第4話 ケット・シー
「痛っ!」
誰も寄りつかない学園裏の倉庫。その薄暗い一角で、アリスはカリミアに突き飛ばされ、よろめきながら壁に背中を打ちつけた。壁がみしりと軋み、埃がふわりと舞い上がる。
アリスの視線の先には、艶やかな金髪を揺らし、嘲るような笑みを浮かべたカリミアが立っていた。
「あら、なにかしら。その目。文句でもあるの? ……気に食わないわね」
足音をコツコツと響かせ、ゆっくりとアリスに向かって歩み寄ってくるカリミア。 そのまま、カリミアはアリスの髪を乱暴に掴み上げた。
「っ……! なにをするの、アリシアさん」
「立場を弁えなさい。“アリシアさま”でしょう?」
吐息が耳元にかかるほど近くで囁かれ、アリスは顔を歪めた。髪をさらに引き上げられ、痛みに声が漏れる。
「教えてちょうだい。どうして―― あなたなんかが、あの『ケット・シー』を使い魔にできたの?」
「ケット・シー……? ルクスのこと?」
問い返した瞬間、カリミアの瞳がぎらりと光る。
「そうよ。お父様から聞いたことがあるわ。ケット・シーは『伝説の魔獣』。それを、落ちこぼれのあなたが従えているなんて—— おかしいじゃない」
カリミアの言葉に、アリスは思わず胸が痛くなる。生まれてから何度も浴びせられてきた烙印。落ちこぼれ。
アリスだってなりたくて、そうなったわけじゃないのに。
「だから、その子を渡しなさい。あなたにはもったいない」
「なっ……!」
靴先で肩を小突かれ、アリスは崩れ落ちそうになる。見下ろすカリミアの唇は、嘲笑で歪んでいた。
「呼びなさいよ、ここで。証明してあげる」
「……証明?」
「私の使い魔『メデューサ』の力で、あなたのケット・シーを従えさせるの。ねえ、見てみたいでしょう? ケット・シーなんて、あなたじゃ扱いきれないってことを。あなたにケット・シーを使いこなす資格がないことを!」
アリスは息を呑む。カリミアの背後に漂う気配は冷たく重く、圧迫感を放っていた。
「使い魔の力は契約者の魔力に依存する。いくらケット・シーでも、落ちこぼれのあなたじゃ本来の一割も出せないでしょうね」
その言葉に、アリスの胸がぎゅっと締めつけられる。自分が無力であることは、誰より自分が知っている。けれど――
アリスは唇を噛みしめ、視線を逸らさなかった。
「……ルクスは呼ばないわ」
「へえ? どうして?」
カリミアの声音は氷のように冷たく研ぎ澄まされていた。
「ルクスは……わたしの大事な友達。それを、こんなくだらないことで呼ぶわけがないじゃない」
震える声。しかし、倉庫の空気を切り裂くように響いた。
カリミアの瞳が見開かれる。数秒後、彼女の口元に浮かんだのは、歪んだ笑みだった。
「……へえ。生意気ね。いいわ、あなたが自ら呼ぶまで、遊んであげる」
指を鳴らし、カリミアは倉庫の扉へと向き直る。
「イルマ! エリーナ! 入ってきなさい!」
イルマとエリーナは、いつもカリミアの後ろについてきているカリミアの忠実なる僕である。今日だって、彼女らは外の扉の前で待機し、近づくものがいないか、見張っている—— はずだった。
だが、カリミアの呼びかけに返事はない。
「イルマ! エリーナ! 聞こえないの!」
苛立ちを隠せず、扉へと歩み寄るカリミア。
その時。
――ギィィ……。
重い扉が軋む音を立てて、ゆっくりと開いた。
闇に閉ざされた倉庫へ外の光が一気に差し込む。逆光に浮かび上がるのは、小柄な少女と、その足元に寄り添う小さな影。
小さな瞳が、暗がりを切り裂くように光った。
「遅くなったな、アリス」




