表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

絵本の海で、不思議な気持ち。








今にも駆けだしそうな王女様が、時折こちらを見上げては照れたように笑う。ふにふにの柔らかくて小さな手は、ぎゅっと私の手を握ったまま。い、癒されます……。



王女様のリクエストにより向かっている王立図書館は、王城から少し歩いたところにあるらしい。国で一番の蔵書数を誇る場所で、王城関係者もよく利用するんだって。どんな所なんだろう。厳かな雰囲気の場所は苦手だけど、さすがにちょっとワクワクする。


ところが、だ。ほわわ、と頬を緩めて歩いている私の横で先輩が憂鬱そうにしているじゃないか。足取りも重たいみたいだし。


「先輩? もしかして、ほんとにお腹痛いとか?」

「ちがうわ」

「だいじょーぶー?」

「大丈夫。……ちょっと面倒くさいだけ」


何かに観念したのか、先輩は溜息混じりに答えた。さすがに王女様を無視するわけにはいかなかったのかも知れないけど。


「えぇぇぇ~……」


先輩が放り投げるように言うのを聞いて、王女様は明らかにショックを受けたらしい。口が開いちゃっている。

私は咄嗟に口を開いていた。


「ええっと、王女様。

 先輩は嫌がってるんじゃなくてですね、その……えー……

 む、虫がお腹にいるんですよ!」

「むし?」


一瞬、目が輝いた。虫好きな王女様の意識がこちらに向けられたのが分かる。私はポンコツなりに一生懸命考えて話した。


「そう!

 お腹の虫が悪さをして、先輩の機嫌を悪くさせてるんです。

 だから王女様が悪いんじゃないんですよ。虫が悪いんです!」


こじつけ、と言われればそこまでだけど。でも“腹の虫が……”“虫の居所が……”とかって聞いたことあるし。意味が合ってるかどうかなんて、今はどうでもいいんだ。王女様のせいじゃないんですよ、っていうのが伝わればそれで。先輩に溜息つかれても、ちょっと睨まれても。


「うーん……そっかー……」


王女様は頷いた。何を考えているのか、ちょっと難しい顔をしている。でもそれは少しの間のことで、次の瞬間には決意を秘めた目を先輩に向けた。


「キッシェ、おトイレがまんできる?

 としょかんについたら、ゆっくりどうぞ!」

「……あー……ありがと、でもだいじょーぶ……」


先輩が引き攣った笑顔で手を振った。

違うし!……って言いたかったんだろうな。たぶん。






「わ……っ」


開放された大きな扉をくぐって中に入った私は、思わず声を零した。吹き抜けの天窓から降る柔らかい光が、目に優しい。王立図書館はすごく古いって聞いてたから、もっとジメジメした陰気な場所かと思ってたんだ……。


「まーた口が開いてる」

「あっ」


呆れたように呟かれて、慌てて口を押さえる。すると先輩は私を鼻で笑うでもなく、あっさり王女様のそばを離れてスタスタ歩いていってしまった。

王立図書館は王城の敷地にあるだけあって白の騎士さん達が常駐して警備しているらしいから、危ないことは滅多に起こらないだろうけど……先輩、護衛騎士なのに。私の方こそ呆れて溜息が出ちゃうよ。


ふぅ、と小さな息を吐き出した私は、手を繋いだまま大人しくしている王女様を見遣る。


「先輩は放っといて、絵本を探しに行きましょうか」

「はーい」


可愛らしい返事をしながらも、王女様の瞳は遠ざかった背中を見ていた。先輩はどうやら司書さん達のいるカウンターで話しこんでいるようだった。




子どもの目線の本棚に、絵本や児童書がぎっしり詰まってる。明るくて、綺麗で。さすが、王立学校の図書館とは全然雰囲気が違う。何回か利用したけど、あっちは教授達の研究のための資料を詰め込んでおく場所、って感じだったなぁ……。


「クロ?」


穏やかな雰囲気の漂うコーナーを前に感心していると、王女様が私の手を引っ張った。他の利用者が静かにしているのを察知してか、小声で言う。


「ごほん、みてもいい?」

「あ、そうでした。

 じゃあ、借りたいものがあったら教えて下さいね。お持ちしますから」

「うん。

 あとね、クロ、よんでくれる?」

「もちろんですよ。何冊でもどうぞ」


こくりと頷いた私を見て、王女様は嬉しそうに手を離した。そして手近な本をひとつ、手に取ってはパラパラ捲り始める。私はその様子を横目で確認しながら、自分でも絵本を手に取ってみることにしたんだけど……。

その瞬間、どういうわけか急に背中が寒くなった。例えるなら、背後で業務用の冷蔵庫が開けっ放しにされてるんじゃないかと思うような。


「……うわさむっ」「おいポンコツ」


思わず腕を擦りながら出た言葉が、背後からの声と重なった。



「何で待ってられないかな?!」

「いやいやいや、じゃあ待ってるように言ってから離れて下さいよ!」


誰にも聴こえないように声を抑えて、全力で反論。先輩のこめかみに青筋が見える気がするけど、いいんだ。勝手に不機嫌になって勝手に王女様から離れたのは先輩なんだから。ここは譲らない!


「そもそも護衛騎士が王女様から離れちゃダメじゃないですか。

 離れるなら子守の私にひと言下さい、ってハナシですよ」


意気込んで言えば、先輩が小さく舌打ちするじゃないか。白の騎士がそんな態度で、解雇されても知らないんだから。

すると、心の中で目を丸くしていた私の所に王女様が駆け寄ってきた。眉間にしわを寄せた、険しい顔をして。せっかくの口元に人差し指を立てる可愛らしい仕草が台無しだ。


「しーっ、でしょ!

 キッシェはおトイレいいの? おなかへーきなの?」


そのひと言に毒気を抜かれた私達は、そこで言い合いを止めた。その代わり王女様がしている、先輩にしてみたら大変不名誉な勘違いを訂正するのも止めておいた。今回ばかりは私がポンコツなわけじゃないもの。




「すみません王女様。

 ……決まりましたか?」


鼻息荒く先輩に言い放った王女様は私の言葉に我に返ったのか、ちょっとはにかんだ。抱えていた絵本を私に見せてくれる。


「これにする……。

 でも、まだみててもいい?」

「じゃあ、それは私が持ってますね。

 時間はありますし、ゆっくり見ましょう」

「うんっ」


嬉しそうに頷いた王女様は、羽が生えたような軽い足取りであちこちの本棚を行ったり来たり。私はその様子を見守りながら、自分でも手近にあった絵本を開いてみる。


「あ……。

 王女様、これはどうですか?」

「なあにー?」


てててて、と小走りに近づいて来た王女様に、私は持っていた絵本を広げて見せた。すると小さな瞳が、ぱっと輝く。そりゃそうだ。私が見つけた絵本には、カップケーキが出てくるんだもの。


「かりるかりる!」


予想通りの反応に、思わず頬が緩む。子守をしていて、こんなに嬉しい気持ちになるなんて。ちょっと前の自分だったら想像もしなかったな。

そんなことを考えながら遠くを見ていると、視界に人影が入り込む。少し離れた本棚の前に、親子連れがやって来たらしい。


それまで周囲に人の気配がなかったから、なんとなく緊張が走る。いくら中身が普通の女の子だとはいえ、やっぱりそこは王女様。何かあってからじゃ、いや、何かあるなんて言語道断だ。私は背後にいるはずの先輩を仰ぎ見た。

それまで不機嫌そうに口を閉じていた先輩も、真剣な眼差しで親子連れに目を向けている。でも、それだけだ。王女様の前に立とうとか、そういうつもりはないみたい。

……そういうことなら特に気にしなくてもいいのかな。相変わらず私とは目も合わせないけど。


「クロ? キッシェ?」



「……え、あ、はい」

「……あ、うん?」


ふいに声をかけられて、我に返る。どうやらそれは先輩も同じだったみたいで、私達はほとんど同時に返事をしていた。……大変遺憾ですが。


「どうしたの?」


遺憾に思っている間に先を越された私が先輩を見遣ると、王女様が小首を傾げる。


「もしかして、またおなか……?」

「あーもー……だからね姫様……」


あさっての方へ投げられた言葉に先輩は、思わず、といったふうに脱力した。

まあたしかに怖い顔で遠くを見てたら、王女様だってそう思わなくもない……かも知れないし。とりあえず否定しないでおいてみよう。尊い優しさを無碍になんて出来ないよね、騎士だもの。




しばらく生温かい気持ちで先輩と王女様のやり取りを眺めていた私は、ふと気がついた。離れた場所にいた親子がだんだんと近づいて来ている。絵本を手にとっては戻し、をくり返しながら。


だ、大丈夫なんだよね……?


一瞬心配になったけど、先輩が構う気配はない。それでもなんとなく目が離せなくて、私は親子に感づかれないように様子を窺うことにした。

すると抑えているとはいえ、小さな声での会話が聴こえてくる。


「ねぇターニャ、これくらいにして帰りましょ。

 ママ、こんなにたくさん読めないわ」

「え~、やだ。

 あとひとつだけ! ねっ?」

「うーん……じゃあ、あと1冊よ?」


やったー、という小さな歓喜の声が聴こえたのは背後からだった。親子は手を繋いで、別の本棚の列に入っていったらしい。


その時だ。それまで先輩と“お腹が痛いのか、いや痛くないんだけど”という無限ループなやり取りをしていた王女様が肩を落とした。


「いいなぁ……」


小さな呟きを拾った私は、思わず内心で首を捻る。王女様でも、他人を羨ましいと思うことがあるんだろうか……なんて。でも私は、すぐに自分の心の声を吹き消した。そんなふうに考えていた自分が王女様を傷つけたのを、思い出したから。


「姫様?

 もしかしてお腹痛い?」


それまで必死にお腹が痛いわけじゃないんだ、と諭していた先輩が首を傾げた。とんちんかんなことを尋ねてしまうくらい、王女様の様子に戸惑っているらしい。

でも王女様は、先輩の言葉に小さく首を振るだけ。


私は必死に考えを巡らせた。飛び込むみたいに抱きついてきた王女様のことを思い出したら、胸がぎゅっと締め付けられる。たぶん私、あの一瞬で王女様に心を奪われちゃったんだろうな。本能的に“守らなくちゃ”と思考回路が働いてる。

なんだかもう、私じゃないみたい。


「だいじょーぶ……でも、もうかえろっか……」


王女様が沈んだ声で言う。それに混じって本棚の向こうから、親子の声も漏れ聴こえてきた。とっても楽しそうだ。

さっきまでは、王女様もカップケーキの絵本を見て嬉しそうにしてたのにな。一体何がキッカケで急に……って、もしかして。


「え、でもまだ見てない絵本、たくさんあるんじゃないの?」

「ん……いい」


先輩が引き留めるけど、王女様は首を振るばかり。

それを見ていた私は、思わず小さな手を取った。


「王女様。お母様に読んでもらう絵本、探しに行きませんか」


目線を合わせて、膝をつく。覗き込めば、沈んだ瞳がゆらゆら揺れた。





「よく分かったな、姫様が落ち込んだ理由」

「……あ」


ずっと黙っていた先輩がふいに話しかけてきて、私は一瞬言葉に詰まった。


「えっと、なんとなくですけど。

 あの親子と擦れ違った後だったので……もしかしたら、って」


ほんとは、実体験があったからなんだけどね。

物心ついた頃には母親が亡くなっていて、父親は仕事漬け。使用人達は時間がくれば下がってしまう……。そんな環境で甘える相手がいないまま、ずっとクマのぬいぐるみを抱いてたんだ。だから街中で親子が手を繋いで歩いてるのを見るたびに、羨ましくて仕方なかった。

それで、もしかしたら王女様も……と思ったんだ。そんなこと言わないけど。


「そっか……」


呟いた先輩が、真剣な眼差しで絵本を選んでいる王女様に目を向けた。つられて、私の視線もそれを追いかける。

最初は尻込みしていた王女様も、別の絵本の棚に移動したら気分が変わったみたいで。いつの間にやら選んだ絵本が何冊も床に積まれている。

……まだ借りるつもりなのかな。ちょっと多いな。


私は全部は無理があると思いますよ、と言いに行くつもりで一歩踏み出そうとした。

その時だ。


「ごめん」


言葉と一緒に、手のひらが頭に降ってきた。

咄嗟に、何が、と言おうとした私より早く、先輩が溜息混じりに言う。


「クロエは悪くないのに、イライラしてた。悪かったよ」

「え、あ……いえ……」


こんな時に何て言ったらいいのか分からなくて、曖昧な言葉しか返せない。いつもなら、これだけでポンコツ呼ばわりだ。

だけど先輩は、なんだか申し訳なさそうな顔をしているだけ。それどころか、苦笑いを浮かべて私の頭をぽふぽふする。

褒められた、とも違うんだけど。ちょっと気分がいいぞ。


なんともいえない気持ちが顔に出ないように気をつけていると、先輩が言った。


「図書館にはあんまり入りたくないっていうかさ……」

「先輩は図書館、嫌いなんです?

 まあ、私も静粛な空気は得意じゃないですけど」

「いや、ココだけちょっと」

「うん?」


いまいち要領を得ない会話に首を捻る。なんかもう、全然分かんないですよ先輩。私は眉根を寄せて先輩を見つめた。

すると、私の視線から逃げるように先輩が口を開く。


「実はさ――――」

「あら、キッシェくんじゃない」


遮るようにして声が聴こえた瞬間、先輩の表情がビシリと固まった。




……先輩が固まるなんて、一体どちら様ですか。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ