アリファ男爵家に降りかかった不幸の顛末
アリファ男爵家は平凡な貴族家である。
素朴な麦畑と農耕である程度自立していて、領民も領主も贅沢こそ出来ないが充足した生活を送れている。
息子も成人し嫁を取り、初めての子を成した頃に、六つ年下の娘――マリアが貴族学園に通うことになった。
家のための結婚など考えなくていい立場で、もしご令嬢の嫁ぎ先がなければと領内で一番財のある商家が名乗り出てくれている。そちらの跡継ぎは三つほど年上だが、顔も頭も性格も悪くない。
マリアも乗り気のように見えたし、学園では楽しく学生生活を送るだけだろうと誰もが思っていた。
しかし、ある時――入学一か月後から、マリアの手紙に悩み事が書かれるようになった。
ふとしたタイミングで困っていた生徒を助けたら妙に懐かれてしまって困っている。女子ならいいが男子なのでどうしたらいいか分からない。
そんな内容が不定期に何度も届く。
兄も異性にモテた経験がないのでうまいあしらい方など分からないし、近隣の田舎貴族仲間の若者に聞いても分からないと困った顔をされるばかり。
そうこうする内に夏になり、マリアはやつれた表情で帰ってきた――身分の高そうな令嬢数人を供にして。
「急な来訪失礼します、マリア嬢を保護しているキース公爵家のリンネと申します」
「わたくしはミドル侯爵家の」
「わたくしは」
次々自己紹介する令嬢たちの身分の高さに眩暈がしそうになりながら、マリアの父であり当主である壮年の男は考える。
保護しているとはどういうことだろう、と。
「わたくしどもの婚約者が、マリア嬢にしつこくつきまとっているのですわ」
「マリア嬢が誘惑するようなお方でないことは調査で分かっておりましたし、みんなで話し合いましたの」
「一年卒業が遅れるかもしれませんけれど、わたくしたちの国内外にあるいずれかの別荘で休養を兼ねて避難してはどうか、という提案に参りましたのよ」
「もしご不安でしたらご家族もご一緒にどうぞ。一人も二人も一緒ですわ」
「学園を休むことにもなりますから、家庭教師も一人おつけします」
「娘のためになぜそこまで……?」
ハラハラしながら聞いていたマリアの母は、心底不安そうにそう問う。
令嬢たちは顔を見合わせ、それからにっこり微笑んだ。
「お詫びとしていただいたスコーンがとってもおいしかったのですわ」
「ええ。クロテッドクリームでもハチミツでもおいしくて」
「それで何度も作っていただくうちに仲良くなって。ね?」
「は、はい。恐れ多いことですけれど」
「もう。わたくしたちの仲でしょう?」
年頃の少女らしい笑顔でマリアと戯れる姿を見ては信頼しないなどということも出来ようはずもない。
彼女たちの身分の高さから言って、王族や高位貴族が婚約者とみてまず間違いない。
そんな身分の男に付け狙われては、マリアは普通の婚姻が望めなくなってしまう。愛人などとんでもない。
そうして父母は決断し、マリアに荷支度をさせた。
ありったけのお洒落着と、下着類。勉強道具に日記帳を詰め込んで、マリアは翌朝に令嬢たちと再び旅立っていった。
どこかの別荘にはおりますから心配なさらないでという令嬢たちの言い分を信じて家族は彼女らを送り出したのである。
それから数日もしないうち。
第三王子から来訪の旨が伝えられたところで、アリファ男爵家はこのお方がマリアに目をつけた男かと心の準備をした。
出迎えの準備をなんとか行って、迎えてみれば令嬢たちと同数の令息が来た。
マリアに会いにきたという第三王子に、当主はいかにも沈痛な表情を浮かべてこう伝えた。
「マリアは心の病で療養しております」
「なにっ?そんな兆しは見えなんだが」
「それで、ご友人の伝手を使って名医を抱えた別荘に身を寄せておるのです。
と言ってもわたくしどもにはそこがどこかはいまいち分かっておらんのですが」
訳が分からない、という顔をする令息らに、令嬢の家名は伏せてある程度の事情を当主は伝える。
だから国内にいるのかさえ分からない、療養が長引くようであれば休学手続きも取るつもりでいる、と。
実際、マリアは精神的に落ち込んだ状態であり、令嬢たちには仄かに笑んではいたが、家族にさえ明るい笑みを見せてはくれなかった。
そこから持ち直すには長い時間が必要だろうというのは分かったし、貴族学園は成果主義なので休養明けに必要なだけの勉学をしていたと証明できれば復帰は容易である。
だからあのご令嬢がたも家庭教師をつけると言ってくれたのだと当主は後になって気付いた。
留年せずとも卒業できるように――深い慈愛を以て考えてくれたのだと。
結果として第三王子たちは領地に泊まりもせず、そのまま急ぎ王都へ戻っていった。
一応泊める準備もしていた当主たちはほっとしたが、問題はそのままだ。
マリアに執着する彼らをどう止めるのか。
男爵家程度には学園に干渉する権利がほとんどないので、カリファ一家は友人を名乗ったご令嬢がたに祈りを捧げる他なかった。
それから更に二十日ほどが経った頃、身なりのいい男性が一人で馬でやってきた。
「おたくのマリア嬢についての調査なのですが」
「は、はい」
「マリア嬢には内々でも婚約者と呼べる存在はいますか?」
「はい。学園で良縁が見つからなければ婚姻なぞと話している相手がおりまして、マリアもそちらの話に乗り気でした」
「なるほど。愛人……や、その手の話に乗る令嬢でもない?」
「とんでもない!ごく普通に夫となった人と愛し合いながら生きていきたいと望む、ごく普通の娘です」
男性はなるほどなるほどと帳面に何かしらを書きつけ、そこから質問を重ねた。
結婚相手の身分についての意見や、普段読んでいる本の種類。果ては恋愛履歴まで。
なんだなんだと駆け付けた一家が質問のすべてに答え終わると、青年は朗らかに微笑んでこう告げた。
「マリア嬢を救う手立ては成ります。
ご一家には心安らかにお過ごしください」
そう言われても気が休まるわけではない。
しかし、麦畑や野菜畑の出来を確認したり、領民たちに夏の特別増量した塩の支給をしたり、その他さまざまな夏の仕事をしているうちにあっという間に秋になった。
しとつく秋の雨が降る前に、見事に実った麦や野菜を大急ぎで、それこそ一家も労働力として収穫し、例年並みの実りに感謝しながら収穫祭を終えた頃。
マリアは上等な馬車に揺られてこの地に戻ってきたのだった。
「おお、マリア!
もういいのかい?辛くはないか?」
「本当よ。お母さん、心配で心配で」
「もう大丈夫。夏の間にすっかり全部片付いたの」
そう言ってにっこり微笑む表情に陰りがないことを知って、一家は安心の溜息を零した。
少し張り詰めた空気の中、まだ幼い長兄の娘がスカートにビトっと張り付くと、マリアは姪を抱き上げた。
「あのね――」
娘の口から語られたのは、仕事の出来る令嬢たちの活躍劇だった。
まず、マリアたちは国外のとある豪奢な別荘に赴いた。
聞けば同じような背格好の女優を複数組集めて国内にばらまいたという。
女優達はその後、男装してこっそり別荘を抜け出し、自分たちの所属する場所へと戻っているとか。
なので、領地に戻る道すがら目撃されていても問題なく「そこにいた」「そこにいる」ように思わせることは可能だった。
そしてそこへ行くにも時間が掛かるし、手分けしても余る程度の数をばらまいているので問題ないという。
しかも国外に行くとて、マリアと令嬢たちは男装して身分も隠して出国している。
同行者も複数人いて、複数の馬車と護衛が隊列を成して粛々とした旅路だったそうな。
「しかし、学生の間の夏休みなんてそこまで時間に余裕はないだろう?
どこへ行っていたんだい」
「隣国よ、兄様。
あの宗教国家で秘密主義の」
そう。
マリアたちは、あらゆる情報を出し惜しむ国に逃げ込んでいたのである。
そこに別荘を持っていたのは侯爵家のご令嬢で、元々母方の実家があり、縁があるので母のための別荘を借りてきたのだという。
その別荘は一応侯爵家の財産目録にあるが、そろそろ実家に返却も考えているとの添え書きがされているようなもの。
なので、ご令嬢は母親にねだって至急借り、マリアたちとひと夏の休暇を過ごしたというわけだ。
もしも王子たちが情報を引き出そうとしても、隣国は情報の供与を渋っただろう。
当たり前である。
自国の貴族の財産の情報など、そう簡単に出すわけがない。
かと言ってどこにあると詳細が記入されていない別荘を探しに気軽に入国なども出来ない。
そもそも行ったところで無人だった場合、空振り過ぎて膝から崩れ落ちるだろう。
そんなこんなで王子たちがバカ騒ぎをしているのにやっと気付いた王や当主たちは、事情を問い詰め、マリアの身辺調査に乗り出した。
バカ息子たちがのぼせあがって口説いているだけならいいが、マリアに愛人になる気があったらたまらない。
逃げているらしいのでそのつもりがなさそうなのは承知しているが念のためである。
それが、夏にアリファ家を訪れた男性の正体である。調査員だったのだ。
で、すっかりすべてが知れ渡ったことで、第三王子は秋を前に宗教国家とはまた別の隣国の女王の愛人として献上されることが決まり、他の令息たちは卒業を待たずして家から除籍されて国外追放と相成った。
王家と貴族、貴族と貴族の結びつきとしての婚姻を蔑ろにするような者に、養う価値など欠片もないからだ。
そうなると一気にご令嬢がたの婚約者の座が空くが、二つ三つ年上で嫁を探している品のいい男性というものは少数ながらいるし、その中からピックアップして新たな婚約者が決まったのだとか。
マリアは猛攻にめげていたが、親しくなった令嬢たちとの休暇と、隣国の涼しい空気の中での生活で、本来の明るさを取り戻した。
家庭教師たちにも精いっぱい学び、次の期末試験ではちょっといい点数を取れるくらいには学力に磨きが掛かったとか。
「だから、秋雨が始まるまで少し休んで、そこから復学しにいけるわ。
お父様たちには迷惑をかけてしまったなぁって。ごめんなさい」
「いいんだよ。マリアに非がある話でもあるまい。
ただ親切にしただけでのぼせあがって付き纏う男が悪いさ」
ぽんぽん、と娘の頭を撫でると、はにかんだように笑う。
その笑みさえ久しぶりに見るものだから、一家は胸が温まるような心地だった。
その後、アリファ男爵家は特に大きな災厄に見舞われることなく。
卒業して戻ってきたマリアは商家の跡継ぎに無事嫁いでいき、マリアの兄は二人目の子供を授かり、見事男児が生まれた。
主産業の麦畑や酪農も特に収穫量が落ち込むこともなく、ただただ平凡に暮らしていった。
もしかすると王家や位の高い貴族家との闘争になったかもしれないお話は、身分の高いご令嬢たちの案によって見事潰されて。
そうして取り戻した平穏に、身を委ねるばかりであった。




