しい。
さすがはオーナー。名前だけであの王弟殿下の心を乱すとは。
そういえば、トリコロニアナの第三王子殿下をそのへんの木の枝で打ち倒して、聖騎士団に突き出したという話がガイウスからの報告にあったか。王弟殿下も当然そのことをご存知なのだろう。
わしはその場で一礼すると王弟殿下に背を向けて謁見の間を静かに出ていった。
「…………『勇者』が『竜殺し』の義弟などという偶然があるというのか?」
王弟殿下のつぶやきは、つぶやきというには大きなものだった。
……偶然などではない。これは神々の啓示による必然なのだ。
王弟殿下のつぶやきを背中で受け止めつつ、わしはそう強く思うのだった。




